美咲10 なまはげ

 

優しそうなお母さんと、男の子が、店に入って来た。

その子の名がケンだということは、母親がひっきりなしにその名を呼ぶことで分かった。

ケンは、店中を走り回る、品物に手を出す。

でも、その母親は子供の名を呼び続けるだけで子供を見ようとはしない。

 棚にぶつかりカゴに引っ掛かり、次々と何かを落としていく。

商品を手に取るので、触らないように注意すると投げ捨てて逃げる。

 そのうち「あー、そっちはダメー」という店員の声が聞こえた。

見ると靴を履いたまま、住まいになっている二階に上がろうとしている子供の姿が見えた。

 そして、止めようとする店員にパンチやキックをして階段を駆け上がって行った。

店員が暴れる子供を抱えて降りてきた。

母親は「私が外で『ここには二階があるんだね』って言ったから行きたくなっちゃたん

です」と言う。

「二階があるんだね、って言ったからって勝手に上がる子は居ないでしょ」

「居ませんか?」

「うーん、一年に一回もないね」

「そうですか、ウチの子は好奇心が旺盛なんですかね」

「さぁ」

「ここには何回か来てるんですけど、何時も声を掛けてもらってるから嬉しくなっちゃた

んですね」と母親は言うが、毎日終わった事は記憶に残さないようにしている美咲に

その子に覚えはなかった。でも、毎回声を掛けているということは、毎回気になって

いる子なんだろう。と思う。

 

 美咲が隣の部屋に移動すると話したそうな母親がついてきたが、子供は勝手にドアを

開けて道路に出て行った。

「一人で外に出たら危ないんじゃない?」と美咲が言うと、

「言ってもいうこときかないんです」と言う。

外を覗くと歩道を走り回り、道路を走る車にキックする真似をしていた。

今にも道路に飛び出しそうで、びっくりした車が派手にクラクションを鳴らす。

母親が暴れる子供の手を捕まえ、キックされながら中に入って来た。

それが面白くなかったのか子供は横にある座敷に寝そべり

「このブタが、なんだお前は、ブタおばちゃんか」と美咲に悪態をつき始めた。

 何故か母親は笑う。

笑いながら「そんなこと言っては駄目よ」と言うが子供はまるで意に介していない

ように見える。それどころか、親をバカにしているようだ。

 4歳で今年の4月には2年保育の幼稚園に入るというのを聞いて。

「ちょうど反抗期で汚い言葉を言いたい時期なんだね」と美咲が言うと、

「そういう時期があるんですか?」と母親。

「そう、みんなあるんだよね。言っちゃダメだっていうのを言いたい時期ってのが、

『ウンコー、だとかチンチンー、オシリー』なんて大喜びで言うんだよね」

「ウチは言いませんよ」

「言ってるじゃないの、ブタも同じで言っちゃダメな言葉でしょうよ」

 更にこの子には悪意があると美咲は思った。

「あのー、私心配なことがあるんですけど」

「何?」

「私の叔母の所に行くとこの子と話が通じなくなるんですけど、だから連れて行きたく

ないんですけどどうしたらいいですか?」

「通じなくなるのは、叔母さんの所に行ったからなの?」

「叔母がこの子をからかうんです。そうすると家に帰ってからもふざけてちゃんという事

きかなくなるんです」

「そうなの。でも、私は、問題は叔母さんじゃないと思うな」

「何だと思いますか?」

「大人を甘く見てるんじゃないかな」

「ええ、全然いうこときいてくれないんです」

「言うこと“きいてくれない”んじゃなくて、“きかない”んだよね。

子供を教育出来ない親に3つの問題があるんだって。

1つは、脅かしていう事をきかせる。誰かに怒られるよ、注射するよ、お化けがくるよ。

2つ目が、これやったら何かあげるよ、あそこに連れて行ってあげる。みたいな飴で釣る。

3つ目が、お願いだからやってチョウダイの拝み倒し。

これをやる人は“あげた、あげる”“くれた、くれる”の話し方をするんだね。

 脅しでもご褒美でも頼まれたからでもなくて、何が正しいことで、自分の誇りに掛けて

自分が何を行うかを決めたいんじゃないのかな、人間は。

で以って、この子はちゃんと筋を通したいんじゃないかと私は感じる」

「そうなんですか。

この間もお友達の親子と一緒にランチしたんですけど、ちゃんと座って食べてたんですよ

それなのに『ケンチャンお兄さんになったね、落ち着いたんじゃない』なんて余計なこと

言うから暴れ出しちゃって、この子誉めたらダメなんです」

「照れ屋でアマノジャクなのか」と美咲がケンの顔を見ると

「ブータブタ、バカのブタ」と唾を吐きだした。

「また、そんなことする」と言う母親は、また笑う。

美咲は、突然母親の中にある不安と混乱と逃げが見えた。

ケンは母親の目の前でも、店の商品を蹴ったり叩いたりして見せる。

 その度に母親は、笑って違うことに話を逸らす。

 

 どうしようと考えながら、仕事をし移動する美咲の後に母親はついてくる。

自然何か話すことになる。

何年か前、階段を上がっていた子供が居たことを思い出し話した。

美咲がぎっくり腰になって2階で休んでいた時の事だった。

何やらカタカタと音がしたので見ると、2,3歳の子が靴を履いたまま歩いていた。

「あれぇー、一人で上がってきたのかな?

おいで、ママ心配してるよ」と言ったが、その日は子供を抱けるような状態ではなかった。

 おどかさないように気をつけながら、「こっちにおいで」と一人で階段を下りさせとうと

したが、心配で「誰かー、この子みてやってー」と叫んだ。

 すると、店から見える階段の下に母親らしき人が居た。

良かったと思ったが、その人は

「あんた、何やってんの!早く下りて来なさい!置いていくわよ!」とスゴイ形相で

怒鳴った。

 それを見た階段の上の子供は「ウエーン」と泣きだした。

ぎっくり腰の美咲は、階段の上に立ったまま、店員を呼んだが聞こえないらしい。

 それでも何とか壁を伝って子供が下にたどりつくと、母親は子供をバチーンと叩いた。

そして美咲の顔も見ずに泣く子を抱えて居なくなった。

 美咲はあっけにとられていて、腰の調子が悪くて子供を下まで連れていけないという

ことを言えないでしまった。という話をした。

「スゴイ、親ですね」とその母親は言った。

「そうだね。

私、子供を育てるっていうのは、怒らないで教える。自分が実践して見せる。

っていうのが基本なんじゃないかと思うんだよね。

 自分が子供から目を離しちゃって人の家の2階に靴のまま上がっちゃったら、

先ず、『すみませんでした』って謝る。

そして、子供に『余所のおうちに勝手に上がっちゃダメなんだよ』って教えて子供に謝ら

せる。それだけのことだと思うんだ。

なのに、恥ずかしかったのかどうか知らないけど、謝らず、教えず、謝らせず。の

こりゃ、3大疾病(しっぺい)だよ」

「私、叔母さんとか友達とかに子供を怒れ怒れって言われるんですけど、子供は怒った方

がいいんですか?」

「あのさぁ、思うんだけど、今の日本ってボギャブラリーの貧困で道に迷ってるんじゃ

ないかな。

何でも”怒る”って一言で括ってしまっているけど”教える、諭す、戒める、叱る、指導

する”なんてことまで、みーんな”怒る”って言ってるんだよね。

私は、この子は、脅したり賺(すか)したり機嫌を取ったり、おだてたり、じゃなくて

筋を通して欲しいんじゃないかと思う。ちゃんと受け止めて欲しいんだと思う」

「どういう風にですか?」

「何でも最後まで決着を着ける。

『これ触らないで』って言ったら、手から離して元の所に戻す。それを自分でやらせるの。

お母さん、最後まで戻させないで『こっち見て』って話そらして終わりでしょ。

この子が何か話してきても、笑って誤魔化してちゃんと最後まで聞いていないよ。

だからこの子も何でも中途半端で逃げちゃってる」

 

 美咲は、子供の人とちゃんと向き合っていないいらだちが悪意となり、大人に対する

尊敬と恐れの気持ちを失わせているんじゃないかと思った。

 店の外に美咲が出ると、誘ったわけでもないのに親子がついてきた。

「この子は、一回”ヤキ”を入れないとなんないな」と美咲は言い、

「やるか?」と母親を振り返ると、母親の頷くのが見えた。

「ちょっと、ケンちゃん、話があるんだけど」

と、ケンの両腕に手を当てると

「ブタブタ!触るな!コンノヤロー」と手を振りほどこうとする。

その力は子供とは思えない。

 唾を吐き、それをよけようとして強くつかんだら痛いだろうと手加減していた美咲の

手が緩みケンの拳で思いっきり顔面を叩かれた。

その痛みは鼻血でもがでたかと思う程だった。もう唾が掛かってもよけるのを止めた。

「何をするの!」と言った母親がまた笑い始める。

「この子が真剣になろうとしている時に、笑うんじゃない!」と美咲は怒鳴った。

 人は本気で向き合う前に逃げの気持ちがあると何故か笑う気がする。

そして、恐怖の時も、悲しみの時も、それが極致に達した時、引き攣った顔は笑った顔に

見える。

 

「もう、お母さんケンちゃんのこと置いていくよ」と母親が言うと、

「いいよ」とまだ、ケンの顔はふてぶてしい。大人を甘く見て高をくくっている。

「はい、じゃ、お母さん帰って下さい。この子はウチで預かります」

 母親が背中を向けた。

「ケンちゃん、今夜はおばちゃんと寝ような」

「いやだ!バカ」

「だって、自分が『いいよ』って言ったんだよ」

「いやだー、ママー、ママー!」とまた暴れ出したが、

「いやでもダメだね」

ケンが唾を吐いても、もう美咲はよけようとしなかった。

先ほどは遠慮していたが、もう情け容赦なくがっちり掴んだ腕はびくともしない。

 ケンの顔は、本気の恐怖の顔になった。

「分かりました、分かりました。もうしません、ごめんなさいごめんなさい。

謝ればいいんでしょ。ボクが悪かったです許して下さい、ごめんなさい」という言葉が

ペラペラと口をついて出てくる。

「黙れ」と美咲は言った。

それでも、「ごめんなさい、ごめんなさい。許して下さい、ごめんなさい」と言い続ける

ケンに

「黙れ、そして、話を聞け」と静かに美咲は言った。

震えながらケンは自分の口を押さえた。

「何がごめんなさいなの?」

「二階に靴で上がったことと、お店の品物触ったことと、落としたことと、唾を吐いた

のと、ブタって言ったのとキックしたこと」

 頭の良い子だな。と美咲は思った。そういえば店の中の文字もひらがなもカタカナも

すらすら読んでいた。

母親は何でもすぐ覚えるけど、それで周りをバカにするのが心配だと言っていた。

この頭の良さは野放しにして手綱をつけられることがなければ、そして心を育てなかった

ら凶器になると思う。

 

「謝ればそれで終わりじゃないんだよ。やっちゃいけないことは、やらないの」

 コクコクとケンの頭が動く。

「もう、いけないって分かっていることは、やらないな」

ウンと頷いた。

「おばちゃん、唾掛けられて気持悪かった」と言うと、ケンは自分の服の袖で美咲の顔を

拭いた。

「おばちゃん、顔、叩かれて痛かった」と言うと、小さな手で美咲の顔を撫でた。

「パンチされてキックされて痛かった」と言うと、美咲の腹を、足をさすった。

小さな柔らかな可愛い手だった。

 途中から戻ってきた母親の顔がびしょ濡れで、ぬぐってもぬぐっても涙が出ていた。

「ママ、何で泣いてるの?」

「ケンちゃんのママは、ケンちゃんが大好きで、世界一大切なんだって」

「ふーん」

「よし、最後におばちゃんに抱っこさせて」と言うと

ピョンと抱きついてきたケンは震えていたが、美咲もガタガタ震えていたことに気が

ついた。

 ヤモリのようにしがみつくケンをギュっと抱いて、その背中を撫でると目から熱いモノ

がこぼれ落ちそうになった。  鬼の目に涙。ってか。

 

「じゃ、最後のお仕事な。

中に居るおばちゃんにもキックやパンチしたでしょう、謝ってきな」

「してないよ」

「ウソとくんじゃないよ、二階に上がった時キックしてた、おばちゃん見てたんだからな」

「見てたの?」

「そうだよ、ウソはダメだよ。ゼッタイ分かるんだよ」

「うん」

 ドアを開けてやると、レジの所に行ったケンは、

「キックしてパンチしてごめんなさい」と言った。

「あと二階」と美咲が言うと

「あと二階に行ってごめんなさい」

「はいよ、もうしないでね」

「うん」

 

 それから、母親が友達のプレゼントを選んでラッピングを頼んでいる間、ケンは憑き物

が落ちたようにおとなしくなって落ち着いた。

 素直になって「これは、何?」と聞く時も品物に触らないようにそっと指差すしぐさが

いじらしく愛しかった。

 

「ここにプリンがあるよ」とケンが母親に教えると

「それ、壊れ物だからね、落とすと壊れるよ」と母親が言うのを聞いて

「ほら!それは会話になっていない」と美咲は言った。

「『プリンがあるよ』って言ったらプリンについて話すの『そうだね』でも『プリンおいし

そう』でも、同じ土俵で一緒に会話するんだよ。

親は何時でも何か教えなきゃいけない。っていう強迫観念みたいなのを止めて一緒に

楽しめばいいんだと思うよ。

幼稚園までしっかりこの子を受け止めて、ちゃんと目を合わせて、ゆっくり最後まで話を

聞く。聞いてあげるんじゃなくて、聞くんだよ」と言いながら

お母さんとケンちゃんは、一緒に成長していくんだなと美咲は思った。

 

 お茶で席を外していて戻ってきた店員の一人が、

「別の子が来たのかと思うほど変わっててビックリしちゃった」と言った。

 キックされて謝られた彼女は、

「最初は可愛げがなくて手がつけられない子だと思ったけど、『ゴメンナサイ』って言った

時、私を見る目が真直ぐで真剣で、何て可愛いんだろうって思っちゃった」と言った。

 

帰り際、「ケンちゃんがいうことを聞かない時はおばちゃんが行くぞ」と言おうとして

やめた。

 彼は彼の誇りに掛けて、脅しや誉められる為でなく、正しく生きていくんだ。

 

 その日は、なまはげ行事の行われる小正月だと知って、美咲は思った。

ワシは”なまはげ”かーい。と。