父と母、入院

 

午後3時、病院に行く。

3階の窓から覗く父の姿。

 私が来るのを、何時から待っていたのかな。

2階にも、入院して毎日待ってる母が居る。

 

 先ずは3階に上がり、洗濯してきた父の着替えをロッカーに入れる。

毎日届ける新聞、毎日届ける干し芋とヤクルトのお蔭か、腹の調子が良くなった父。

12月22日(木)に、腰が立たなくなり救急車を呼んで入院した父。

繊細で気にしいの父は、色んな事が気になる。

 爪切り、メモ用紙、靴下、新聞、弁当の停止、支払い、カレンダー、カミソリ、等々。

で、毎日何かしら届ける。

病院の準備でパジャマを買おうとすると、勿体ないから買わなくて良いという。が、

看護師に持ってきてください。と言われる。

靴下に穴が開いても、自分で繕うからいいと私に負担を掛けまいとする父。

孫(父にとってはひ孫)のビデオを見せると、「いくら見てても飽きないな」と言った。

今日は、お風呂の日(火と木)洗濯物を持ち帰る。

 

それにしても、父が入院した日の朝7時前、父からの電話。

「麻子、腰が痛くて動けなくなった救急車呼んでくれ」

「はいよー、すぐ行くよ」

私の家から車で3分の父の家。

父の家に着くと、寒い玄関の外にステテコ一つの父が夕食の弁当ケースを出している。

「何?歩けんの!」

「いや、歩けないんだ」

「歩いてるじゃん」

「いや、ようやくなんだ」

「でも、歩いてるじゃない」

「だけど、弁当出していかないと」

「そういうことは、私がやるからお父ちゃんはじっとしてて」

「いや、やれることはやっていかないと」

「それが出来る人は救急車呼べないよ」

「いや、どうしようもないんだ」

「だったら中に入って横になってなよ」

ウンウンと痛みに唸りながら家に入る父。

電話で救急車を呼ぼうとすると、直通で呼べるようになっているからそれで呼んでくれ

と言う。

「ボタンを押すとすぐに来てくれるんだ」というが、なかなか来ない。

そして、遠くから何か声がする。

その親機は別の部屋に置かれていて「救急車呼びましたか」と言っている。

何をどうしたらいいか分からず「どーしたらいいですか」と言うと、向こうに聞こえて

「救急車発動していいですか?」と。

「はい、お願いします」と言うと、こちらの住所氏名が返って来た。

そして、救急車が来て父が乗せられたが中々出発しない。

私は、便所に行きたくなっていた。が、救急車は中々出ず、若しまた何か聞かれたらと

玄関は閉められない。というまるでコントのような状態が続く。

病院についてMRIなどの検査から昼ごろ入院が決まる。

書類を書き、保険証を出して下さいと言われたが、救急隊員に渡したので手元にない。

受付で、「保険証はこちらですか?」と聞くと「分かりません」とそっけない態度。

それが、そりゃー冷たいんだから。

「あのぉ、先ほど救急車の人に預たんですが、救急処置室の方ですかね?」

「分っかりません!」

このやろう。と思ったが、処置室に顔を出して聞くと「あら、ごめんなさーい。

預かってましたー」

前日の夜、私を呼ぶのを気遣い一晩我慢していた父への想い、と、何だか面倒な書類

私は、書類が苦手だ。えーと、えーと、としかめ面で書類を書いていたら、

そこに歩いてきた看護師さんが足を止め、

「あら?可愛いマスク」と、私の顔を見て言った。

その瞬間、私は自分が猫の模様のマスクをしていることを思い出した。

「そうですか?」と言うと、

「可愛い〜」とその人は白いマスクの目を細めた。

 よかったねその笑顔。自分、そっちの人になろう。って、笑顔になった。

 

母は、今日は珍しくよく眠っていた。

ちょっと触ると、目を開けてちょっと微笑んだ。

毎日、何処か痛いと言い、腰の下などに手を入れて揺らして両手が腱症炎だ。

今日は頭をなでると、またすぐに眠ったので、そのまま帰る。

母は、飲まず食わずになって、点滴だけになって2カ月が過ぎた。

意識がはっきりしている日と、ぼんやりしている日がある。

でも、いずれも「おかーちゃーん」と言うと律儀に「はぁい」と答える。

落ち着いた日(11月10日)に、私が礼を言い、母が礼を言った。

母が下血して入院したのが、去年の8月末、それまで毎日施設にご飯を食べさせに

通っていたのが7月に孫が生まれ、夕方に行かない日が続いた後だった。

病院に連れて行くと、検査の度に私を呼ぶ母。

負けず嫌いで、マッサージしていても、いい時は何も言わず、違う時だけ文句を言う。

 頼んでおきながら、「もう、そこらでおしまいにしな」と言う。いと面白し。

 

母の毎月の病院通いは30年を超えた。

最初は友部で片道1時間は掛かったかな。

春夏秋冬、季節の移り変わりがあって、桜が満開だったり新緑があって、夏の風の中、

紅葉の時、晴れの日、雨の日、雪の日もあったな。

その後、東京の病院になったり、近くの病院になったり、肝臓を守るキョーミノ注射

ってのが、週に2回することになって、何年続いたかな。

母は、自分勝手な所と淋しがり屋な所、思いっきり情の深い所があって、可愛い人だ。

ずっと勝手に喋っているが、約1日一緒に居ると思いもかけない面白い話が出て来る。

 ただ失礼かと思いきや、社会をスパッと切り取ってする話には本当に感心する。

ただ、そういう時に誉めたりなんかしたら調子に乗って話がワヤになるので要注意だ。

本も読んだなぁ。

30年以上、毎月1回からそれ以上だから、400回か!?

病院で待つ間、私は殆ど本を読んでいた。

何故なら、母は耳が遠くて声が大きい。

所かまわず実名と地名を言う。そして、その内容が、危険。なのだ。

という訳で、自分は本を読んでいるから話しかけるな。というスタンスを取ってきた。

だから、病院で読んだ本は何百冊になるかな。

病院は大変だ。と思われがちだが、普段日中に腰掛けることなど殆どない私は、病院で

疲れを取る。

 待合室で本を読んだり眠ったり、眠って夢まで見てしまう始末だ。

 

 私に「大変ね」と言う人が居るが、そう言わせるワシが悪いのかな。

事実を言ってるだけで愚痴っぽく聞こえるのかもしれないけど、そう大変でもない。

「親なんだから見てあげてね」と言う人もおるが、親じゃなくても必要とあらば見るぜ。

 だしぃ、やりたいからやってるだけで、みて“あげて”ねえし。

以前は、そういう人に大分ムカムカして怒ってきたが、最近はそれを観察するのが面白い。

本当に親の面倒を心からみていない人程、「やってあげてね」「やっておくとあなたの

子供がその姿を見てあなたの面倒をみてくれるわよ」ってなことを言う。

きったねぇなぁ、見返りばっかし求めてんじゃねえよ。

「長女なんだから仕方ないのよ」と言う人が居て「仕方なくないよ」と言うと

「仕方ないのよ!あきらめなさい!」とその人は言った。

あのぉ、本当に仕方なくないんですけど。私、親の面倒を見られることが本当に幸せ

だと思っているんですけど。

あと、違う所に話を持って行くなよ。って思う。

子供の話で「出来ない人も居るんだから」って、なに!?

食べたくない時に「食べられない人も居るんだよ」って、

親の介護の話で「もっと大変な人も居るんだよ」って言うヤツがいるんだなぁ。

自分が優位に立ちたい負けず嫌いの人って、ヤだな。メンドクセー。

評価と比べることを止めろ―。話をすり替えるなー。

 

この正月は、31日から宅配弁当が休みで、三が日デイサービスが休みの父と毎日酒を

一緒に飲んでメシ食おうと思って、生協と生活クラブからしこたま食料買い込んだのに

父の入院でそれがなくなった。

お蔭で、元旦は戦争を書いて、今日もこれ書いた。グレープフルーツのチューハイ

飲みながら。

昨日は、孫と一日中遊んだ。そして、明日は仕事でチョー楽しい。

何でもいいんだ、何やっても楽しい。

          こんなに幸せでいいんかな。って、正月から酔ってま〜す。