おはなのくに  (えのない えほん)

 

“おはなのくに”が ありました

“はな”たちは みんな おひさまが だいすきでした

だから みんな おひさまをみて さきました

そのなかには はずかしがりやも おりました

でも やっぱり

おひさまが だいすきでした

 

あめも すきです

やさしい あめ

つめたい あめ

つよい あめ

のどをうるおしてくれる あめ

あめが なければ

“はな”は しんでしまいます

 

そして かぜ

“はな”を ちらし へしおる

ときどき あめと てをくんで いためつけます

「かぜって やなやつ」

「かぜは いやだよ」といいながら

みんな ほんとうは かぜが すきでした

かぜが ふくと わくわくするのです

かぜと たびが できるのです

 

「ずっとここで そだってきたんだから

ここがいいのよ」

「あぶないまねを するんじゃないよ」と

としよりたちが いっても わかものは ききません

かぜにのって どこかとおくに いこうとします

そのために すこしずつ たねのかたちを

かえたり くふうしたり しました

それは としよりたちも やってきたことなのです

 

“はな”は うごけないので

たねをとばすことで たびをするのです

ここにのこった“はな”たちは そのさきでなにがおきたか

どうなったのか わかりません

でも かぜのたよりに

とおくにみえる あおいやまの もっとむこうに

なかまの“はな”が むれてさいたと ききました

のこった“はな”は

「やったぜー」とさけびました

 

“はな”たちは どこにいっても

おひさまが みていてくれることを わかっていました

おひさまは わらっているのか おこっているのか

“はな”たちには わかりません

ただ おひさまが すきでした

だから きれいにさいて よろこんでもらおうとしました

「べつに おひさまのために さいているんじゃないよ」と

いうものもいましたが

ほんとうは やっぱり おひさまが すきでした

 

おひさまは なにもいいませんが

“はな”たちは りっぱに きれいに さいたほうが

おひさまが よろこぶと おもいました

“はな”がさいて いちばんきれいな さかりのとき

みないっせいに ほこらしげに

おひさまにむかって かおを あげました

それは すばらしい こうけいでした

としよりたちは じめんに すわりこんで

それを みていました

 

その すばらしい“はな”たちのなかに

ひときわ うつくしい“はな”が いたのです

「わたしは うつくしい」

あふれるよろこびを おさえきれず “はな”は いいました

そのとき

(おひさまは わたしを いちばん あいしてくださっている)

その“はな”は そう かくしんしたのです

(おひさまの おそばにいきたい)

そのおもいは きえることなく

ひにひにふくれあがり つよくなっていったのでした

 

そして かぜにたのんで はじめたのです

“はな”の ぼうけんは かぜまかせが おきて でした

それは いままで

いちども やぶられたことは ありませんでした

でも その“はな”は じぶんで いきさきを きめたのです

かぜに たのみ どうぶつに へばりつき

とりに たべられるという あらわざも

やってのけました

 

それから “はな”は

どこへ いったのか

ゆくえしれずに なりました

 

そして…いつか

だれものぼったことのない

いちばん たかいやまの てっぺんに

たどりついたのです

 

“はな”は おひさまに かおを むけました

でも

そのかおは あのうつくしい はなやかな“はな”のかおでは

ありませんでした

それは “おはなのくに”のなかの だれよりも

じみで つましいかおで ありました

だけど

そのかおは よろこびで

かがやいておりました

 

“はな”は しったのです

うつくしくても うつくしくなくても

おひさまに おなじに あいされているのだと…

わかくても としをとっても おなじに あいされているのだと…

とおくにいても ちかくにいても おなじに あいされているのだと…

 

“はな”は しあわせ でした