<パクリ>

 

草を引いていたら、小雨が降って来たことがあった。

その時は雨がなくて、土はパッサパサに乾いていた。

その何日か前、バケツで水をまいた時、乾ききった土は水を受け付けず、低い所に流

れた水は水銀の球のように集まっていた。

細い柔らかな静かな雨は、バケツで作った雨と対照的だった。

静かに、細く、柔らかく私の身体を濡らし、乾ききった土に同化し沁み込んで行った。

その時、思った。

そーか、静かに、細く、柔らかく変化する弱いものこそが、最後には残り終着点に辿り

着くのか。と。

強いモノが幅を利かせ、蔓延(はびこ)り生き残っていると思われるこの世の中。の

ように見える。が、そうだろうか?強いって何だろう?

一般、普通に考えると力(権力、金財力、知力)を持つものを強いと言う。

強いものは、強いから自分を変える必要があまりない。

引き換え、弱いものは、そこの場所や状況に合わせ自分を変化させていかなければ生き

残っていけない。

弱者は生き残る為に相手を変えることより、自分を変えることで変化し成長し生き残

って行く、生き残る術を掴んで行くんじゃないのか。

そう考えると、弱さこそが、柔軟と変化に繋がる強さなのかもしれない。

 

そこで思い出したのが、500万年前には20種類あったといわれる類人の中でなぜ今

の人類が残ったのか。という話だ。

昔(533万年前?)サハラは森と湖だったらしい。そこの水が大きな谷に向かって

流れ込み、地中海が生まれ、サハラは草原から砂漠になる。

初期人類のラミダスから、レイクマン、アベル、ルーシー、と次々と枝分かれして

出現し、178万年前、ホモエレクトスが現れる。これが私達の祖先だという。

ネアンデルタール人は、30万年前の環境の激変、密林の砂漠化などで最後に滅びた。

らしいんだけど、どっかでその後も何かの種が存在してた証が見つかったっていう新聞

記事を読んだ気がする。

 

っていうか、何が言いたいのかと言うと、我々の祖先は、密林から追い出される程の

弱い存在だった。彼らは、強いモノが生活している土の上での生きることは出来なかった。

なので、強いモノが上らない不便な木の上で生活し渡り歩き、落ちた木の実を拾って

食べ、早々と追い出される形で森から出た。

そのことで先ず、股関節が柔らかくなり立ちあがることが出来るようになったという。

それが二足歩行になり、両手を使うようになり、両手が使えるので道具を使うようになる。

若し私たちの祖先が強かったならば、木の上には上らず、落ちた木の実を拾って食べず、

立たず、歩くようにならず、道具を使う事もなく、森から出ることもなく地殻の変動で

絶滅していた。

アフリカの木の上で生きていた私たちの祖先は、敗者だった。

なのに、強くて森に残った者たちは、環境の激変で絶滅するのだ。

弱くて森から出た、アフリカから出発した私たちの祖先は、東へ東へと移動し続けたら

しい。

日本人は世界で一番、希望に満ちた冒険家のDNAを持っている。って、ある人が言っ

てたけど、冒険者、希望を求めるギャンブラーは、日の出(いずる)東へ向かい、悟り

と祈り懺悔を求める者は西に向かい、敗者と革命家は北へ、享楽と平和、癒しを求める

者は南へ向かう傾向がある。と、いうのは、私が勝手に考えた東西南北紀行説だ。

 

と、こういうことを読んで「だから何なんだ!?」っておっしゃる方が、居られるん

ですなぁ。

はぁー、どうってことないです。

 

以前に出した本!スイッチ・オン“を読んで「何でこんなことを書いたの?何を言い

たいのかさっぱり分からない」と言って来た御仁がおられたが、

私は、それに対して「さぁー、何ででしょうね」としか答えられない。

「何を言いたいのか分からない」とおっしゃるなら「あー、そうなんですか」としか

言えない。

何で書くのか、って、書きたいからだね。

ただただ、私は、思ったこと考えた事を書きたい。

今、頭に浮かんだことが次の瞬間に消え、次の考えが浮かんでくる。

それが、チョー面白れえんだ。

 

私の書いた物は、誰かの為になろうとか、助けになろうとか、役に立とうなんて、考

えてない、読んだ人が勝手に解釈して勝手にしたらいいんじゃないの。

 

だけど、草引きしたのも、雨にあたって考えたのもその時の自分なんだけど、同時に

何かが教えてくれている気がしてならないのも事実だ。

そこに知識として、本とかテレビとか誰かの話だったりってのはあるが、子供の頃から

自分の力だけじゃなく何に教えられている気がして今に至っている。

ということは、自分の考えは自分だけのモノではないのかなぁ。

ということは、自分の考えは、パクリなんじゃないのか。

さっきも言ったが、私は、その時々瞬間に言いたいことが次々と現れ、消え、変化し

ていく。

話に脈絡がなく、次々と飛び火し、着地点が見つからない。

私が考えて書いてると思っているモノが、実は何者かに書かされているパクリかもしれ

ない。

そういうモノに付き合う気があったら、どーぞ。だな。

 

そして、本の感想は、「だから何なんだ」がいいな。

 

 

クライブ・フィー・レイソン なぜ人類が最後に残ったのか

歴史は繰り返さない 人類は進化したのか、何故残ったのか、いやまぐれだ

 

※ちょっと参考文献、銃病原菌銃、ユヴァル・ノア・ハラリsapiens