お付き合いしてはいけない人?

 ある人が信号で止まっていたところ、後ろに止まっていた車が動き出し追突し

ムチ打ちになった。

 追突されたのは1月だったが、その後の1ヶ月位はそう大した異常はなかったという。

しかし、その後になって首が凝ったり手が痺れたりし始め調べてみると手の骨がずれてい

て足も捻挫状態であることが分かった。

 整骨院に通っているが、もう7月に入り、いつになったらスッキリするのか不安だとい

う。

 その人が、「あれは、バチが当たったんだ」と言った。

止まっているところに追突されて、あなたのどこが悪いのかと私は聞いた。

「その時に付き合っている人が居て、その人を本気で恨んでいたから…。

本当に消えてくれればいいと思っていたからあんなことになったんだと思う」と彼女は

言った。

 

私の中にお付き合いしてはいけない人のリストというのがある。

それは、恋人としてだけでなく友達、知人としても避けるようにしている。

一、嫉妬深い

  特徴としては、他のモノと比べる。得意になって自慢する。疑り深い。

  自己中心、自分の話しかしない。自分以外のモノを馬鹿にする。こき下ろす。

  自分が持っていないものはその価値を認めない。

二、独占欲が強い

  すべての事に自分が含まれていないと我慢出来ない。

だから何にでも口を出し聞きたがる。嫉妬深く疑り深いことも殆どセットだ。

  家族、友人など自分と係わる人は、自分のモノであると勘違いしている。

  その為によく出る言葉が、とられた。裏切られた。飼い犬に手を噛まれた。

  そして、やってやった。もよく聞く言葉だ。

  (例)息子は嫌よ。嫁が来たら嫁のモノになちゃうんだから、嫁にとられちゃうんだ

からいくら可愛がってやってもつまらないわよ。

(あのー、嫁のモノって、人は誰のモノでもありませんから、息子があんたのモノ

だったことも、一度としてありませんからー、ザンネンー…。)

三、思い上がっている

  でも、これは自分では気がついていない人が多く、気がついて考え方を変えればOK。

   自分なんて生まれてこなければよかった。自分なんて何の価値もない。と

天から一時戴き、一時の借りものである命や自分の身体にケチをつけ粗末にするなど

失礼千万。思い上がりも甚だしいということに気がついていない。

自分をケナスことが謙虚のつもりでいる、訳の分からない人間が多すぎる。

「年寄りは早く死んだほうがいい。それが世のため人のためだ」と言っている人が

居た。それが、年寄りをみている人と、ホームに入っている年寄り本人だった。

自分が年をとったからといって年寄りを侮辱していい免罪符など与えられていない。

そして、最大の「思い上がり」は自ら死を選ぶことだ。

死は、天が、神が与える。人間に選ぶ権利はない。

四、自制心がきかない

  ということは、我慢がきかない。だから、人のモノに手を出す。

  人のモノで自分のモノではないと分かっていながら、我慢がきかず不倫をはたらく。

  人の持ち物、金品に手を付ける。

五、だらしがない

  自制心がきかない人と似ているが、だらしない人は自分が悪いことをしているという

  自覚がない。だから、直すのがちょっと難しい。

  自分のモノと、人のモノの区別がつかず領域が守れない。

  大体が何処までが自分の領域であるかがよく分かっていないから、他人の家庭に

人の心に土足でズカズカ入り込むようなことをしても、気付かないのだ。

  自分のケツを人のところに持っていく。(自分のケツは自分で拭くんだ)

  好き勝手なことをやるだけやって後の始末をしない。

  物事を責任持って最後までやらない。

六、筋が通らない。焼きが入っていない。

  焼きが入っていない刀や釘は芯が通っていない、出来ていないから使い物にならない。

  鈍ら(なまくら)ってのもあって焼きを入れた後ですぐに冷水で冷やさないでゆっく

り冷めると固くならずグニャグニャでこれまた使い物にならない。

鉄は熱いうちに打てとはよく言ったものだ。

こういう人がよく言う言葉。

(例)〜ばっかりズルイ。自分は運が悪い。何で私がやらなきゃならないの?

金がないと嘆く人に「じゃあ働いたら?」と言うと

「何故、私が働かなきゃならないの!」と反撃してきた。

努力するのは嫌だが、甘い汁だけ吸いたいのだ。

そしてトライする気もなく、諦めることも出来ない。

こういう人は、すぐめげる。ふくれる。ヘソが曲がる。落ち込むと立ち上がれない。

自分の力で立ち上がれないから自分の悪いことを他人のせいにする。

言い訳をする。辛いこと、面倒なことから逃げる。

そして、自暴自棄になる。

 

 あー、嫌だねえ。でも、そういう人とお近づきにならないようにすれば、被害はそれ程

甚大ではないが、何よりも自分がそうなってしまったら大変だ。

他人は離れられるが、何てったって自分からは逃れられないんだから。

 あー、だからそういう人は自分から離れたくて、死にたくなるのか。

 

 だけど、誰かと離れられない縁(えにし・えん)で結ばれることがある。

親子、兄妹、夫婦、友人、知人などの縁だ。

嫌な縁だが切っても切れない縁を腐れ縁という。

袖すりあうも他生の縁という。この他生は、前世と来世を意味する。

今のこの人生は、前世と来世の縁に因って結ばれているのだという。

 だから、嫌な縁も諦めろといっているのではない。

嫌な、腐れ縁と思われる縁にも、いや嫌だと思う縁にこそ何か大きなテーマが隠されてい

るのではないかと私は思うのだ。

こんなことをいうと、宗教的だとか、非科学的、非文明的、何でも故事付けて馬鹿みた

いだと言われたりする。

 まあ、そう思う人はそう思っていたらいい。

だけど、どうしてこの人と?!と思うような人との結びつきだらけの人生。

ここに何か意味があるのではないかと本気で考え始めると、ちゃんと何らかの答えが浮か

び上がってくるから不思議だ。

お付き合いしてはいけない人という題名で書き始めた。

私は、こういう人たちにはなるべく近づかないようにしている。

しかし、こういう人と縁がある場合がある。縁が結ばれる場合がある。

その時にどうするかだ。

 私は、総てのことの答えは数学でない限り一つではないということが、答えだと思って

いる。

 その縁を断ち切るべきときもあるだろう。断ち切るためだけに結ばれる縁もある。

しかし、総ての縁は、腐れ縁も含めて何らかの意味と必要性があって訪れるのだと思う。

 

 知人に、夫婦になった相手から敬愛を受けていないと思われる人がいる。

束縛され続けてきたが、相手の都合によるキマリがどんどんエスカレートしている。

話を聞いていると、そこに敬愛があるかどうかは兎も角、それが、表現されていないこと

は事実のようだ。

自分も悪いところがあるからとその人は言うが、自分を悪者にすることで相手を認めよ

うと、受け入れようとすることには限界がある。

 その人に悪いところがあるとしたら、その人の中にウソがあってその相手と同様に

本物の敬愛を相手に持たず、だから表現していないことだ。

単なるお世辞的な認め方は、気持ちが悪い。

ぶつかり合うことを避け、自分の意志も感情も抑え相手の言いなりになることは、その

相手に対する最大の侮辱である。

 感情をぶつけるのでなく感情を表現することは、大切なことだ。

つまらないことですぐに怒り出すというその人には、つまらないことは単なるキッカケで

違うところに何か不満やワダカマリがあるのではないだろうか。

その時表面に現れていることは、違う何かを訴えていることが多い。

今現在、その人はこれではいけないと感じ、思い始めているという。

思った、感じたということは、始める合図かもしれない。

どうすれば良いかの答えはない。決まった答えのないことが答え。

自分に聞いて、相手に聞いて、田んぼのナカボシのように行うしかない。

潮が満ちるように、機は熟した。

大丈夫だと思う。

本気で考えて心を込めて一所懸命に行うことは、天の采配によって導かれていくと

私は信じている。