ネズミ

 

 ハーメルンの笛吹き男という話がある。

元々はグリム童話に対抗してまとめられた民族伝承の話だということだが、あんまり詳

しく書いていくと私のしたい話からそれてしまうので、簡単にまとめる。

 

 ドイツのハーメルンでネズミが増えて街を荒らし、そこに暮らす人たちは困っていた。

そこへ、色とりどりの服を着た男が現れ「ネズミを退治してやろうか」と言ってきた。

 喜んだ街の人たちは「お礼をはずむから退治してくれ」と男に頼んだ。

男は、フトコロから笛を取り出し吹き始めた。

 すると、街のあちこちからネズミが現れ男の所に集まった。

男は、そのまま笛を吹きながらウェーザー川に向かい川の反対側から笛を吹いた。

ネズミたちは、次々と川に飛び込み一匹残らず溺れ死んだ。

 街に戻った男は、街の人たちに「報酬をもらいたい」と言った。

すると、その一部始終を見ていたはずの街の人たちは

「あれは勝手にネズミが川に飛び込んだので、お前が退治したんじゃないだろう」と、

報酬を払おうとしなかった。

 怒ったおとこは、一度、街から出て行ったが6月26日に再び街に現れた。

そして笛を吹き始めると、今度は街の至る所から子供が出てきた。

 笛を吹く男の後を130人の子供たちがついていき、山の洞窟の中に入っていくと

子供たちは、二度と再びそこから出てくることはなかった。

 

 ドイツの碑に、男はマグスと記されているらしい。

マグスとは、悪魔という意味らしい。

 へー、約束を守らず男を怒らせた街の人たちは悪魔以下じゃないか、と私は思う。

困った時は安請け合いをして、ってこの場合は簡単に約束をして、喉もと過ぎればナン

とやらで、簡単に平気で約束を破る、ズルイ、汚い大人たち。

 こういう大人の街で、子供たちが幸せだったとは思えない。

 

 この話にはいろいろな説があるが、足の悪い二人の子供だけが街に残ったという話と

盲目と聾唖の二人の子だけが残ったという話がある。

 

 ネズミという動物は先を読む力があると聞く。

火事になる所や沈没する船からは、一斉に出て行くのだというが、子供にもその力が

ある気がする。

無邪気という言葉は、子供のためにある言葉だ。

邪気が無いから、無邪気な子供に、悪魔が寄ってくることは出来ないのだという。

 

ネズミは、自殺することがあるとも聞く。

ある島で生態系が変わりネズミが増えすぎ、食料危機でこのままでは全滅だというときに、

ネズミが集団で海に飛び込むのを見た人がいるという。

 その話には、オマケがあった。

そのネズミはレミング(たびねずみ)といって泳ぐ種類らしいのだ。

 その崖からは海しか見えない。何処までも続く海の先の、見えない島に向かって

レミングは泳ぎだしたというのだ。

 それは、集団自殺ではなく希望に向かっての出発だった。

 

 今年は、戊(つちのえ)子(ね)の年だ。

“戊”とは、山の象徴でどっしりと不動で、あらゆるものを土に還元し、また新たに

再生するという意味があるらしい。

“子”は増える。種子の中に新しい生命が芽生える様子を表しているとされるという。

 

 私は、幾つかの“ハーメルンの笛吹き男”を読んできたが、子供の消えた街からは、

笑いも消えてしまったというものもあった。

 そして、時々山の中から子供の笑い声が聞こえてきたという。

 

 終わってしまったことは、過ぎてしまったことは仕方がない。

でも、何時からでも、新たに再生し、出発することは出来る。と、そう思う。

 そう、信じている。

 

 PS 1月29日

今日、子年で今年還暦を迎えるという人が来た。

 子という字は了という字が、おしまい終了を表して、一が始まりを意味していると、

その人が教えてくれた。

子年は干支で最初の年となる。

 還暦という年は、暦が還るという年だという。

だから、赤ちゃんと同じ赤いちゃんちゃんこを着てゼロから生まれ変わって新しい人生が

始まると聞く。

 今年は、世の中にとっても、その人にとっても、新しい門出になるような気がする。

門出だからって良くなるか悪くなるかは、決まっていない。

 自分が良くなる努力をするかどうかが勝負だ。

何時だって、結果は後からついてくる。

 明るい気持ちを持って、楽しんで、どれだけ心を込めて行えるか。

                        あー、ガンバロウっと。