お飾り売り

 

栞が中学2年になった年だから1993年、奈々の店が、オープンして半年が過ぎた

頃だった。

店の開店は、夕方の6時から7時、その頃はバイトの娘(こ)が、一人だけだった。

師走に入ってつるべ落としの夕暮れは、あっというに暗くなる。

“冬至十日前”といって冬至の10日前の頃が、一番陽が短いらしい。

 

まだお客の来ていない時間だった。

奈々が女の子とお絞りを畳んでいると、男が入ってきた。

「どーも」と言って頭を下げたその男は、ヤクザのニオイがした。

 ちょっといい男だったが、下からすくいあげるように見た目が、笑ってはいるが

喧嘩を売っているように見えた。

「どーも」と笑顔で答えたが、奈々に負ける気はなかった。

案の定、男は近所のヤクザの若い衆だった。

若い衆といっても30代後半の年頃で、正月のお飾りを売りにきたのだという。

「ウチはいりませんからぁ」と奈々は柔らかく言ったが、

「一つくらい付き合ってくれてもいいでしょう」と男は後に引かない。

奈々は、男を待たせておいて、その日来ていた秀作の居る奥に行った。

「今お飾り売りの人が来ているけど、私は、ああいう人間と関わりを持つのは嫌!」

といきり立つ奈々に、

「お飾りの一つくらい付き合っておけよ。

あんまり依怙地(いこじ)になるとかえって面倒なことになるぞ」と急ぎの見積もりを

作っていた秀作は、振り返りもしないで言った。

 奈々は、長いものに巻かれるのが嫌というより、我慢がならない。

子供の栞(しおり)が、奈々にそっくりの性格で脅しやオダテ、何かで釣ろうとしたり

すると拒絶反応を起こす。

秀作は何かを頼む時、ただ言えばいいことを、栞がやらないと言ってもいないのに、

「これをやらないと、今度の旅行に連れていかないぞ」などと余計なことを言う。

すると、「それなら、やらない」と栞(しおり)は言い出し、

「本当に旅行に連れていかないでみろ!」などと怒り出す。

黙っていれば素直に聞いただろうことを、秀作は栞を試すかのように、必ずといって

いいほど余計な何か言って栞を怒らせる。

 奈々はそれを怒りながらも、若しかして秀作は栞の硬い性格を訓練して直そうとして

いるのかもしれないと思うことがある。

 しかし、栞と同じ性格の奈々も商売で苦労することで、我慢することを覚え出した。

その日も、秀作に愚痴をこぼしながらも、安いお飾りを一つだけ買うことにして店に

戻った。

「アリガトーヤース」と男は頭を下げて帰った。

 

その翌年も、その男は来た。

前の年と同じでということで、お飾りを買った。

お飾りの注文取りは、師走に入ると来て、お飾りは暮れに届けられる。

一夜飾りは良くないということで、晦日は飾らず、その前に飾る。

飾れなかった時は、年が明けてから飾る。

 その翌年もお飾り売りは来た。

奈々は、そのお飾りを、他所では2千円で売っていると言ったことがあったが、

男は怒りもせずに「ユズリハダイダイウラジロって言って、ユズリハと橙(だいだい)は

先祖代々代を譲るっていって、裏白は裏が白くって腹黒くない、って縁起モンなんすけど、

他所のは橙の代わりにミカンを使ったり喜昆布(よろこんぶ)の昆布が、紙のニセモノ

だったりするんすよ。

でも、これはみんなホンモノを使ってるんですよ」と説明し、

「商売は浮き沈みが激しいのにココは何時も流行ってるじゃないですか、私もココに

来るようになってから生活が落ち着いてるんですよ。縁を切らないでやってくださいよ」

と言ってお飾りを置いていった。

男は最初の印象よりおとなしくて真面目だった。

奈々の店は年々、景気が良くなり客数も増えて、店の横の小さな駐車場だけでは、足り

ない位になっていた。

 

 その年1996年は、いつもの男でなく、ニキビ面の痩せた兄ちゃんが来た。

その痩せニキビは、客が居て忙しい時間帯に、遠慮会釈なく店に入ってきた。

そして、「いつものでいいすね」とアゴでしゃくるようなその言い方に、奈々はカチンと

きた。

「いつものって幾らでしたっけ?」と勝手に高い物でも持ってこられたら嫌だと思って

聞くと、「5千円でしょうよ」とニキビは言った。

「あれ?5千円でしたっけ?4千円じゃなかったですか?」と奈々が言うと、

「少し位の金額でゴチャゴチャ言うんじゃねえよ。

いつも店の前に車が並んでて儲かってんだろが、少しは地元に金落としたってバチも

当んねえだろぅが!」という巻き舌で奈々がキレタ。

「なぁにぃ?!

私はお飾りが5千円だったか?と聞いただけで、そういう口を利かれる覚えはない。

やっぱり、買うのは止めることにした。もう、いらない、今後一切来なくて結構ですから!」

ニキビ男は何か文句を言いたそうにしていたが、奈々の剣幕に何も言わずに帰った。

 

それから何日もしないで、いつもの男がニキビ男を連れて店に来た。

「姉さん、申し訳ありませんでした。こいつが失礼な口を利いたみたいで」

「いや、ベツニ。でも、今年からもうお飾りはいらないから、来ないで下さい

今年からお飾りは飾らないことにしたんです」

「でも、姉さん。

お飾り、最初に来た時に4千円からだって言ったら、4は数が悪いから5千円のに

するって言いましたよね」と男が言った瞬間、奈々は(あっ!)と思い出した。

「あー、そうそう、そうだった」

「ウチの若いヤツの口の利き方が悪かったのは許してやってください。

これから気を付けさせますから、これで縁が切れっちまうのは淋しい気がするんですよ」

 奈々もたかが5千円のお飾りでこれ以上騒ぎを大きくする気はなかった。

「分かった。5千円でお願いします」と奈々は言い、男は上目遣いのニキビ男を連れて

帰って行った。

 

 何故、奈々がそんなに意固地になったかというと、その何日か前にバングラッシュの

ドキュメント番組を観た。そこでは、飢えた子供たちが光る瞳で生きていた。

その国では一回7円でゴハンが食べられるのだという。

 奈々は、暖かいコタツで酒を呑みながらそれを観ていた。

自分は幸せだと思うことに自責の念があった。(そうだ、明日募金を送ろう)と決めて

やましい気持ちにケリを付けた。

 ユニセフには何度か募金を送っているので、定期的に封書が送られてきている。

振込み用紙があるので、送るのは簡単だ。取り敢えず3万円送ることにした。

 翌日、店に出てつり銭が足りているかどうかを確かめようとレジを開けようとすると

何かが引っかかっているようで動きが悪い。

 何だろうと引き出しを外してみると丸まった1万円札が2枚レジの後ろに張り付いて

いた。

それは何時からあったのか。奈々はお金にルーズというのか無頓着だ。

でも、今までお金がなくなったことはない。奈々は異常に勘が良く。信頼出来る人が分

かる。と、思っている。

だけど、こうしてレジの奥にお金が張り付いていても気が付かない。

そして、そんなルーズで飽食をしている自分の懺悔(ざんげ)として7万円を送った。

 これで、1万人がゴハンを食べられるんだ。と思うとちょっと嬉しかった。

そして、あー、自分はどれだけ無駄遣いをしていることか。と反省していた所に、

運悪くニキビの兄ちゃんが来たのだ。

 そこで、ニキビの兄ちゃんは奈々の餌食になった。

奈々は正義感が強い。でも、早とちりでそそっかしい。

ニキビの兄ちゃんが、仕事中にズカズカ店に入って来た、そのことにも腹が立ったが

同時に毎晩酒を呑んで飽食しながら、お飾りを飾って自分の繁栄を願う自分にも腹が

立っていた。

お飾りはいらない!と言った時、奈々はお飾り代にプラスして7千円を送ろうと

決めていた。7千円あれば千人がゴハンを食べられる。

 それが、お飾りの金額が奈々の勘違いだと分かった瞬間、

「あー、そうそう、そうだった。

じゃ、いつものヤツ貰うわ」と、あっという間に反旗を翻(ひるがえ)すんだから、

しまりのない話だ。

でも、そういう人間だから、仕方がないやねぇ。