ラーメン

 先日、お笑い芸人で「命、いのっち」とやる二人組みが、まだ世に出ていなかった頃

食べるにも困るほどの貧乏生活だったという話をしていた。

そして、本当に困ってどうしようもなくなって友人に電話したんだという。

その友人は、コンビニで働いてた。

友人は、カップラーメンを多量に送ってくれ、それでようやく生きのびたのだという。

しかし、毎日ラーメンだけだとさすがに嫌気がさし、ある時ふと気が付くとそのラーメ

ンの賞味期限が切れていることに気が付いた。

 友人に文句を言ったが、でも本当に感謝していて、ラーメンは懐かしい青春の味なのだ

と二人は話していた。

それで、孝雄のラーメン話を思い出した訳だ。

 

私は、男女などとあだ名をつけられ女らしくないと思われてきたようだが、女の部分と

女であることを否定してきたところがある。

 私は、臆病、怠け者、腹が弱い、強がり、無鉄砲、イイカッコしい、行き当たりばった

り、何でも大袈裟で、我慢がきかない、と数え上げればキリがないが、男というやつは

根っこのところは意気地がないもんなんじゃないかと思い。

そこんところが、私が男と言われる所以なのではないかと思ったりしている。

そして、無責任と一心同体だが、だらしない優しさもあると思うのだ。

 

私は母方の実家で初孫として生まれ、父方では初めての女の子であった。

そのため私は、幼稚園、小学校に入るまで天敵の居ない環境で、悪意というものを知らず

に育った。

その母方の実家に生まれた長男が、孝雄だった。

孝雄は、私の二つ下1956年の申(さる)年に生まれた。

何しろ動物好きの私が、初めて自分より小さい子に出会ったわけで孝雄が可愛くて仕方

がなかった。

 

孝雄は高校が終わると、都会の大手メーカーに就職が決まり実家を出て一人暮らしを

始めた。

 しかし、二年後に身体をコワシ、実家に戻った。

孝雄は、自動車のマニアだった。

 就職と同時に給料の殆どをつぎ込む月賦(げっぷ)で、念願の自動車を買った。

あの頃はローンとは言わず、月賦と言った。

ガソリン代と家賃、電気光熱費を引いたら、手元に残るのは僅かな金額だった。

 それでどうやって食べていったらいいか、と彼は考えたらしい。

実家は農家なので米は送ってもらえる。

そこで、炊飯器と湯沸しポットだけを買い、ラーメンを箱で買った。

 そして、毎日ラーメンに湯をさすと、それを汁と麺に分け、麺をおかずに汁を飲みなが

ら飯を食べたという。

結果、一年後に前歯がなくなり、二年後には栄養失調で病院に運ばれたのだ。

 

孝雄は、可愛い奴だった。

毎日のように行っていた母親の実家、そこで物心ついた時傍に居たのが孝雄だった。

何時も後をついてきて、邪魔にならず足手まといにならず、なのにちょっと話相手にな

った。

そして、何より私が喋り出した時、じっと私の話しを聞いて感心していた。

私は、自分が好きになることより、自分を好いて私の後をついて来るモノが好きだった。

私の中には、人間に対する執着心というものはあまりないのかもしれない。

淋しいという感情も殆どない。

 恋愛でも、絶対にこの人と別れたくないなどという感情が起きたことはない。

結婚を感じた時も、2月のバレンタインの日に夫が家に遊びに来たのを尻目に、

「じゃあ、ごゆっくりー」と別の友人達(男友達を含む)とスキーに出掛けた。

「あの人誰?」と聞かれ、

「うん、結婚する気がする」と答えた。

そして、3月に結納で、5月8日に結婚した。

どうしてそうなのか分からないのだが、何かが欲しいというような感情はなく

そうなんだろうなという気がするだけなのだ。

 そんな私がその何年後かに孝雄が結婚すると聞いた時に、初めて訳の分からぬムカツキ

を覚えた。あれが、嫉妬というやつなのだろうか…。

私は、嫉妬心というものがよく分からない。

子どもの時から自分の持っているものをすぐに誰かにやってしまって困ったと母が言う。

友達を束縛する気はさらさらなく、自分が束縛されるのは問題外だ。

普通の執着心もあまりない。と思いながら、私の執着心は普通のレベルではないのかも

しれないと思う。それは、普通じゃないモノが欲しいということに於いてだ。

 

 孝雄は、小学生になるとよく私の家に泊まりにきた。

夏休みに来ることが多かったが、私と山歩きをすることもあるが、殆ど一人で遊べるやつ

で手がかからなかった。

 その年の夏休み

「算数の九九が覚えていないから教えてやってくれ」とオバちゃんから頼まれた。

学校でも家でも、極楽トンボで勝手気ままな私は、無責任な人間と見なされ先生にも親に

も信用されず、その頃の私に何か頼んでくるなどということは皆無だった。

 学校から頼まれた届け物の封筒をなくし、伝えてくれと言われたことを忘れてしまった

という前科を持つ私であった。

「九九を教えてやってくれ」という伯母の言葉は、私が信頼されたという証であった。

これは、一肌脱がねばならん。という意気込みで泊まりに来ていた孝雄に九九を教え始め

た。 

 思うに、右右脳の私が責任感を持ったり、管理的になるとロクなことにならない。

そして、その被害者に孝雄はなった。

 夏休みに姉ちゃんちでイッパイ遊ぼうと泊まりにきたところで、孝雄は何時もの面白い

だらしない姉ちゃんではない、訳の分からないことを言って怒り散らす姉ちゃんと遭遇

することになったのだ。

 私は、普段は何でもよいお気楽ゴンタだが、何かを自分の思い通りにしようと始まると

とんでもないことになる。

 それは、少しでも私と付き合った者が知るところであろう。

 

孝雄はやる気が全くなかった。

遊びに行く前に九九の練習をしようと言ってもふざけてばかりで、真面目にやろうとしな

い。

普段は、私(姉ちゃん)がそのポジションなのだから、その姉ちゃんの言うことをきく

ということは孝雄のプライドが許さなかったのかもしれない。

それを感じた私はブチギレタ。

「あたしのことを、バカにしてんのか!もう遊んでやんない!もう、ウチに帰っちまえ!」

孝雄を一の子分のようなつもりでいた私は、言うことをきかない思い通りにならない孝雄

に我慢がきかなくなっていた。

 その後、孝雄の姿が見えなくなった。

家に帰ったのかと思ったが、心配になる。伯母ちゃんにも顔が立たない。

 その日も暑くなりそうな空の下、家の周りや何時も行く山林の中を捜しまわった。

散々捜して、家に戻った。

自分はとんでもないことをしてしまったと、何時もの絶望が押し寄せてきた。

誰も居ない家の中へと濡れ縁から入り、流しから続く風呂場の脱衣所を覗くと

そこに、孝雄が居た。

 その頃、バスタオルは脱衣所の棒に掛けてあった。

風呂上りは浴用タオルで拭いてから、一枚のバスタオルを家族みんなで使い、使った後は

横棒に広げて掛けられる。

 そのバスタオルに寄り掛かるように顔を埋た孝雄がそこに居た。

何時からそうしていたのかと、それを見た瞬間に愛おしさがこみ上げてきた。

眩しい夏の光は、脱衣所の薄暗さには届かず、孝雄は首筋を汗で湿らしながら泣いて

いた。

その年の夏、孝雄はそれまでの何時より長く私の家に泊まった。

山でカブトムシを薄いブルーの海苔瓶一杯に採り、それが夜中に逃げ出し蚊帳の中

を飛び回り大騒ぎになったりした。

 

 私は、虫や動物が大好きで蟻地獄や芋虫、カタツムリを飼い、親に許されないので

野良犬、野良猫を手なずけ友としてきた。

 そこにハツカネズミが加わったのは、小学校高学年の時だった。

嵐の日に貰ってきて瀕死の状態になったネズミを懐で温め、生き返らせるとパートナーを

迎え入れ繁殖し始めた。

 ハツカネズミについて語らせたら話しは尽きないのだが、今日は止めておく。

そのハツカネズミの赤ん坊が、めちゃくちゃ可愛い。

綿の中に産むのだが、皮膚が薄くうす紅くて小指の先程の小ささなのにちゃんと指がある。

 もう、産んだだろうかと楽しみで楽しみで、私はやってはいけないことをしてしまって

いた。

 綿の中を度々覗いていたのだ。

「覗くと心配した親ネズミが子供を食べてしまうよ」と友人から忠告を受けていたにも

関わらずにだ。

 そして、ついに産まれていた筈の子供が消えた。

「ゲー」っと髪が逆立つ思いがした。

自分のせいで、子供が親ネズミに食べられてしまったのだ。

あの小さなコロリとした、うす紅い小さな手足を付けた目を瞑った生き物が…。

 それから、子食いはクセになってしまった。

私は、それを知ることが恐怖で、知らない振りをして孝雄にハツカネズミをやった。

ハツカネズミを欲しがっていた孝雄は、とても喜んだ。

 少しすると「姉ちゃんよ、何だか子供を産んでも居なくなっちゃうんだけど」と孝雄が

言ってきた

「お前、産まれたかどうか見たくて綿の中覗いたんだろう」と言うと

「うん」と孝雄は答えた。

「だからだ、仕方がないやつだな」と私は言った。

孝雄は困った顔をしていた。

私は最低だった。

 

孝雄は、ラーメンで栄養失調になり前歯がなくなったが結婚し、いい親父になった。

随分いろんな男と付き合ったが、結婚すると聞いてムカッとしたのは、孝雄の時だけだな。