礼・恥(ムカドン)

 私は常に怒っていると家人、知人は言う。

私が言っていることを怒るという言葉で一つに括ってしまうことにも、ひとこと言いたい。

 子供に限らず注意をすると「怒られた」とすぐに言う。

日本語のボギャブラリィー(語彙、ごい)が何と貧困になったことか。

注意しても教えても、諭(さと)しても、諌(いまし)めても、果ては促しても怒られたと

いうことになるのだ。

 これらの言葉を一度辞書で調べてみたらいい。

 

分からないことは、恥ずかしいことではないと私は思う。

恥ずかしいのは、分かろうとしないこと。知ったかぶりをすること。

「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」の意味を深く考えもせず、自分で考えることを

なまけ、何でも聞けばいいと安易に聞くこと。

なんでも聞けば分かると考える「知らないということを知らない」ことが恥かしい事で

あると私は思っている。

 

 私の仕事場は不特定多数の人が訪れる。

子供が便所を借りることも多い。

しかし「便所を貸してください」と自分の口で言う子は、殆どおらず、

大人に言ってもらい、借りた後も礼を言わない子が、非常に多い。

たまに礼を言う子が居ると

「お礼が言えて偉いね」なんぞと大人が言いやがる。

別に偉くなんかない。

他人の家の便所を借りて礼をいうのは、当たり前、当然至極のことだ。

「有難う」と子供が言ったら

「どういたしまして」と大人は答えるべきだろう。

「偉かった」だの「ご苦労様」は上から下に向かって言う言葉だ。

「よく出来たね」なんて下手なお世辞や評価は止めて同等の人間として付き合うことは

出来ないのか!?

 大人だろうが、子供だろうが同じ土俵で話したい。

そうしたら子供は、もっと雄弁になろうというものだ。

例えば、片付けを手伝った時に言う言葉は、

「片付けが出来て偉いね」じゃない。

「ありがとう」だ。「お世話様」だ。

子供を馬鹿にするのもいい加減にしろ!

 

今の子供たちは、便所を使うのが恥ずかしいのだという。特に大便。

だから、学校ではなるべく便所を使わず、具合の悪くなる子まで居ると聞いた。

 恥の何たるかを、先人は教える義務がある。

まあ先人が、本当の恥の意味を知らねば、教えようがないが…。

 

排泄をすることは、便所を使うことは恥ずかしいことではない。

便所を借りるのに、自分の口で言えないことが、恥ずかしい。

便所を借りて、礼を言わないことが、恥ずかしい。

便所を汚して、始末せずに、こそこそ逃げることが恥ずかしい。

恥ずかしいといって、逃げることが恥ずかしい。

 

一番恥ずかしいことは、卑怯な事、自分の身を守る為にウソをつくこと。

そして、他人のモノに手を出すことだ!

って、あっ、また怒ってた。やっぱりムカドンだった。