水の音

 

 「お母さんの顔を見たいと言っている人が居るんだけど」と、山小屋で休んでいる私に

娘が言って来た。

「えー、こんな顔、見たいかぁー」と言いながら外に出る。

そこに立つ人の顔に見覚えはない。

 って、私は人の顔を覚えない体質みたいだ。

「私のこと覚えてる?」と親しげに話しかけてきた女性は私と同年代。

「んー」とサグリを入れて話していると段々思い出してきた。

それは、情報とか記憶っていうんじゃなくて、何といったらいいのかなぁ。

その人の持っている空気のニオイみたいな感じを思い出すんだ。

 去年の暮れにココに来て、初めて会ったのにウソみたいに気が合って半日近く話し

込んだ人だった。

 その時は旦那と一緒だったが、その日は娘と来ていた。

「娘にも会って欲しいの」という彼女は、「もう10ヶ月になるのね。

あれから次々と具合が悪くなって、家から出られなくて家で横になりながら、またココに

来たい、あなたに会いたいってずっと思っていたのよ」と彼女は言った。

 名前も覚えておらず、会って2回目なのに旧知の間柄であるかのように話が弾む。

私は細かい言動に一々引っかかる人間なのだが、彼女に対してはそれが起きない。

 

 彼女は、今30になる娘が中学の時、家計が破産し夫は精神的に参ってしまった。

生活のため彼女は、知り合いの工事業者に頼み込んで働かせてもらうことになった。

普通、女性はエプロンで働くのだが、彼女はニッカボッカという職人の作業着を貰って

男と同じに働いたというが、小柄で華奢な彼女から彼女の職人姿は想像出来なかった。

 彼女に“おにばば”の詩の話をした。

彼女は“おにばば”の話も評価するのでなく、同情するのでなく、ただ共感し、自分の

人生を思っているようだった。

 先日、知人に「夫におにばばって言われちゃった」と言ったら涙を流したが、

頑張りやのその彼女にも何か思うところがあったのだろう。

 言い訳せずに一人で背負わなければならないことがある。

背負って飲み込んでいくことで、人は大きくなる。

 それを恨みにしてはならない。恨みは世界を狭くし、病いになるんじゃないかと私は

思う。

 

「娘さんはお変わりない?」と聞かれた。

「それが、今年の春の彼岸が開けた頃に突然話が進んで、あっという間に結婚して

あっという間に腹に子が出来て、来年2月には生まれるの」

「オメデトー、良かったわね」

普段の私は、そう言われたら「結婚してもいいし、しなくてもいいし、子供が出来ても

いいし、出来なくてもいい」と必ず言うのだが、何故か彼女には素直に

「ありがとう」と言えた。

そして、

「羨ましいわぁ、ウチの娘はまだなのよ」と言うのを聞いた瞬間、

「おっかしいなぁ、何だか愛し愛されオーラが出てるのに」と思わず言った。

母親の隣に座る30歳の娘は、何だかピカピカしていた。

「ええ、実は付き合って1ヶ月になる人がいるんです」と娘は言った。

 やっぱりな、と思う。

どういうワケか私は勘がいい。何となくそういう気がするということが当たることが多い。

 ウチの娘は、3月の末に始めて彼と会い1ヶ月もしないで結婚した。

初めて娘が彼に会った時、そこに居合わせた私は、

「もう、あんたらは決まっているんだから一緒に暮らしちゃいな」と二人に宣言していた。

 そう言ったらお見合いみたいな感じと思うだろうが、二人はすっかり両思いで

ラブラブで、今はちゃんとケンカも出来思い合ってもいる。

 こんなこともあるんだねぇ。と、確かな何かを感じていた筈の私もことの成り行きには

ただただ感心している。

 そして、娘の手相に結婚線がハッキリ出ていたことを思い出した。

「ちょっと手相見てみる?」とそこに居る娘に言った。

「えー、ちょっとコワイけど見てもらいたい」と娘は華奢(きゃしゃ)な手を出した。

小指の下の中央(25歳)より下に短いものが一本、それより上の方に長いものが

一本あった。

「十九か二十歳の頃に縁があって、で、丁度30歳の頃に長い縁があるよ」

「えー、丁度二十歳の頃に本気で結婚を考えた人が居ました」

「へぇー、スゴイね。手相って当たるんだね」

「でも、今の人の前にも付き合っていた人がいたんですけど」

「その人は縁がなかったんだね」

「そうなんですね」

「でも、今の人大事にしなね。

つっても、大事にするってどういうことだか分かる?

甘やかすってことじゃないんだよ、尽くすってことでもないし、何でもやってあげちゃ

ダメなんだな。

大体が、あげるっていうのが上から目線の思い上がりだってことを分からないとね」

「あのぉ、分かります。

少し前に付き合っていた人っていうのが、車を持っていなくて毎日送り迎えをして

そう、“あげて”いたんですね。

最初は一緒に居ることが嬉しくて、片道1時間の所を往復していたんですけど段々大変に

なってきて3年間付き合ったんですけど、自分の仕事が大変だったりすると、こんなに

やってあげてるのに、っていう気持ちになってしまって…。

最初はやりたいからやっていたことが、段々恩着せの気持ちになって、結局は彼に

『やりたくないならやって欲しくない!』って言われて、それで別れたんです」

「あー、そうだったんだぁ」と言いながら、それは今回の縁のタメに予行練習になってる

んだな。と思う。

「今の彼は本当に安心出来て、でも、ある程度距離を置いて付き合っていこうと思って

いるんです」

 

そこでお節介オバサンが、話す。

 

 一つが、好きな男と付き合いだしてセッセと料理をしてセッティングして待ってる女。

「これ、時間を掛けてあなたのタメに作ったのよ」

「ねぇ、美味しい?」

そういう時期があってもいい。でも、これは長くは続かない。

男は、そういう女が段々ウルサクなってくるんだなぁ。

 

 シチューを作る女の話、ってのがある。

仕事に疲れた男が女の家に来る。ちょっとこなれた二人。

「おい、何か食べさせてくれよ。最近仕事が忙しくてロクなモン食ってねえんだ」

仕事明けで寝ていた女。

「うるさいなぁ、冷蔵庫にシチュー作ったのが入ってるから、勝手に暖めて食べなよ」

「ウワー、俺これ好物、ありがてぇ」

「よかったね」とそっけない女。

男がシチューを温めていると、モソモソ起きてきて、

「あたしも食べよっかな」

「ケッコウ美味しいじゃん」と女。

「いや、これチョーうめえよ」と男。

 実は男が来ることを知っていて、何時間もかけて煮込んでいたシチューだった。

勿論、男がそれを大好物なのは知ってましたから。

 でーも、その女は『あなたのタメに作ったのよ』なんて口が裂けても言いませんね。

 

水の音、これは漫画で読んだ話。

男と付き合い出した平凡な女。

 ある日、男の部屋で前の彼女の写真を見つける。

美人でスタイルも最高だった。

 それから、「ねぇ、私の何処が好きになったの?」と聞くようになった彼女。

美人でもないし、そうスタイルも良くないし、何か優れた特技があるわけでもない。

 その度に彼も「んー」と考えている。

ある日、彼女が台所で洗い物をしていたら、

「あー、分かったー」と彼が大声を出した。

「えっ、何が?」と大声に驚いた彼女が言った。

「オマエの質問の答えだよ」

「えっ」

「オマエ、『あたしの何処が好きになったの』って聞くじゃないか、その答えが分かった

んだよ」

「えー、なに?」

「水の音だよ」

「水の音?」

「そう、俺オマエの出す“水の音”が好きなんだ。

確かに、前の彼女は誰もが羨むような美人でスタイルも良くて、お前には勿体ない

なんて言われたさ。

料理も料理学校に通っていて上手だったし、テーブルもカッコよく飾ったさ。

でも、水の音がダメだったんだな。

『私、頑張ってマス。洗い物してます。あなたのタメにやってます』って感じで

水の音がとんがっていたのな。

オマエの水の音は、優しくて、安心して、聞いてると眠くなっちゃうんだ」

 

おまけに縁について話す。

縁というものには、悪縁も良縁もないという、運命の線の上に“縁”という出逢いが

用意されているが、それは、ただ縁が用意されているだけで、それを良縁にするか

悪縁にするかは、自分と相手の生き方次第、係わり方次第。だという。

 

 あーあ、自分はどんな水の音、出しているか。