霊能力者

 最近、霊能力者といわれる人が世の中に出て活躍している。

私は、総ての人は天才だと思っているし、霊能力者だと思っている。

 そりゃあ、力や得意分野の違いはある。

でも、何かによって生かされて、生きているのだ。

人間というものは、自分一人の力だけでは生きられず、他の人間を求める生きものなの

だが、自分を殺してして人の間で生きることも出来ない。

一人じゃ淋しい、でも人に合わせ馴れ合うのも面倒臭い。というワガママな駄々っ子の

ような生きものだ。

 だから、何なんだって?

そこで、生きていることが面倒になってくる。

 少なくとも私はそうだ。じゃあ、どうしたらいいのか…。

自分はこうありたい。こうあらねばならぬ。毅然と、媚びず、自分に厳しく人に優しく。

自分の身は自分が立てたい。人に迷惑を掛けないことが生きる基本だと思っている。

 

テレビを見ていたら霊能力者といわれ、現在活躍中の彼が出ていた。

その人の話を聞いていたら、その答えが見えてきて元気が出てきた。

そうそう、私も全く同じ考えだ。

 

 墓参りを脅しのようにつかって自分が良くなるために行くことは、本当の墓参りの意味

をなさないと私は思っている。

私は自分が今ここに存在している感謝と報告の為に墓参りに行く。

その為には、胸を張って報告出来るような毎日の生活をしなければならない。

だらしない、人に迷惑を掛けるような生活では報告出来ない。

そして、先祖に対する感謝は表現せねば、何の意味もない。

その表現は、障害や病気を持つ人は違う表現になるが普通の人は、自給自足、親に心配を

掛けないこと。

何故なら、先祖の一番近い人は親だからだ。先祖は親から繋がっている。

 

霊能力の彼が言った。

「苦労は買ってでもしろって言うけど、あれは間違い。

自分のだらしなさで招いた苦労は、自業自得、本当の苦労ってのは、必要があって与えら

れたものを受け止めて乗り越えていくこと。

いつまでも、自分で勝手に悪い種を蒔いて、それを刈り取ることに終始していたら、

次のステップに進めないですよ」

 そーだ、と思う。

「人との別れもそう、同じ別れでも卒業なのか、逃げなのかを見極めなくてはならない」

 そうそう、私も例えば、仕事を辞めるんでも離婚でも何でも、それが終わりにすべき時

なのか、自分の辛抱が足りないための逃げなのかを見極めなくてはならないと思う。

 私は、そこにもう一つ、避難という選択を入れている。

世の中の風潮としては、離婚はいけない退学はいけないと、それまでやっていたことや

計画を取り止めることは挫折とみなして好意的でない。

 まあ、好意なんぞ持たれなくて結構なのだが、その内容の深いところに思いを馳(は)

せずに判断するのは浅はかであると思う。

 が、表面だけを見て良いだの悪いだのとピーチクパーチク騒いでいる奴らは放っておい

て、自分に戻って聞いてみたらいい。

 自分が本当に求めているもの何なのか、世間体か、単なる自己満足か、一時の欲望か…。

それとも、…。と考え自分の心に聞いてみる。

そこで出た答えが本当の答えで、それが見えたらそこに向って歩き出すんだ。

 

 だらしのない生活は、約束を守れず、自分を壊し、人に迷惑を掛ける。

だらしない人は、人に優しく見える。

自分もやってるよ、大丈夫だよ。あるある、そういうこと。誰もやってることだよ。

 でも、そう言われても、許せない自分がいる。(人がどうでも、私はそうだ)

私は店をやっている。

 注文して取りに来ない人がいる。

お金を、期日に払いに来ない人がいる。

壊した物を、隠して帰る人がいる。

駐車場にゴミを捨て、車は路上に停める。

 子供は買わない物をさわりまくり、大人は見散らかして、元の所には戻さない。

学校で、家庭で、不用意に物に触らずに観察するということを教えて欲しい。

自分の物と、他人の物の区別を教えて欲しい。

自分の物だけ大事にすることは、恥ずかしいことだという教育が、今必要だと思う。

約束を守るのは、ルールを守るのは当たり前のことだ。

そして、好きな人にだけ媚びることは恥ずかしいということが、分からなくなっている

気がする。

 

「今年になって車で事故を3回も起こしちゃったんですけど、お祓いでもしなくちゃ駄目

ですか?」と言う人がいる。

 その人を見ていると、お祓いの前に先ず生き方を見直す必要があると思う。

不注意。注意力散漫。だから、うっかりミスが多く、ルールを破る。なくし物が多い。

約束は守れないのか、守る気がないのか。失礼なことが多い。

 

 モノを壊した時、なくした時、大まかに分けて3つの意味があると思う。

一つは、“生き方がたるんでるんじゃないのか?”というお知らせ、警告。

一つは、“その時期”だったということ。

一つは“そこでの解消”なくなることによって次がやってくるのだ。

 でも、何度も続くのは、警告であることが多い。

 

 私はメダカを飼っていて、欲しい人にあげている。

自分が鬱になりやすいせいか、同じような性格の人が寄ってくる。

鬱になりやすい人のタイプというのがあるらしい。

それは、責任感が強い。こうでなくてはいけないという思いが強い。

食事に行ったら必ず自分が払いたい。

人の世話になると負担になり、必ず恩を返さなくてはならないと思う。

 ゲゲッ、これは、ワシそのものじゃないか!

でも、鬱から立ち直れなくなるタイプというのもあるという。

それは、世間体や人目を気にする。生き方を頑張らない、というのは、陰で手を抜く、

人を裏切る、裏表がある、だから自信が持てない人なのだという。

 

メダカは、鬱になりやすい人にあげることが多い。

自分がそうであったようにメダカが死んでも落ち込まないようにと、メダカを渡す時に

言う。

「まあ、言わなくても大事に飼うだろうけど、死んだ時にがっかりしないで欲しいんだ。

メダカが死んだ時は、あなたの良くないモノを持っていってくれたと思って欲しいの。

そして、メダカが元気な時は、それはあなたの元気が生きてると思って欲しい」と、

思うんだけど、動物、植物は美しい。

 何故そうおもうか、それは見返りを求めることがなく、人を恨むことはないからだ。

その家の誰かの元気がなくなると、そこの動植物の元気がなくなる。

若しくは、よりキレイになって可愛くなって人を慰める。

 ヨーロッパのベランダの花が、その家に病人が出るとどんなに世話をしてもどんどん

枯れていくと聞いた。

だからベランダの花は、喜びの象徴なのだという。

でも、美しく咲いて元気を与え、枯れていくことで、その家の人を守っているんだと思う。

 

最初の話に戻るが、人はみんな、霊能力者で天才だと思う。

人は天から与えられた才能で生きている。だから、天才。

それに磨きをかけるかどうかは、本人の生き方次第。

霊能力がない人ってのもいないと思う。だって霊の力で生きているんだから。

そこで、正しい教えが聞こえるかどうかは、本人の生き方次第。

修行を積めば、誰でもその教えが聞こえるようになる。

その修行とは、人を、モノを大事に、総てのものに失礼のない生き方をすること。

毎日の生活を当たり前に大切に、きちんとすること。

キレイな心を持って、チャンと生きる。それだけ。

 

 霊能力者の彼は、言った。

「誰も何も羨む必要はないんですよ。

だってプラスとマイナスは同じ分量で一緒なんですから、頑張ったから与えられるんで

あって頑張らないで与えられたモノは、逆に怖いんですよ」

 そうそう、その通り。

天才とは、天国と地獄を知る者のことであるという。

有名で才能のある親の元に生まれるということは、財産家は、その重荷も背負うという

ことでもあるのだ。

人の幸せは、一面だけを見て羨む必要はない。

 そして、一見不幸に見えても、他人には計り知れない幸せがある。

 

なーんて、考えていたらPM11時に佐々氏からの電話があった。

「どうですか?」という彼の声に甘えて体調の悪さや気持ちの辛さを話す。

「体調は兎も角、どういう感じなんですか?」と聞かれ

「自分がここに居ないような気がして、自分が化け物になるような、気違いになるような

恐怖が襲ってくるんです」と言うと

「分かるような気がします」と佐々氏は言った。

その言葉だけで、十分な気がした。

更に佐々氏は、

「今は間違いなく生きているわけですから、心配しないで楽しんだらいいですよ。

楽になりたいと思ってもカミサマが、もういいよって言うまでは生きなくちゃならないん

だし、生きてるってことはやるべきことがあるってことですからね」と言った。

そして、引きこもりのような生活をしている私を見ているかのように、

「家の中にばかり居ないで、自然の中に出ていってごらんなさい。

人と話すのも人間の力もいいですけど、自然の中に入って散歩したり野草を摘んだり

木に触ったりしてみてくださいよ、自然の力は大きいですよ」とも言った。

 それを聞いて、最近どうしようもなくなっていた気持ちが、落ち着いた。

佐々氏は、霊能力者だと思うが、当てることなど眼中にない。

「人として、当たり前に生きることが、一番大切なんですよ」と、いつも言う。

それを聞くと、自分の足が地に着くのを私は感じるのだ。