ピダハンの言語

 

2014年、8月16日 NHKで

<ピダハン、謎の言語を操るアマゾンの民>が放映された。 

ピダハンの言語と文化は「直接的でないことは言葉にしてはならない」という文化の

制約を受ける。

 それは「直接見たものしか信じることは出来ない」ということである。

 

ブラジル、アマゾナス州北部、先住民族である彼らは、マーシ川近くで狩猟や採集

で400人程で暮らしていた。

現代の文明社会とは全く切り離されたこの村に、ダニエル・L・エヴェレットが

キリストの伝道師として訪れる。

 彼は、言語本能を超える文化と世界観に魅了され、ピダハンの彼らが宗教などなくても

既にシアワセだということに気付き、信仰していたキリスト教を捨て、言語学者になる。

 

ピダハンの彼らは、今現在を生き、過去の後悔、未来の心配なく現在をありのままに

受け入れ、常にリラックスした状態でシアワセを感じながら生きる。

(彼らの会話は、すべて現在形で過去未来の概念はない)

 

それは具体的にどういう形かというと、

「飾り、儀式はなく文化の誇示はない」

「名前が変わる」

「「ありがとう、ごめんなさい、に相当する言葉がない」それらは、行動で示され後悔や

罪悪感も行動で表わす。

「数、色、数量詞がない」

「音素が11、英語で40」

「ハミング語り、叫び語り、口笛語り」

「エソテリック、普遍的なもの外部から分かりにくい『内輪』なもの」

「文化構造として、再帰(リカージョン)がない。

それはどういうことかというと、『背の高い男が家に入って来た』ということが、

『男が家に入って来た。男は背が高い』の間に関係節がない。

「右手、左手にあたる言葉がなく、方向を示すには川を使う」

「色は、明暗のみ」

「装飾後は一つまで、andorに相当する構造を持たない。二つ以上装飾するには文を

分ける」

「所有格も一つまで。例えば『犬の尻尾がちぎれている』は『犬の尻尾ワルイ』『先が』

 

加工されていない写真は読みとることが出来たが、加工されたものは、元の写真と比

べても困難であった。

算数を教えようとして、失敗。数を覚える能力がないのではない。

 

言語機能とは別の普遍的な脳機能を開いているのではないかと思われる。

 

再帰(リカージョン、入れ子構造)は、言語に無限の創造性を与える基本的な道具で

あると考えられてきた。

「あらゆる言語は、再帰性を有する」という定説を覆した。

 

関係節はないが、簡系節に相当する表現は可能だった。

 

父、母に性差で区別なし、兄弟姉妹以外に親戚関係に考慮なし。

 

「交感的使用言語なし。例えば、こんにちは、さようなら、ご機嫌いかが、すみません、

どういたしまして、ありがとうなどが、ない。

 

 一人ずつ、動詞1個以下のリカージョンのない言葉、それが全体として一つの物事を

表わす。会話全体が、一人の語りにも解する。

チョムスキー派(言語学者のトップ)の定説を打ち崩す。

 

 個人中心でない見方。まわりの空間、環境、世界をメインにした意識。音素体系の言語。

ピダハンは口笛、鼻歌、音楽として記号化出来る。

 

人間の言葉は、どこからきているのか?

人間を人間としているのは何か?

 ピダハンにとっては、今だけ?が必要なのか。

 

と、言語学者の遮りによってピダハンの村に立ち入り禁止になったダニエルが言う。

 

 これは、2014年の9月に書いたもので、何時かまとめようと思って、ずっと壁に

貼っていたメモ書きである。

 それが、なんと所々日に焼けて文字が薄くなって読めない所が出て来た。

なので、記録として、ただそのまま、ここに打ち込んだ。

 ピダハンが発見されてまだ何年も経っていない、にも関わらずもうすっかり文明の波が

村に押し寄せているらしい。

 私は、これを知った時から、ピダハンの言語に学ぶことが在る気がしてならない。