押し付け

 

ある人が、姪を連れて現れた。

姪に「こんにちは」と言うと、姪が無愛想な顔をしていた。

「ほら、挨拶して」とオバサンは言った。

中一の子供は、ブーたれている。

「ネッ可愛いでしょ、自慢の姪っ子なの」と、言うが姪の目は死んでるように見えた。

可愛くねえ、と私は思った。

そして、私は可愛いだの大きい小さい、色が黒いだの白い、太っている痩せている

勉強が出来るだの出来ない、学校が何処だのと、そういう形的なことを話題にする大人を、

軽蔑してきた気がする。

「ヨソイキの顔になってる」などと自分が言われたら(ウッセーなババア!)と腹の中で

毒づいたことだろう。

なんて、捻くれた子供だったんでしょ、って、今も捻くれてますから、ザンネーン。

 

「メダカ見る?」と子供に聞くと、

「ほら、メダカみせてもらう?」と、オバが間に入る。

(あなたじゃなくて、子供に聞いてるんですけどー)

「うん」

「おいで」

山小屋に行く。

「ほら、ステキでしょ!?」と子供の前に出るオバ。

「この風景、見て!」

(言わなくても見えるから)

「この上だよ」と、二階のテラスに上がると、

「見て、ステキでしょ、こんなにイッパイいるのよ」「この間のドジョウどうした?」

(あー、子供が自分で見て、感じる時間をあげてください。静かにしてください)

と思う。

 

 と、この話を塚石にした。

すると、「彼女は、初対面の二人を何とか盛り立てようとしたんじゃないの?

普通の人は、普通そういう風にするんだよ」と、塚石は言った。

「私は、彼女に普通の仮面なんか被ってほしくない」

その人に私は、期待をしていた。

だから、目の前にあることを見ない、普通の大人のような話をして欲しくなかった。

これは、明らかに私の押し付けだろう。

すると塚石が、

「私だって、子供がブーっとした顔をしていると、何だかどうにかしなくちゃと思って

余計なこと言って、逆効果になったことがイッパイあったよ」と、言うのを聞いて

「でも、一所懸命でも、その子供は嬉しいかな?その子供のタメになっているかな?

的外れの熱心さ程、うっとおしいものはないよね」と私は言い

「麻子さんがそういう風だから、彼女は緊張しちゃうんだよ」と塚石は言った。

 

私が、子供の時、最初から期待しない大人が居た。

そういう人は、何を言っても期待していないから怒りもしなかったが、

(この人なら分かってくれる)と思って期待した人が、的外れで痒い所に手が届かない

と悲しくなって、怒りになった。

 でも、それは私の未熟さだったのだろう。

ある時

この人だったら“分かってくれる”んじゃなくて、分かる力を持った人なんじゃないかな?

と、思えばいいんだ。と、気が付いた。

 世の中も人も、総て自分のタメにあるわけじゃない。

分かることは、私のタメにあるんじゃなくて、その人の生き方、能力の問題だ。と思えば、

自分と切り離して考えられるようになる。

 

メダカを見た後で、子供に聞いた。

「あなたのお母さんウルサイ人でしょ?」

「うるさくないよね!」と慌ててオバが答える。(あなたに聞いてない)

「ほら、見て御覧なさい、やって御覧なさい、ほらキレイでしょ、ほら美味しいでしょ、

こうした方がいいのよ。これはこうなのよ。って、一々言うでしょ」

「うん」

「何でも自分で感じたいのに、自分で考えたいのにねえ」

「うん」

「何でも、先走って言ってくるんだよなぁー」

「うん」と、目が生きてくる。

「このオバチャンもウルサイね」

「そんなことないよね」とオバが答える。

「はっきり言ってみな、ウルサイでしょ」

「うん」ちょっとオバサンを振り返ってメイは答えた。

きっと、母親だったら黙秘するのだろう。

このオバサンには、話が通じる、何か言っても逆恨みしないという安心感と、家に帰っ

てしまえば付き合う必要がないからこそ言えた言葉だろう。

「そっかー、でもね、なんでそんなふうなの!って思った時、その人と同じになってる

って、知ってる?」

「んー」考える仕草

「例え母親であっても、自分とは違う人間なんだよ、自分の都合のいいように思い通り

にはいかないの、分かる?」

「うん」

「あー、この人は、今はこういう人なんだぁ、って理解すればいいんじゃないかな」

「はい」身体がシャンとする。

「そうした上で、自分の世界を持つの、どういう状況でも自分の世界は自分のモノだよね。

たとえ、牢獄に囚われの身になったとしても、あなたの考えや感情はあなたが持っている

それは、間違いなくあなたのモノで、あなたの心は、いつだって自由」

「はい」

最初に会った時の不細工な顔が、柔らかな顔になった。ように見えた。

 

子の親は、その子を育てながら自分を育てる。

子は、親を育てながら、自分を育てるんだと思う。

 その為に、2人は親子になったんだと、私は思う。

 

子供に変な気を使うのを止めたら、子供のムカツキ、ウザイという気持ちは減るん

じゃないかと、私は思う。

でも、子育て中の私は、子供に何かを教えることがいいことで、大人はそうすべきだと

思いこんでいた。

子供が黙っていると、自分が黙っていると気詰まりなんじゃないか、と思った。

機嫌が悪いと(しょっちゅう機嫌が悪くブーたれていた)何かと喋り機嫌を取ろうとして

余計なことまで言って墓穴を掘った。

そして、いつも子供には何かを教えることが、良いことなんじゃないか、と思い込ん

で焦っていた気がする。

 何事に於いても私の知識とウンチク、私の思想哲学を語り、今の自分が何をして

いるかを話したかった。(まだ、過去形にして終わりには出来ていましぇーん)

 そして、聞きたくもない話を延々と聞かせていたのだ。(いつもではないだろうが…

と、いうのは相手が聞きたい時もあっただろうし、話さないこともあった)

しかしそれは、押し付けの善意、ひとりよがりの善意の押し付けだった。と、思う。

 

あー、今なら、ここのこの子のホントウに求めているものが分かる気がする。と、

思った。

黙って何処かに行き、セミの声を聞く。

目の前に揺れる草花を見る。

それだけでいい。いや、それだけがいい。

 そこから、対話が始まっていく。それは始まってもいいし、始まらなくてもいい。

子供は会話でない、心の対話を求めている気がした。

 自然と向き合える静かな時間と、静かな心を求めているような気がした。

子供の無愛想な疲れた顔が、痛々しかった。

 

メダカの中に混じっている金魚の稚魚が、あまりの猛暑に死んでいた。

「あー、ショックー!と、私は大袈裟に言って鉢を覗き込んだ。

「あー、違う世界に行っちゃった」とオバが言った。

私は嫌になると誰と居ても逃避するのを、彼女は知っている。

でも、違うんだよなぁ。

その時は、メイを思って逆効果になっているオバの関心を、違う所に持っていきたかっ

たんだ。

 

私は、押し付けがましい人が大嫌いだった。

「ねっ、美味しいでしょ!キレイでしょ!ステキでしょ!可愛いでしょ!」とまるで

自分の手柄ででもあるかのように押し付けて言ってくるとウルサイ、ウザイと思う。

美味しいかどうか、キレイかステキかは私が感じて、私が決めるから、私の領域に

入ってこないでくれ!と思う。思い続けてきた。

 それを言うなら、「美味しいね、キレイだね、ステキだね、可愛いね」と自分の感想に

留めて欲しいと思う。

 でも、それは、私からの押し付けになるのだろうか?

 

 実は、押し付けがましい人は、その人も同じ束縛によって苦しみ、身の置き場を無くし

押し付けられた苦しみを、ダレカへの押し付けという行いにしてしまっているんじゃな

いだろうか。と、思う。

 だったら、押し付ける人も、押し付けを嫌がる人も、一緒に成長していったらいいの

かもしれない。

どうせ、言っても駄目だ。って諦めないで、どうせ、変わらないよ。って絶望しないで、

心を開いて、嫌なことは嫌なんだって伝えること。

そこから、それは、始まるのまもしれない。

 

イジメでも何でもそうだけど、やってる方は、そんなに嫌がってるなんて感じていな

いんじゃないのかな。

 だったらはっきり言葉に出来なくても「何だか嫌なんだ」「何だかむかつくんだ」って

相手に伝える。

そして、「それは、何故なんだろうね」って一緒に考える。

そこから、総ては始まる、始まっていく気がする。

 

 嫌だ、嫌い、ムカツクと思うことは、何かのお知らせ、だと私は思う。

 

 私は、みんなが自分と人の領域を守って話し、行動することが出来たら、どんなに

暮らしやすくなるだろうかと思う。

 

 説明し過ぎず、急がせず、聞かれたら返事し、自分の考えを伝える努力をする。

風通しの良い関係を作っていけたら、なぁー。

 

心を開いて話せる知人に、私の迷いを話すことがある。

すると、「いいんだよ、それでいいんだよ」とその人は、力強く答える。

それが、たまに嬉しい時もあるが、ホントウは、

「それでいいと、私は思う」と言って欲しいと私は思う。