2017年 3月11日

 

6年前の今日、今頃、私は両親と一緒に、危篤の叔父(母の弟)の病院に居た。

4階の病室、話し掛けても反応のない叔父。

 それが、一緒に住んでずっと面倒を見てきた娘(従妹)が病室に入って来て

「おとーさん!」と言った途端に、ビクンと反応し「ううー」と声を出した。

 あー、あんなに可愛がってもらったが、やっぱり娘は別格なんだな。と思う。

そして間もなく、ベッドサイドの大きな機械が揺れる程の地震が来た。

 両親と私は、そこへ来た伯父(母の兄)と一緒に同じ階の待合室に移った。

待合室でも揺れは続き、伯父はドアの枠に両手を突っ張らせていた。

私は「なんだこれ!?」を連発する両親に

「いいから、テーブルの下に入れ!」と怒鳴って、二人がそれぞれ丸いテーブルの下に

入ったのを見届けて自分もテーブルの下に入った。

ただ置かれただけの二人用の丸テーブルは、面白いように左右に動いた。それまで両親

に指図し二人の心配をしていた時にはなかった恐怖がテーブルの足を掴んで突然来た。

 そこで思わず「ナンマンダー、ナンマンダー」と普段言ったことのない経が出る。

普段は、サンスクリット語の「グァーティグァーティパァラグァーティ、パァラァサン

ヴァグァテーボディスヴァカァー」を唱えているのだが、いざとなったら言ったことの

ないナンマンダーが勝手に出てきた。

 間もなくバチ!という音と共に電気が消え、エレベーターが使用できません。という

放送が流れた気がする。

でも、後から考えると病院は補助電源は確保されてる筈なので電気は消えない筈だと

思う。

兎に角、私も一緒にと引き留める両親を先に階段を下りさせ、伯父にもう一度会いに

行った。

階段の途中で両親に追いつくと二人は安堵の表情になった。

揺れ続ける病院の前の植え込みに腰を下ろすと、周りにも沢山の人が座り込んでいた。

 駐車場の横にある高い街路灯がバチ!と音を立てて割れ、ガラスが落ちてきた。

ここに居ては危ないからと駐車場に向かった。

車に乗り、来た道(高速道路沿い)で帰ろうとすると、父が6号国道に出た方がいいの

ではないかと言う。

 何となく勘が働いた私は、「いいから私の言う通りにして!」と有無を言わさず車を

走らせた。

 すると、暫らくして何やら山の方に向かっているような気がする。

家の塀が崩れ落ちていたり、家に入れない人が道路に座り込んで居るのを見ているうちに

ナント!道に迷ってしまったらしい。

「おとーちゃん、道に迷ったみたい」と言うと、

「な、そうだと思ったんだけど、こういう時に口出すと麻子に怒られると思ったから」

と、父の何時ものセリフ。

父は、私を子供の時から怒ったことがなく、私に怒られることを異常に恐がる。

(私も父を怒ったことがない、つもりなんだけど、なんでかなぁ)

方向音痴の母は、で私達が必死で考えていてもどこ吹く風でこの非常事態に関係のない話

をして温厚な父に「オマエは黙ってろ」と言われる。

そうこうしていると、ポンと来た時の道が田んぼの向こうに見えた。

車が列をなしている。

 田んぼの細道をぬってなるべく前に出て列に入った。

川の橋の上に車がひしめいていた。(ここで地震が来て落ちたらどうするんじゃ)

私は、橋に乗らずに待っていて、橋の上に車が無くなってから慌てずさっと渡った。

渡り終わってバックミラーを見ると、やはり橋に乗らずに次の車が待っているのが見えた。

よしよし、と思う。

話によると、その後その橋は通行禁止になったらしい。

家に戻ったのが4時過ぎ位だった。

その病院の近くから帰宅した人達が、7時過ぎても、酷い人は8時を過ぎても帰れなか

ったという。

私達は、道に迷ったお蔭で早く帰れたらしい。

 

 家に着くと、倒壊はしていなかったが住まいである二階の家の中はグチャグチャだった。

2匹の犬のうちダックスのマイロは、夫が呼ぶと瓦礫の中をノコノコ出てきた。らしいが、

トイプードルのコタローは、いくら呼んでも出てこず、呼んでいると地震が来て階下に

戻りを繰り返し、痺れを切らした夫が足の踏み場もない中に入って行くと、台所の流し

台の隙間にすっぽり入っているコタローを発見。

 よっぽど怖かったんだろうオシッコを洩らしてブルブル震えて固まっていた。という。

それまでは、ちょっと夫を馬鹿にして反抗的だったコタローが、何かあるとさっと夫の

所へ行くようになり、今でも夜中に地震があると夫の部屋に行く。

 

2001年3月に、私のスイッチが入った。

って、今となって考えると、スイッチってのは、生まれた瞬間に入っているのかもしれ

ない。

 生まれた、っていうのは腹に入った時から。

 

 まぁ、何時からでもいい、偶然の一致が続いている。

それを、ここから書いて行くかな。

 

さて、書き終って載せようとしたら、4時じゃないですか。

あの日、家に帰って来た時間ですな。

 当たり前が、ありがたいと、思えることの、幸せ。って、西光寺に書いてありました。