水1

 

 仕事の合間に、ワシが何をしてるか、書いてみる。

 

 遅い昼食を食べていると、“端切れ”を見せて欲しい人が来ているという。

“端切れ”とは、うちの裏メニューのような物でメーカーの製品の端切れ布やサンプル

の布を安値で出しているのだ。

これは、興味がある人とない人に分かれ、時に邪魔になり、散らかるので出したり

引っ込めたりが激しい。

 その端切れ布を欲しい、見せてくれ。という人が来店していた。

 

<ウツ、娘の彼がストーカー>

 その人は現在うつ病で病院に通っているという。

あっ、端切れは欲しいのも事実だけど、それは言い訳で私と話しをしたいのが目的ね。

そして、薬(安定剤と睡眠導入剤)を飲むと、眠れるし以前のように泣きに囚われる事

は無くなったのだが、何を見ても嬉しい気持ちにならずただ空しいような気持ちで辛い

のだ。という。

それには、娘がストーカーと居て(その人は、付き合っているという言葉さえ使いた

くない様子)DVを受けている。という。

その男は最低の男で、その両親も常識がない最低の人間で、別れる話し合いをしたが、

話にならない。のだという。

でも、娘は心配する母(彼女)を罵倒し、娘は男の所へ行き帰ってこない。

そんな時、彼女を可愛がってくれたオバアチャンが言っていた

「困った時は水をあげて御先祖様にお祈りするんだよ」を思い出し台所に水をあげ、祈る。

それは、効き目があって娘の受験の時も「どうか高校に受かりますように」とお祈り

したら受かったのだと彼女は言い、

「どうか、御先祖様、娘が男と別れて帰ってきますように」と祈っているのだという。

 

私も、何時からか(何十年前かな)大分前から、毎朝台所に水をあげ祈ってきた。

 祈りというか誓いもだが、

「私にやるべきことを“御示し”ください。

私はそれを行います」

そして、「全ての人が、物事が、救いの道へと進んで行きますように」と祈る。

私は、好き嫌いが激しいのか、嫌いというか苦手な人が次々と現れる。

自分は我儘なんだろうか、我慢が足りない人間なのだろうかと本気で考え、時に悩んで

きたが、周りを見て、色んな人と話して来て、我儘でない人は一人も居ないと気が付いた。

だからこのままでいいということではない。

では、どうなりたいか。

それを見つけ実行する為にこの“引っ掛かり”があるんだと思う。

 

そして、以前の私は一番に気になる引っ掛かる人が幸せ(本当の)になるよう神仏の

お導きがありますようにと祈っていたが、今はそんなこと頼むだけでもオコガマシイ

神様に任せとけばいいと思うようになった。

そして、全ては“為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり”

だと思う。

人の心配もいいが、自分が為すべきことに心を置け。と、自分に思う。

じゃぁ今の自分が為すべきことは何か?

自分の為す行いは、何時だってライブ。

答えは頭の中にあるんじゃない、目の前にで起きている事象の中から見つけ出すんだ。

 ドンッスィンクドゥフィール(考えるな感じろ)

 

私は、高校受験の時、高校が受かりますようにと祈ったことがなかった。

夫との結婚を意識した時も、結婚しますようにとは思わなかった。

そういう時、どう思うかというと「どーぞ、よしなに」だ。

受かることがいいことかどうか、それは誰にも分からない。と思う。

 好きであろうがなかろうが、そこで結婚することが良いことか悪しきことか分からない。

人間万事塞翁が馬だ。

人間的に都合の良いことが本当に良いことか、都合の悪い事が本当に悪しきことかどう

かは、分からない。と、塞翁は言う。

与えられた事を受け止め、そこから良くなる努力行いをする。

したくないことはしなければよい。やらないという事も決めた時点で行いとなる。

ただ、したくない、努力しない言い訳に運命論や神様を持ち出すのはルール違反だ。

 

神が仏が、宇宙の理(ことわり)によって動いていることに対しては、

「どーしてそうなの!」と文句を言っても仕方がない。

 そうなのは、そうなのだから、そうなのだ。そして、なるようになって行く。

「あー、そうなんだ」と今ここにある事実を受け止め、そこで自分が何をしたいのか

自分は何を為すべきなのか、を見つけ、行う。

まぁ、無理に見つけようとしなくても大丈夫、神様は手を変え品を変えその人の人生の

課題、テーマを提示してくる。

 そして、その課題、テーマは苦しい、本当に辛い事の中に現れる。

辛いと言っても、大事なモノとセットでやってくるからそれからは逃げられない仕組み

になっている。と聞くと、あなたにも身に覚えがあろう。

 

 自分が救われる道は、自分を苦しめているそこにしかない。と仏の言葉にある。

 

私は彼女に、私が以前やっていた祈り方を伝えた。

「娘の彼(引っ掛かる人)が、幸せになりますように」というやつだ。

これは、一見その人の事を祈っているようでいて、それを憎む自分への救いの祈りだ。

 全てのモノは、コトは、繋がっている。

自分から一番遠くにあって、一番関係がないと思っている、

一番関係を切りたいと思っている物事が、今の自分に必要なことなのかもしれない。

 

生きている実感がない、消えて無くなりたいという彼女に簡単なコツを伝えた。

※割り箸を横に咥(くわ)えて家事をしたり、テレビをみたりする。

これは、口角が上がって、脳が楽しいと勘違いして、段々本当に楽しい気持ちが生ま

れてくると、心理学者がいう。

人は楽しいから笑うのではない、笑っているから楽しくなるのだ。Byアラン

※誓いの言葉

 「私は、私を好きになります」を、3回唱える。

彼女は自分が大っ嫌いなんだと言った。大っ嫌いは、大好きで、好きでいたい。という

意味を含んでいる。

それに気が付いて素直に裸になると楽になる気がする、コダワリと言う衣服を脱ぐ時

抵抗があるが、脱いだら楽になる。

そして、

「“みんな”が、幸せになりますように」と祈る。

と言ったら、

「あの男も、ですか?」

「そうだね、“みんな”だから」

「どうして、あんな男のことまで祈らなくちゃならないんですか?」

「みんな、すべてのモノは繋がっているから、あなたが嫌いな人と、好きな人が幸せに

なっていくのは、あなたも含めて、同時進行だから」

「ふーん」

「まぁ、やるか、やらないかは、あなたの自由。

あなたの心が決めて、あなたが行う。んだね。

どーぞ、ご自由に。って言う資格さえも私にはない」

 

 彼女は、「“みんな”が」と言った瞬間に、一番に男の顔が浮かんだという。

娘の顔より先に。

 

 

面白いねぇー。

 

 

この人と話していたら、次の人登場。

で、その話は次回に。