納豆

 あるテレビ番組での捏造が取りざたされ、その番組が終了となった。

そのきっかけになったのは、納豆の効果を必要以上に示そうとして、実験結果を都合の

いいように捏造していたことが明らかになった為だ。

 最初に言っておくが、納豆には罪はない。

これが“誉め殺し”というやつで、誉めて逆にその信用を失わせることをいうが、

勝手に事実(ウソ)を作り上げ、捏造し事実を捻じ曲げ、過大評価をする。

必要以上に誉めることで逆に信用を失い、評判を落とすということになることは多い。

一度持ち上げられた評判は、それが違っていた時に、それを突き落とすことによって、

罪滅ぼしや腹いせの標的にすることが多いことに、自分たちも気を付けたい。

 

 ここで、いつもの歎異抄が出てくる。

「チガーんだよ」と思う。

何かの後に結果がついてくるのであって、結果のために都合のいい事実を作りあげて

いくことは、筋が、道が、チガーんだよ。

それを捏造(ねつぞう)というんだ。

研究に限らず、仕事に閃(ひらめ)きは、必要不可欠なものだ。

しかし、そうであることを切望するあまり、それを認めさせることが先行し、それを

証明する為に、ありもしない研究結果を出してきたり、言っていないことを言ったとする

ことを、でっち上げという。

 権威を持つ者のところで、これは発生しやすい。警察、学校、報道、研究、政治家…。

 

 総ては、案外簡単なことなのだと思う。

事実を、邪心を持たない眼で見て、その事実を捻じ曲げずに伝えればいいだけのことだ。

 なのに、人を驚かせたい、喜ばせたい、感動させたい、から始まって

人の関心をかいたい、認められたい、優位に立ちたい、やっつけたい、思い知らせたい、

と、何処からが邪心になるのか、私情が入ってくる。

 

レオナルドダヴィンチは

「“画家は”、万能でなければならない」と言った。

それを私は、“人は”と、解釈し“作家は”としている。

総ての物事に、捏造や捻じ曲げ、でっち上げがあってはならない。

そして彼は、「ありのままに描け、事実を美化してはならない。美しいことが、必ずしも

いいこととは限らない」とも言う。

 

納豆は身体に良いことは事実だ。

しかし、心臓病の人で、血液をサラサラにするクスリを飲んでいる人が、納豆を食べると

クスリが利かなくなって脳血栓になるんだそうな。

長島監督がそれだったと、ある人が言っていた。(本当かどうかは、自分で調べてくれ)

痛風の人は、大豆製品を食べてはダメだと聞いた。

だから、納豆、味噌汁、豆腐、油揚げなんぞは大敵なんだそうだ。(これも、興味がある人

は、自分で調べな)

 

グレープフルーツは、高血圧の人の血圧降下に効き目があるという。

しかし、それも血圧のクスリを飲んでいる人にとっては凶器となるそうだ。

クスリの効き目が強くなりすぎて血圧が下りすぎてタイヘンなことになるのだという。

 何事も、その適材適所というか、当てはまった時に効き目があるモノは、当てはまらな

いものには毒になる。

 効き目もなければ、その反作用もない物を“毒にもクスリにもならない”というが、

“毒もクスリ”と言う。プラスとマイナスは同じ線上にある。

健康で何のクスリも飲んでいない人にとって良いことでも、万人に良いことではない

ということは、頭に入れておくべきだ。

誰もが自分は普通だと思って生きている。

でも、蕎麦アレルギーの人は、マンジュウに入っている見えない蕎麦粉で呼吸困難に陥る。

 蛇が大好きで頬ずりする人も居れば、蛇を見て卒倒する人もいる。

その人にとって良いと思うことが、誰でも同じに良いこととは限らないのだ。

 

グレープフルーツで思い出したが、以前にある人がスーパーでグレープフルーツやバナ

ナの空き箱を貰っていた。

それを、どうするのか?と聞いたところ、衣装箱に使うのだという。

季節が変わって使わない衣類をその箱に入れておくと、衣類に虫が食わないのだという。

 ギャー、と思った。

グレープフルーツは、輸入する際に防虫剤だか防腐剤だかを使用するのだが、あまり強力

なので直接使えず箱に染み込ませていると聞いたことがある。(本当かどうか分からない)

 そこの子供はアトピーがひどく、首から頬にかけてカサカサと赤みが痛々しい。

その因果関係は分からないが、その人にグレープフルーツの箱の話は一応伝えた。

 その先は自分で考えるだろう。

 

 どう?このナットウの話、ナットウクした?

まあ、ナットウ食って納得してよ。