お手柄マイロ

 

 お通夜の話に登場した愛犬マイロ、マイロは2002年の春に生まれ夏に我が家に

来た。

ブリーダーさんの家に行った夫と次女から、後ろ足がちゃんと立たない犬が居ると

電話で聞いた瞬間、我が家の一員だと即決したマイロ。

 次女に抱かれて帰ってきたマイロ(ダックス、クリーム、ロン毛、2ヶ月)は

小さくて柔らかくて、ちょっと病気のような臭いがしたが、あまりの可愛さに一緒に寝て

いると心配と愛おしさで乳が張ってしまった、ってどんだけ可愛いんだか。

 以前にも書いたが、臆病でフンフンと後を追うマイロを常に抱いて足と股関節の屈伸

運動をしていたら、固まっていた股関節がスムーズに動くようになって普通に歩けるよう

になった。って話は何回すれば気がすむんだ。

 

 以前、大雨の夜、近所に軒並み泥棒が入ったことがあった話はしたかな。

嵐のような雨風の夜、丁度泥棒が動き回っていたと思われる時間の間中、マイロは雨風の

音に負けない大声で吠え続け、近所の商売やに軒並み入った泥棒が我が家にだけ入らな

かった。

まあ、セコムに入っているので家屋の何処かが開けばセンサーの働きで警報が鳴り

セコムの警備員が駆けつける仕組みになっているが、山小屋の方は家とは別になって

いるので入られたら大変だった。

 何が大変って、このパソコンが盗まれたらここに入っている情報とネタもなくなる。

違うバンにバックアップしてはあるが、機械オンチの私、えらいことになる。

 フタを動かすと画面が消えるという老朽の極みのこのパソコンだが、私にとっては使い

慣れた大事な片腕。

 兎に角、あの時はマイロのお手柄で我が家にだけ泥棒が入らなかった(ということに

して)マイロに敬意を表している。

 

 ちょっと話は変わるが、マイロが生まれる前にスイッチオンに出てきた武本の家に

泥棒が入ったことがあった。

 その頃、武本の家ではゴンタというシベリヤンハスキーを飼っていた。

左右の目の色が違う上に大型犬なので、最初見た時はちょっと怖い感じがするが、気の

いいヤツで野太い声で吠える割に人懐こかった。

 誰かが来るとすぐに吠えるので、武本に「うるさい!」とよく怒鳴られていた。

ところが、その泥棒が入った晩のゴンタは全く吠えなかった。

そして、事務所にあった貴重品が盗まれていたという。

「マッタク、無駄に吠えやがって、ゴンタお前は役立たずだ」と武本はゴンタを怒った。

犬は言葉が分からないと思うのだが、ゴンタはションボリしていた。

翌日の朝、奥さんが毎日の日課である散歩にゴンタを連れて行こうと犬小屋に行った。

ゴンタは大型犬なので鉄格子の犬小屋でなければ飼っていけないキマリだ。

 その小屋の中にゴンタの姿はなかった。

どうやって逃げたのか、居なくなっていた。

 奥さんは、その日一日探し回り、夕方になって山の横にある林の中にうずくまる

ゴンタの姿を見つけた。

「いいんだよぉ、ゴンタ、気にしなくていいんだよ」と奥さんはゴンタを家に連れ帰った。

 ところが、ゴンタがゴハンを食べず、血のオシッコをした。

獣医の所に連れて行くと、腎臓だか肝臓(?)が悪くなって血尿になったと言われた。

「どうして、悪くなったんですか?」と奥さんが聞くと、

「ストレスですね」と言われたという。

武本は、私に「そんなにストレス感じる位なら、夜中に不信なヤツが来た時に吠えたら

いいだろうよ」と言った。

 

ゴンタが死んでもう10年近くなる。

マイロが吠えて我が家にだけ泥棒が入らなかった時、ゴンタの居なくなった武本の家の

事務所からは、パソコンが2台と買ったばかりのデジカメが盗られていた。

マイロが吠えてお手柄だったと武本に話すと、

「ゴンタは、なんの手柄もなかったなぁ」と武本は言った。

 が、何をおっしゃるウサギさん。

私は覚えているぞ。

 ゴンタが生きて居た頃の武本の夫婦と家族の笑いがどれだけゴンタによるものだったか、

 

 最近の私は、仕事(生業の)で疲れきり、やりたい仕事(書きモノ)が出来ない

自分の時間が持てない苛立ちで周りの人たちに不満が起きていた。

 朝のミーティングの時間、ゲキを飛ばす私の横には、何時ものようにマイロが静かに

寄り添っていた。マイロはいつの時も私の横に居て、尊敬しきった目つきで私を見ている。

 それが仇となった。疲れがたまって注意力散漫になりながら、空元気で身振り手振り

で喋る私の肘が、マイロの頭を直撃した。

 私でさえあんなに痛かったのだから、マイロへの衝撃はどれ程だったか。

でも、マイロはキョトンとした顔でキャンとも言わなかった。

 あまり突然のことで、何が起きたのか分からなかったのかもしれない。

ゴメンネを連発してマイロを点検したが、何も異常のない様子でホッとした。

 

 翌朝の4時過ぎ頃、目が覚めて何時ものように足元で丸くなって寝ているマイロに

目をやると、黒目が上に上がってしまって片目が開かなくなっていた。

「マイロ!どうしたの?」と眠気などすっ飛んでマイロを撫でると、元々グニャグニャの

マイロがグッタリしているように感じた。

 前日に私の肘がマイロの頭に当たったのが原因で脳内出血でも起こし、それが圧迫して

眼球の異常になっているんだ。と、私はとっさに思った。

そっとマイロを抱いて「マイロー、ゴメンネ。お母さんが悪かった」と、マイロに

何かあったらと思うと恐ろしくて涙が出た。

 最近の私は、ココまで頑張ったら休もうと思いながら、そのココまでという所に来ると

緊急の用事が出来た。

 まるで、何かに試されているかのように、一息吐こうと思った瞬間に捨てては置けぬ

何かが起きた。

 一度や二度だったら我慢するが、昔からずっとそうだった、私ばかりにしわ寄せが

来るんだと、被害者意識が頭をもたげていた。

 しっかりしろよ!と疲れきった自分と、思い通りに行かない状況に心底腹を立てていた。

あー、だから、感謝の気持ちを失い、自分も回りも大事にしないでいる私に天罰が降りた。

と、思った。

それも、一番罪のないマイロに、私の肘鉄が当たった。

申し訳なくて、グニャグニャのマイロを抱いて涙が止まらなかった。

 

 動物病院が始まったらすぐに連れて行こうと思っていた。

5時になって6時になって8時になる頃、マイロの目は時々治ってきた。

 そして、9時を過ぎてみんなが出勤してくる頃になると、全く何でもなくなった。

力が抜けてグニャグニャしていたのは、眠かったためだったみたいだった。

 

 私にこのイライラが始まると、周りに居る弱いモノに何かが起きる気がする。

それは、子供だったり動物だったり、そして、思い知らされるのだ。

 現実主義の計算と能率主義に追い立てられた時、大事なものを見失うと。

だからといって、自堕落に怠けて生きて良いということではない。

 でも、自分ひとりで生きている訳じゃなくて、自分だけが頑張っている訳じゃない、

被害者な訳でもない。

 んー、何て言ったらいいのかなぁ。

もっと、素直にありのままで、出来ることを一つ、先を読みすぎて心配し過ぎることは、

疲れて力がなくなる。

 ちょっと肩の力を抜いて、目の前にあることだけに縛られないで、目の前のことを

楽しんで大切にやっていきたい。と、思った。

そしたら、私の心の梅雨が明けたってワケです。

 

 ね、マイロ、またお手柄だったよね。