思い込み

 私は幼い頃、自分は甘いものが好きなのだと思っていたようだ。

「さくらももこ」のエッセイに同じようなことが書かれていて、思わず笑ってしまった。

 

最近、更年期のせいか酒量はめっきり減ったが、二十歳になった頃が一番呑めて、最高

ウイスキーでボトル1本、日本酒で1升ぐらい呑んだことがある。

“ぐらい”というのは、ヘベレケに酔ってしまって、はっきりとは覚えていないからだ。

子供の時から、酒が好きでちょっと舐めたアルコールの開放感は格別だったことを覚え

ている。

母は、果実酒を大量に作っては台所の薄暗い棚に並べていた。

それを、私は勝手に飲みまくっていたのだ。

2歳の頃だと思う。私はヒキツケを起こした。

何処かで、ヒキツケにはぶどう酒とレーズンが良いと聞いた母が、ぶどう酒を舐めさせ

それに味を占めた私はろれつの回らぬ口で「ぶどーしー、ぶどーしー」とのべつ言って

皆を困らせたという。

酒好きは辛党とも言う。

私は自分が根っからの辛党だったということに気が付いたのは、食べる物を自分で選べる

ようになった頃、中学になってからだった。

 小学生の頃は、母親がオヤツを作ったり買ったりする。

母親は、下戸(酒の呑めない人)であった。

母の思い込みでは、“子供は甘いものが好きで、辛い塩辛いものは嫌い”だった。

ところが、私は、母と違って生臭い塩っ辛いものが大好きだった。

そういうものに飢えていた私は、夏に梅干が干されると次々と食べて、食べ物だけには

うるさくなかった母に、「干してる間になくなっちまう。そんなに食べたら身体に毒だ」と

言わせる程だった。

煮魚が好きで、食べ終わった魚の頭や骨にお湯をかけてすするのが楽しみだった。

我が家では、麦茶に砂糖が入っていた。トマトにも砂糖がかけられた。

 

「こういうものが、お母ちゃんらのご馳走だったんだぞ」と母が嬉しそうに作ったものは

もち米のご飯を皿に置き、その上に黒い餡子(あんこ)が、ご飯が見えないほどに盛られ

れているものだった。

 まあ、不味くはなかったが、私は半分も食べないで気持ちが悪くなった。

 

街の小さなデパートでの買い物は、一種のステータスで心浮き立つ行事のようなものだ

ったが、ここでも母の勘違いが先行していた。

決して金持ちではない我が家だったが、子供のオヤツを買い与えるということが、子共

への愛情表現であり、戦中戦後に育ちそういうことのなかった昭和8年生まれの母の大き

な満足であった。

「ほら、チョコレートだぞ。ビスケットにキャンディーもどうだ?」その時の母は、自分

が食べたかったものを子供に食べさせられる喜びを味わっていたのだろう。

「麻子は、モノにガツガツしない子供なんだ」と母は得意そうに言った。

「オヤツは箱に入れておいてやると、表を駆け歩いちゃ家に帰ってきて、マーブル1粒

口に入れて終わりなんだ。だからオヤツが減んなくて。

それに、自分で食べねえで、お母ちゃん食べろっつうんだよ」

その頃マーブルチョコレートが流行っていた。

甘いものが好きでなかった私は、1粒ということはなかったが、何粒か舐めればもう沢山

だったのだ。

父は、仕事の帰りに必ず、あのオマケが付いたグリコを買ってきた。

それは私が2、3歳の頃から、小学校高学年まで続いた。

オマケは随分失くしたり、友達にやったりしたが、小さなダンボールに一杯あって、

それで遊んだことを覚えている。

 が、実はグリコのキャラメルも好きでなかった。

毎日、父が帰ってくることが嬉しくて家の外に出て待っていたのであって、グリコは歓迎

していなかったのだが、父はグリコを喜んでいると思っていたらしい。

私は父が、晩酌をするときのツマミや、出来れば酒の方が魅力であった。

夏に飲ませてもらう一口のビールが、なんと美味であったことか!

 あの頃、ビールは買い置きしていなかった。

夕方になると自転車に乗って朝日屋という酒や野菜を置いている店に買いに行った。

ビールは夏だけだった。

まだ熱い埃が地べたを覆っているでこぼこ道を、自転車で走って行く。

帰り道は、夕焼けに向かって我が家に向かう。

風が、涼しくなってくる。

私は、オツカイが大好きだった。

しかし、家に着いて汗を噴出す私に向かって母は「大変だったな、嫌んなちゃうよな」

と言った。でも、私は少しも嫌ではなく、大好きだったのだ。

 

 母は、子供の頃にモンペばかり穿かされてキレイな洋服やスカート、それに自分はした

ことのない家族での行楽にそれは、それは憧れていたんだという。

 そして、その願望達成の標的になったのが私である。

手作りの洋服、スカート、手編みのセーター、手作りオヤツ、休み毎の行楽。

 真っ事、申し訳ない。私はそれが、嬉しくなかった。

手作りの洋服は汚すと怒られる。手間暇掛けたセーターも、恐れ多くて気が休まらない。

スカートは、山で遊ぶのに不自由だ。

日曜日に父親が休みだと、必ずのように何処かに行こうという話になった。

母が、おにぎりを握り、ゆで卵などが作られ、海や山、河川なに出掛けることになるのだ

が、母が皆を急かす慌ただしい雰囲気が私には苦痛でどうしようもなかった。

 母は、自分の思い込みが世の中の総てのような人だ。

善意と愛が、彼女の思い込みの上で、狂想曲を奏でる。

疑いを知らない熱心さの前で、それを嫌がり冷静な目で見ている自分は悪党だった。

 

私は、一人で居ることが好きだ。

読書をしたり映画を観たり、絵を描いたり、文章を書いたり、風に吹かれ、雲が流れて

いくのを眺め、瞑想をする。

近所の山にも、庭先にも面白いものは幾らでもある。

机の中の整理をするのも楽しい。辞書を見ているのも面白い。

最近、ここ十数年はメダカの飼育観察が、大きな楽しみになっている。

 そんな私を見て、何が面白いんだ?と聞く人は多い。

人には、それぞれ違った楽しみ方がある。

ただ大事なことは、自分の楽しみを人に押し付けてはならないということだと私は思う。

それは、私がそう思い、そうすれば良いことなので、人にもそうしてくれというのも、

また押し付けであろうが、こちらは領海を侵犯していないのに、あちらはこちらの領域に

入ってくるのだ。

 

旅行は嫌いだといい続けているが、時間に拘束され、何かに追い立てられたり、何かに

気を遣って合わせることが嫌なだけで、旅は好きだ。

 最近、自分流が益々成長してきた。

行きたい時は行って、行きたくない時は行かない。

やりたいことが優先で、自分の気持ちを大事にする。

あー、何て楽なんだろう。

 

人間てのは、思い込みってやつが基本で、生きてるんだと思う。

そこに違いがあるとすれば、「自分は自分の思い込みで生きてるんだ」と知っている人と

それに気付かず、自分の思いを人に押し付けて生きている人の違いじゃないだろうか?

 あー、私は、前者の人と付き合いたい。

そして「自分の好みや、感じていることは自分がそう思っているのであって誰もが同じ

ではない」と、みんなが、気が付いたらいいのになー。と、思うのだ。