佐々氏

 佐々氏と出逢ったのは、1995年の春だった。

仕事でバリ島に行き、彼に案内を依頼したことがキッカケだった。

 バリ島に行くことには、夫が乗り気だった。

私は、旅行が嫌いだ。

準備をするのが面倒くさい、飛行機が怖い、下痢をしやすく体調を整えることに異常に

気を遣うからだ。

 

 佐々氏は、バリ島に十年以上住んでいて、そこを拠点に世界中を飛び回っているという

話しだった。

バリ島に行く前に、夫はたまたま日本に来ていた佐々氏と会うことが出来た。

一流ホテルに開襟シャツにゴム草履を履いて現れたた佐々氏は、穏やかで物知りだったと

夫は言った。

「おい、あんた、佐々さんてもの凄く面白い人だぞ。あんたと、ゼッタイに気が合うぞ」

と夫は、バリに行くことを薦めた。

 夫は、出不精で人見知りの私に次々と新しい話しを持ってくる。

私には、男友達が絶え間なく居るが、これも夫が陰で操り、ある意味守っている。

そして、その時に佐々氏との縁を結ぶキッカケも、夫が作った。

 

 佐々氏への興味が、私をバリ島へと旅立たせたといっても過言ではなかった。

面白いと思うことが、私の行動の原動力だ。旅行は、というか仕事は楽しかった。

楽園の風と空気、時間を満喫した。

夫と友人、それに私と佐々氏の4人は、佐々氏の車で移動し、仕入れをした。

その間中、私は佐々氏に向って喋りっぱなしだった。

一緒に行った友人は、気のおけない失礼なところのない人で、夫にも気を使うことがなく

誰にも気兼ねせず、私の気を殺(そ)がれることなく話せることが嬉しかった。

私は、佐々氏に思いのたけをぶつけて話していた。

 生まれて初めて、夫以外に思い切り話しても大丈夫な人と出逢ったのだ。

 

佐々氏を語る時、夫を語ることになる。

夫は、私が思う通りに生きていても束縛をしない人だ。

私は、彼のような人とは出逢ったことがなかった。

今、こういう書き物をしているが、何も言わない。

男友達と一日中遊んでいても、失礼なことさえなければ何も言わない。

私のいろいろ感じることや考えを言った時、それを嘲(あざけ)たり、頭ごなしに否定

したことがない。

 人の失敗や済んでしまったことを、どうしてそうなったのだと責めたことがない。

私の手紙や書き物など、一度として見たことがない。

私がすることを報告して了解をとるという筋さえ通せば、私が何処で何をしようが

関心がある素振りさえ見せない人だ。

彼が伴侶になったから、今の私が成り立っているのかもしれない。

 

 その時にした佐々氏との話しは、物事の成り立ち、在り方、存在の仕組み、物事の捉え

方や見方、理解の仕方などについて、社会的なことから家族を基本とした人間関係などの

現実を基にしてのお互いの思考の交換となった。

 私は喋り出すと、全力投球になってくる。

そうなると相手は辟易(へきえき)し、それは、私への負けと感じ嫌悪となり、私の意見

を否定し、存在まで否定することになるのだ。

 私は、喧嘩が好きだ。何故なら、お互いに手加減なしでぶつかり合えるからだ。

 佐々氏は、手加減なしで話すことの出来る人だった。

ようやくこの人と巡り会えた、とその時思った。

 

次々とデジャビュしたバリ島の空気は懐かしく、忘れられない時となった。

 

その3年後に日本に来た佐々氏が、突然自宅を訪ねてきた。

その時は、佐々氏の特性についての話は聞いていなかったと思う。

 しかし、塚石(私の所で働いている同士)は、

「お坊さんが、麻子さんを訪ねてきていますよ」と二階に居た私を呼びにきた。

一階に降りて行くと、佐々氏が居た。

「何処にお坊さんが居るのよ」と塚石に言うと、

「あれ?オカシイなぁ、お坊さんに見えたんだけど」と塚石は言った。

日差しがきつく、家の前にある木の下に立った佐々氏を覆った木陰が、すげ傘と袈裟の様

に見えたのだろうか、と塚石は言った。

 嬉しくてはしゃいだ私は、書き物を見せて佐々氏に向って喋りまくった。

そういう時、夫はいい距離間で見守りながら決して邪魔をしない。

それでいながら、時々堅実な大人の会話をすることで私達の関係を危なげないものにする。

 

 その日、“おまもり”を見せた。

「まだまだ、文章が稚拙で、自分で読んでいても恥ずかしいんですけど、言いたいこと

分かりますか?」と言うと

「分かりますよ。

いいじゃないですか、こういうの、どんどん書いて出したらいいですよ」と佐々氏は言っ

た。

 佐々氏に言っていなかったが、私の書きたいことのもう一つのテーマがあった。

それは、スピリチュアルの世界だった。

 私は幼い頃から自分にとっては当たり前で不思議とは思わないできたことが、その頃に

自分は、普通とは違うということに違和感を覚え始めていた。

そして、同時に自分の常識の枠から外れた不思議な話しが、立て続けに入ってきたのだ。

 

 その話しを佐々氏としたのが先か、佐々氏の話が先だったのか覚えていないのだが、

先ずは、佐々氏の話をしよう。

佐々氏は、先祖代々お殿様に仕えるお坊さんの家系だった。

その家系は、平家の落ち武者の一族だということで彼の名前の部落があり、同じ名前の川

が横を流れている。

そして、彼の家系は十七代だか二十七代になるということで、三代ごとに本物のお坊さ

んが生まれるらしかった。

以前に生まれた子は、手に水晶の玉を握って生まれてきたといい。

その3代後に生まれた子は、握った手の平に卍が書かれてあったという。

 そして、その3代後が佐々氏であった。

 

1950年、5月6日、佐々氏が誕生した。

佐々氏の家族一族は、今度はどんな“しるし”があるのかと、生まれたばかりの佐々氏を

足の先から、手の指の間まで、隈無く調べたという。

 しかし、そこには何の“しるし”も見出すことは出来なかったという。

彼の一族は両親も含め、「もう、こんなことは終わりにしろということかもしれない。

この科学の世の中で、今時こんな話が通用する訳がない。これは、なかったことにしよう」

という結論になった。

 しかし、佐々氏の物心がつき、口が利けるようになると、普通の人には見えないモノの

話しをし始めた。

 亡くなった人が現れる。ご先祖さんの姿を見る。ご先祖さんであることは、写真で判明

した。

「私、見えたモノをそのまま口に出すと皆が驚くから、口数の少ない子供だったんですよ。

それに何でもすぐには口に出さないようにしてたんですけど、一度失敗しちゃいましてね。

高校生の時だったんですけど、友達の家に行ったら、その時小雨が降っていたんですけど

葬式の準備がされていたんですね。

それが、あまりにリアルでホンモノそのままだったもんですから、本当だと思っちゃった

んですね。

で、「お前んちの母さん死んだのか?」って言っちゃったんですよ。

祭壇には、そこのお母さんの写真が飾られていたんですね。

そしたら、「いやだね、佐々君たら、変な冗談言って」って、そこのお母さんが奥から

出てきたんですね。

失敗したって気がついてそこは誤魔化したんですけど、それから間もなくして、その

お母さんが亡くなって、そのお葬式に行ったら、その時に見た光景と全く同じだったん

ですよ。祭壇から写真、何から何まで、寸分違わず同じだったんですね。

私、先に見ちゃったんですね。でも、あまりにリアルだったから間違っちゃったんです

ね」と、佐々氏は言った。

 

 最近、彼の誕生日事典を読んで驚いた。

ジグムント・フロイトと同じ誕生日だった。

ここからは、“誕生日事典からの抜粋”だ。

空想、想像、無意識の仕組みの分かる人。

これは二通りのあらわれ方をする。

 まず、同情的で感情移入をするタイプ。

そして、他人の空想を体現する、つまり人の憧(あこが)れを具体化したスターになる

タイプ。

第一のタイプは、カウンセラー、物分かりのいい親などで、困っている人々を導こうと

する。

一方スターになるタイプは、夢を実現することに情熱をかけ、人々が心の中に閉じ込め

ている空想の世界で生きてみようとする人である。

 このように、想像力を利用できる才能を持っているが、この使い方を誤ると大変なこと

になる。

不道徳な目的や、いい加減な目的のためにこの才能を使えば、自分の利益のために人の

人生を操ったり、望んでもいない仕事や結婚をすることにもなりかねない。

自分の領域を弁えたうえで、自分と他人の目標を倫理にかなった客観的な方法で扱うこ

とが出来さえすれば、成功できるだろう。

 子供の頃のトラウマを持つなど、何かと苦労の多い生い立ちではあるが、勇気と忍耐力

で心の傷を癒し、こうした苦労のお陰で、平凡な子供時代を過ごした人や鈍感な人には分

からないことまで見抜く力を授かる。

人を思いやる気持ちを忘れず、洞察力を用いれば、社会に貢献できる人になる。

苦しみを抱えていても、弱音を吐かず、人のために尽力する。

とても繊細なうえ、おそらく無意識の破壊的な力にうながされているせいで、感情が

不安定になり、その符牒や痛みとなってあらわれる傾向がある。

また人生には常にハードルがつきまとうが、1つ1つ着実にこなしてゆく。

自分の運命をコントロールしようとするあまり、綿密なスケジュールを立てずにはいられ

ない。時間をコントロールしていないと、何かとんでもないことが起きてしまうという

強迫観念に囚われているのかもしれない。

表面的には快適なライフスタイルを送って時間を有効に使っているように見え、本人も

そう思い込んでいるが、じつは今にも爆発しそうな激しい感情を抱えている。

 その一方で、一見理不尽にも思える他人の言動に対しては直感を働かせ、誰よりも早く

そして深い理解を示す。

 知恵と勇気を持っており、心が動揺した人にとっては頼りがいのある存在となる。

敗者や犠牲者の気持ちがわかりすぎるほどわかるため、その人たちの側に立つことが多い。

魅力的な人の場合助けた相手から愛を告白されたり崇拝されたりすることがあるので

要注意。

決して悪い気分はしないだろうが、そのような関係に深入りすると自己実現を遅らせる

だけである。

ナンバー6に支配された人は、愛情、尊敬の対象であり金星(牡牛座を支配する惑星)

は社交をつかさどり、大勢の人と手を組んで何かをすることになる。

 

健康について

無意識の衝動に突き動かされたり空想にとらわれたりすると、極度のストレス状態に

陥る。気分の著しい変化やヒステリーなど、他の心のトラブルに関しては冷静に対処出来

るが、自分のことになると意外に脆い。

 プライドが傷つきやすいので、より強い自己を確率しながら(ナルシストになるわけで

なく)自分自身をもっと客観的に見つめる必要がある。

干渉したり過保護になったりする点も要注意。

セックスや恋愛に耽溺する癖にも気をつけること。

敏感な体質のバランスを保つために、新鮮な野菜や穀物をとること。ハーブも効果的。

 

アドバイス

感情をコントロールすること。頼まれるまで手出しをしないこと。

また、必要なときは意地を張らず、人に助けをもとめてもかまわない。

身辺を整理し、直感を賢く用いることが大事。何より、人の気持ちに配慮を。

 

瞑想のことば

不思議な偶然の一致は、宇宙ではごくあたりまえのこと。

                      と、誕生日事典にあった。

 

2001年の3月18日に、私の中の何かが変化した。

その一週間後、佐々氏に電話を入れた。

「どうしましたか?一週間前に電話しようと思ったんですよ」と佐々氏は言った。

 私が、脱皮、変化しているときに「あと半分だね」という声なき声を聞いた。

その時私は、46歳だった。

 絶望した、まだ許されないのか…。と。

死は、ある意味安楽だ。それは、まだ許されていない。

仕方がないという言い方は諦めであるが、諦めは、明らかに見極める。

明ら見極める(あきらめる)ということだ。

 最近、私はあきらめた。

本当に私は92歳まで生きているんだろうか、面白いなぁと思うように努力している。

何でも面白いと思うと元気になって、怖いモノがなくなる。

やりたいことが、出来る気がする。って、もう始まってるから…。

 

私は今、これを佐々さんに読んでもらうために書いている。

今回も、「佐々さんのこと書くよ」と電話で報告をすると

「いいですよ」と彼は言った。

「本当に全部、書いちゃうからね」

「ええ、いいですよ」

その声は、私が私のままでいいのだという、このままでいいんだという確信と許しだった。