オバサン

 

「オバサン、ちょっと来て!」と30歳位の子連れの母親に呼ばれた。

何だかムッとした。

話をしていると、3,4歳の娘がしきりに母親に話しかける。

しかし、綺麗な身なりで鼻に掛かった声で話す母親は、全く答えない。

そのうち、娘が

「オシッコ、オシッコ、漏れちゃう、漏れちゃう!」と騒ぎ出した。

それでも母親は知らん顔で、返事をしない。

「オシッコって言ってますよ。トイレは我慢させちゃダメですよ」と言うと

「違いますから」と母親は言った。

「何が違うんですか?」

「何か欲しいものでもあるんでしょう」とやっと母親は、娘の行く方へ行った。

成る程、店の中に買って欲しい物があったようで、間もなくオモチャを手にした娘が

店の中を歩いていた。

  

 狼少年を作る母親

ウソでも付かなければ、振り返らない母親。

 

その母親が、ずっと娘へ言っていた言葉。

「あー、何やってんの!」

「フラフラしないで!」

「あー、もう、ママ嫌だからね」

「あちこち行かないでよ!」と言いながら、傍にいると邪険にする。

娘が話しかけても、返事をしない。

娘は、母親の友人の後を追うが、その人は1歳になる自分の子供の後を追うので精一杯だ

った。

娘は、ダメだと言われても、一人で店の外に出て、道路を這う蟻をずっと潰していた。

母親は、蟻を潰す娘に関心がなく何も言わなかった。

 

彼女の無言の声が聞こえない母親。

話しかけても聞こえないんだから、聞こえる筈はない。

 

 

この“オバサン”を載せた後、何だか気分が良くなかった。

私は、子供が話しかけても返事をしない親が気になる。

その気になり方は、時によって憎悪にさえなる。

自分が、そんなに気に掛ける必要はない。筋合いではないと言い聞かせるのだが、

「返事をしろ!オメーは耳が聞こえねえのか!」と胸倉つかんで揺す振りたい衝動に

駆られる。

今日も、「コレ、何?」と繰り返し訪ねる子供に全く返事をせず、ようやく出た言葉が

「触らないで!」だった。

「どうして?」と子供が尋ねると、またもや返事をしない。

 

 何故、返事をしないんだろう?と思う。

 

そして、これを出してから何故、気分が悪いのか?と考えていたら、知人が来た。

その人に話していて気が付いた。

返事をしない大人も嫌だったが、返事しない大人を、切って捨てようとしている自分に

も嫌悪を感じていたのだ。

 偽善者っぽい言い方だが、誰も何も切り捨ててはならないのだと思った。

私が、その人をどう思おうとその人の人生が変わるわけではないが、返事をせず邪険に

する人が、気が付いたらいいと思っている。

心の奥底に隠れてしまっている愛や優しさ、柔らかな気持ちに…。

どんな人間にも愛があり葛藤がある。そして、乗り越えなければならないことがある。

自分の気持ち、言動によって人の幸不幸を左右していることに気が付いて欲しい。

人は、幸せになる権利と義務があると思う。

それは、形の上での幸せでなく、本当の幸せにだ。

幸せも意地悪も、伝染するから。

 

これを、書いていたら偶然に話すことになった人達がいた。

話が通じると思え信頼感を持てる人達だった。

 この人なら私の気持ちを分かってもらえると思った。

〜してもらえるという発想が嫌いだと断言している私が、分かってもらえると思ったのは、

その時の私が、余程疲れて何かを求めていたのかもしれない。

 自分の中にある思いを、機関銃のように吐き出すと、その人達は精神科の看護婦である

ことが分かった。

妙に納得して、更に勢いづいて懺悔のように話していると、その中の一人が、

「あなたは、面白い魅力的な人だわ。でも、ゆっくり話したらもっと魅力的な素敵な人に

なると思うわ」とゆっくりとした口調で言った。

その言葉に、重ねて納得すると同時に、自分はひ弱なダメな人間であると感じた。

 次の瞬間、そこに居た仲間が笑った。

「なによ!」と話した彼女が振り返ると

「その言葉は、誰に向かって言ってるの?」と仲間の一人が聞いた。

「えへへ。

実は、そう言ってる私が一番早口で、興奮すると口の端に白い泡吹いて早口で喋りまく

っているんでーす」と冷静に私の話を聞き、アドバイスした彼女が言った。

「そうでしょう。全く何を偉そうに言ってるのかと思ったわよ」と仲間が言うと

「すみませーん」と彼女が頭を掻いてみせた。

ホッとした。皆、思うようには生きていないんだなと思うことが、私の救いになった。

そして、思った。

自分に不足しているのは、これだ!と。

 私は、何時だって迷っているし、自分がちゃんとしているなどとは思っていない。

でも、私が自分はこうありたいと思うことを書いたり述べたりしていると、人は、私が

自分の事を完璧だと思い迷うこともなく自己否定することもなく生きていると思うらしい。

あのー、そんなこと思ってませんからー。

 だけど、私の考えが批判的であることは事実だ。

そして、その批判の気持ちが、人を悲しい気持ちにすることも事実のようだ。

以前に年寄りに対して失礼な人の気持ちが分からないと言ったことがある。

年寄り(90歳)が、話しかけても返事をせず、

「これはどうなっているんだ?」と質問するその人に向かって

「年寄りは黙ってろ!」と言う人を見た。

その話をして

「私は、その人の気持ちが分からない!」と言った。

そこには、年寄りを邪険にする人への軽蔑が含まれていた。

それを聞いたある人が、突然、激怒した。

そのことに直接関係ないその人が、何故急に怒り出したのか、今の今迄分からなかった。

そのことが、今、分かった気がした。

分からない!と突き放されることの悲しさに気が付いたのだ。

 

若しかしたら、一番救われるべき人は、子供年寄りではなくて、

その者たちを邪険に扱ってしまう意地悪をしている、その人なのかもしれない。