散歩する犬

 

 我が家には台所が2つある。

バブルの時期、一階に24畳をワンルームにして宴会が出来るようにと作った所に

ある台所。これは現在塞いでしまって使っていない。

そして、今使っているのが、住まい部分である二階の北西を向いた所にある台所だ。

流しの前にある出窓から見下ろすと、右にも左にも田んぼが続く。

田んぼの向こうを道路が横切っていて、その先に働き者の家族が住む大きな農家がある。

何百年にもなる柿木があるその家は、大きな杉林を背負っている。

 その右になる北にも田んぼが続き、病院や民家、林の緑の先真北には、常陸の国一帯

に雨を降らせると古来より言い伝えられている東金砂山があり、そこから東の海に向

かって山が連なっていく。

空も山も林も田んぼも四季折々変化し、刻々と色や形を変える。

 

私は毎朝、出窓の北側に朝一番の水をあげる。

自分も朝一番の水をコップ一杯頂く。

 朝食の準備を始める。料理の腕は兎も角、私は料理が好きだ。

子供の頃野山の草木をオモチャの包丁で切った楽しさの延長線上に料理はある。

物凄く色んな物を腐らせて捨てているのだが、やる時は野菜の皮までも使って無駄を

出さずに何かを作る。それが、チョー快感。

今日は冷蔵庫にある物で何が作れるか、考えながら目の下に広がる田んぼと道路に

目をやる。

この道路は元々あった道だったのが、35年前に出来た我が家の東側にある道路の

お陰で通る車は少なく、散歩する人が多い。

毎日台所に立って見ていると、早朝散歩する人やジョギングする人の時間が決まって

いて、長いことには犬が変わったりしてきた。

 

 私がドカンとやられた時だから、もう8年前になる。

台所に立っていると散歩する中年男と黒い柴犬が居た。

 男は背が高く姿勢良く、真直ぐ前を見て歩いていた。

犬にはリードが付けられていなかった。

 いくらあまり車が通らないといっても大丈夫か、と思う。

男は、全く犬を見ない。

 それに引きかえ犬は、ご主人さまである男の前になり後ろになり、いかにも嬉しそうに

歩きながら、男から目を離さない。

 道が二股になった所に差し掛かった。

前を走って行った犬はどうするのかと思った。

 が、犬はピタリと立ち止まり男が来るのを待った。

そして、男が足を踏み出した途端、その道をトットと歩き出した。

 姿勢が良く、歩き方も毅然としている男と、嬉しさを体中で表し男に尊敬の眼差しを

向ける犬。

それから、男と犬が散歩していると注目して見るようになった。

 

私は、子供の時から犬猫、その他の生き物を欠かしたことがない。

特に犬は人間以上に気持ちが通う気がする。

特別しつけをしなくてもリードなしでも他所に行ったりせず、イタズラもしない。

体罰はしたことがなく、ダメなことをした時は「あれ!?」と低い声で言うだけで止める。

ストーカーのように尊敬と憧れの目で見ていて、便所でも風呂でも付いて来て待って

いる。

いや、下手したら中に一緒に入ってくるが、犬は決して私の心を乱さず邪魔にならない。

 

犬は、安定した信頼出来る人を求めているらしい。

犬はリーダーを求める動物なので、毅然とした主人だと落ち着き、感情の起伏が激し

かったり、何かにつけて騒いだりはしゃいだりされると不安になるらしい。

 男と犬は絶対の信頼関係で結ばれていた。

いつだって犬はその喜びを全身で表し、走って行っては戻ってきて男の顔を覗き、

道端で臭いを嗅いでいて男が先に歩いて行ってしまうと、大急ぎで男の後を追った。

男は一人で歩いているように、それもまるで何かの計測でもしているように同じ歩調で

真直ぐ前を見て歩いていた。でも、その男が犬を限りなく愛しているのを私は感じた。

 

 朝だけでなく日中も犬を連れて歩く男は、退職したばかりとみた。

二人というか、一人と一匹は我が家の西道だけでなく車の通りの激しい道路も歩いていた。

犬好きの私は、その男に自分を投影し、あの犬に何かあったらどうするんだろうと

ずっと気になっていた。

 それが最近、犬にリードを付けて歩いているのを見かけた。

やっぱしなぁー。と思った。それでいいんだよー、やせ我慢しなさんな。と思う。

 

男の頭に白いものが増えていた。

犬はあまりはしゃがなくなっていた。

 相変わらず男は姿勢が良かったが、犬が立ち止まると立ち止まって犬が道草するのを

静かに待っていた。

 犬が歩き出すと、男も歩き出した。

いつの間にか、犬が男を見るより、男が犬を見る方が多くなっていた。

 犬を見る男の目が、優しかった。