ルネッサンス

 

 今日はルネッサンスについて、書きます。

すみません。自分の考えをまとめるタメに書くので面白くないと思います。

 

「ルネッサーンス!」ってお笑い芸人がやってるけど、

“ルネッサンス”は、元々はラテン語から出たフランス語で、“再生”という意味。

そして、“ルネッサンス時代”ってのは、15〜16世紀にあった古代再生の時代。

古代ギリシャと古代ローマの文化を、見直した時代。

 何故、中世に古代を見直さなければならなったか?

それは、古代の自由な発想や芸術が、中世宗教の束縛によって神を崇拝するあまりに

人間を束縛し不自由にし、ある意味歪んだものになっていたことへの軌道修正だった。

 まあ、いってみれば温故知新って感じかな。

 

それは“宗教改革”と大きく係わっている。

ローマ教皇レオ10世が大聖堂の建設で、ミケランジェロ、ダビンチ、なんかの凄い

人たちが1420年フィレンツェに集まってくる。

 その建設に掛かった建設費は莫大なもので、とてもじゃないが、お金が足りない。

そこでレオ10世が考えたのが“免罪符”の発行。

 その“免罪符”を買うとその人の罪が許されるというフレコミで、寺院に売らせる。

寺院もそれを沢山売ってローマ教皇に納めることが信仰心の表れなのか自己顕示だった

のか、夢中になってそれを売りさばいた。

 そこに“マルティン・ルター(ドイツ)が、「人はお金ではなく信仰心によって救われる」

と新約聖書に立ち戻る運動を始める。それがカトリック教会からの分離“プロテスタント”

その頃にグーティンブルグが、ワイン作りの為の葡萄絞り機から“活版印刷”を

作ったことでそれまでの10分の1の値段で本を作ることが出来るようになる。

そのことで、それまで一部の人だけしか読むことができなかった聖書が、世に広まる

そのことが、ルターの戦いに拍車を掛けることになる。

 

 科学や天文学が、それまでの押さえつけから解き放たれ“コペルニクス”の地動説が

シェークスピアや、セルバンテスが世に出ることになる。

 活版印刷が発明されたことで、シェークスピアが古典をラテン語から庶民の分かる

言葉に興し、ほら吹き男爵を書いたセルバンテスは、ドイツ語からフランス語英語と

文学をヨーロッパに広めていく。

解き放たれた芸術が再生(ルネッサンス)し、花開いていった時、表現が自由になり

マザッチョが透視図法の大元である、線遠近法でキリストを描いた。

ダビンチが、空気遠近法でモナリザの微笑を描く。

 

16世紀「エラスムスが生んだ卵をルターが孵した」といわれる。

エラスムスとは、古典の研究をした人文主義の巨人と言われた人で、彼の

「人はお金ではなく、信仰によって救われる」という精神を、ルターが宗教改革という

形で進めシャマルカルデン戦争になる。

 ルターは、エラスムスが賛同すると思ったが、「戦争は体験しない者にこそ、快し」と

言い「平和的に改革はするべきで、平和と寛容こそが大事」と戦争に反対し、

「人の叡智によって平和を」エラスムス望んだ。

そして、エラスムスは、ローマからもプロテスタントからも迫害されるが、何モノ

とも戦うことはなかったんだ。 それを“エラスムス主義”という。

 

 “中世”(キリスト教公認以降のローマ帝国が衰退した時代)

14世紀、フィレンツェ出身の「ダンテ」が国を追放され、放浪の旅の中で「神曲」を

完成させる。

 ペトラルカは、古代の文献を収集しラテン語の詩作などを行い、古代こそが人間性が

肯定されていた理想の時代だったと言い、中世を“暗黒の時代”とよび、

人間の生き方について思索する知識人を人文主義者とよぶようになった。

 フィッチーノがプラトンの著書を翻訳する。

ミケランジェロ、ダビンチ、ラファエロが、フレンツェ、ミラノ、ローマ、ヴェネツィア

で活躍し、メディチ家(フレンツェ)スホルツァ家(ミラノ)などが彼らを支援する。

 “サンピエトロ寺院”が、ローマ皇帝によって作られる。

 

 “ペスト”が流行り、“魔術”“迷信”の時代でもあった。

1600年には“宇宙の無限性”を唱えた“ブルーノ”が、火刑に処せられる。

 ガリレオガリレイが、教会の権威やアリストテレスの哲学に盲目的に従うことを拒絶し

哲学や宗教から科学を分離し「科学に父」とよばれるようになった。

 エラスムスは、人文主義者として“痴愚神礼讚”でカトリックの堕落を風刺する。

 

 “活版印刷”“羅針盤”“火薬”は、ルネサンスの“三大発明”といわれてきたが、

火薬も羅針盤も中世に存在し、活版印刷術は東洋で実用化されていた。

 最近の教科書では“三大発明”でなく“三大改良”とされているという。