整体

 

面白い整体があると聞いて、行った。

師走の午後3時半、忙中閑作り、疲れからヒクつく目尻で、期待のドアを押す。

漢方薬の匂う加湿器、アンケートを書く。

年齢、アレルギー、病歴、事故、手術などのあるなしにチェック。

そして、「何処か調子の悪い所はありますか?」と聞かれ、

「右肩と腰」と、短く答える。

「どう言う風にですか」

この痛みというやつは、痛い時には確かにそこに在るのだが、動かさず痛くない時には

何処がどう痛いのか忘れている。

「えー、こうやると」と右手を高く上げ、空中に円を書くように回しながら手を捻って

「イタ!」と言う。

「上げるのは大丈夫なんですね」

「はい」

「痛くなった原因に思い当たることはありますか?」

「はい」

「何ですか?」

「私、ピン打ち職人なんですよ、それのやり過ぎですかね」

「ピン打ち職人って何ですか?」

「私、店を雑貨やなんですけどやってましてね、

今月37年目に入るんですけど、そこの壁に商品をピンで飾るのが私の仕事なんです。

もうかれこれ何万本打ってきたでしょう、何万じゃきかないかな、何十万、何千万、いや、

もっとかな?

知ってます?くぎ打ちがそうなんですけど、打つ時力を入れちゃダメなんですよ。

芯の所一点、に、力じゃなくてスっと入れるんです。

それが勘の悪いヤツってグイグイ力で入れようとしてピンが曲がっちゃうんですよ。

ピンは曲がって使いモノにならなくなるは、ちゃんと止まらないは、踏んだり蹴ったり

ですよ」

「長い事やってるとそれが出来るようになるんですね」

「いや、出来るヤツは最初から出来る」とは言ったものの、何に限らず、最初ドン臭く

てもコツコツ飽きず行うことで精進して行った者も沢山知ってる。

 自慢してみせたが、こうやって肩を痛めてるっとことは、そう大したもんじゃない。

「僕、針もやるんですけどあなたも出来ると思います」

「ええ、私も出来る気がします」って、どんだけ思い上がってるんだか。

「針習ったら良いんじゃないですか?」

「やりません」

「何故ですか?」

「やる気がないからです」

「出来る気がしたらやりたくなりませんか?」

「はい、人には出来るか出来ないかの前にやるべきことがあると思うんです。

人の一生の時間は決まっているので、そこで何を選択するかが鍵だと私は思ってるんです」

「何を選択しているんですか」

「んー、一口では言えません、でも、それは世の中で言われている成功とは違うと思い

ます」

「へー、興味あるなぁ」

 

私のやりたいことは、当たり前に生きる、真っ当に生きることと並行して、人の気付き

のキッカケ作り、お祓い(草引き)、世直しの手伝いを世に見えない形でやりたい。

つうか、やってる。

そして、ここで、こうやって書いてるのはその一環(その一部)。

 

次に隣の部屋に行き、治療が始まった。

それは何と言ったらいいのか、

横になって、やんわりと腕を持ちあげられる。

「はい、力を抜いて下さい」と、腕や足の関節をユルユルと気持ち良くクルクル回して

「はい上手です」と下に下ろし

「はい、オロシマス」と手を放す、離す。

すると、横向きになった身体の上からデロリンと自分の手足が落ちる。

「はい、上手です」

「あのぉ、何が上手なんですか?」

「人間って、なかなか力を抜くことってしないし、出来ないんですよ。

学校でも日本では殆ど教えないでしょ」

「そうなの」

「ええ、『気を付け!』『休め!』って、どっちも力はいってますからね」

「あはは、ホントだ」

「整体の勉強でオランダに行ったんですけど、そこで力を入れないことを教わったんです」

「分かります、力を入れないことと、力が入らないことって似て非なるものですよね」

「そうなんです、力を抜くことを身体が覚えれば痛みってなくなるんですよ」

「そうなんですか?」

「だから、力の抜き方のコツをこうやって行うことで、身体に覚えさせるんです」

「はっはぁー、ナルホドねぇー」

 

 それって、ワシがやってるお祓い、草引きと同じじゃねえか!

 

「で、行う時に私が力を入れてはいけないんです。

こっちに力が入ると、相手にも伝わって力が入ってしまうんです。

緊張も同じです」

「ですよねー」

「あと、私の力で身体を動かすんじゃないんですよ。

本人のペースで動かして動いて行く。

そして、100パーセントは治さない。その人の力で治していく所を残すんです」

「分かります、私もそのようにやってます。やろうと努力してます。

あと、私は本人の中に在る神の力を信じることを気をつけてます。

ルソーって人が、人が生きて育つには自然先生という自力でない力が人の中にも在る

ことに気付きなさい。って言ったんですね。

親鸞聖人という人は、人は自然法爾(じねんほうに)によって生きているんだ、って

言ってるんですよ」

「難しいですね」

「言葉は難しいですけど、たった今、私たちが話していることです」

「でも、今治療して痛みが消えて良くなるコツを知っても

『でも、またダメになるんですよね』って言う人は多いですね。

人って痛み癖とか、前にあった嫌な記憶に縛られて生きる生きものなんでしょうかね。

って、僕も気が付くとそうだったりします」

「そうですよね、私ってそれがあんまりないんですけど、発達障害の弊害の反対、えーと

恩恵?

何時も今のことに夢中になっていて、次にやることを忘れてしまう程なんですけど、

兎に角、何時も今が楽しくて、どんな嫌な時でも楽しい面白いことを見つけるんですよ」

「スゴイですね」

「まぁ、私にとっては当たり前なんですけど、人と話していると

『へー、人ってそれぞれ違くて私って面白い!』って再確認出来てメチャ楽しいんです」

「シアワセな人ですね」

「はい、

で、さっきの『またダメになるんじゃないか』という不安って、今に生きてないから

なんですってよ。

仏教の言葉に『爾今(にこん)』っていうのがあるんですけど、あー、知ってます?

カメラのニコンは、この爾今から付けたんですってよ、で、キャノンは観音から付けた

って」

「えー、キャノンは知ってたけど、その爾今ってのは、その言葉さえ始めて聞きました」

「おー、よしよし。

仏教用語って品(ひん)を品(ぼん)って読んだり、爾今って酒があるけど、「にこん」

じゃなくて「じこん」って読ませて同じ読みにはしないんですよね。

で、爾今の意味は、今ここには、過去も未来もない、ただ今を生きればそれでよい。

って、意味らしいんですけど、人間の不幸せって今に生きていないことにある。らしいで

すよ」

「なんか、深いなぁ」

「良かったことでも悪かったことでも、過去に囚われていたり、これからのことに不安を

持っていたり、あ、これ予期不安っていうんですけど『あぁなったら、どうしうよう、

こうなったらどうしよう』って考えていると今を生きられなくなってしまって、それを

『不幸せ』って言うんですって」

「なるほど、僕も整体で痛みが消えた人に『痛みを思い出さなくていいですよ』って言う

ですけど、『あれ?こうだったかな?』って自分で痛かった所を引っ張り出そうとする人

って多いですね」

「あと、私が関わってその人が良い状態になった時、お礼を言いに来る人がいるんです

けど『あなたのお蔭で良い方向に向きました、もっと早くあなたに会いたかった』とか

『会わなかったらどうなっていたか』とか言う人に、さっきの自然法爾の話をするんです。

大体が、『お蔭』と言う言葉を使うな、というお坊さんが居て、人は全て貴い存在で誰か

を特別な存在にするな。って言ってた言葉に納得ですよ。

そして、もっと早く。っていうのは欲で、今、会えて良かった。で終わり。

会わなかったら、って、会うべきものは会う定めだから心配しなくて良い。

何か嬉しい事があると、これを手放したくない!って、欲を出すことで今ここにあった

喜びは半減する。

好きな人が出来た。もう、別れたくない! 若くてきれい。このままで居たい!

そして、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう。が始まる。

欲張りと、予期不安はセットだよね。

生き方のコツって、肩の力を抜いて今を生きることに尽きるのかもしれない。

つって、肩に力が入って痛めてる人間が言うんじゃねえ。って話だよね」

 

「はい、力を抜いて」

「はい、回します」

「はい、下ろします」と治療が続く。

普通の整体のような身体や首を捻ってポキッ、だのバキッだのは一度もない。

「普段の生活というのは、足は前後に出し、手は上げ下げと前後左右でその関節を回す

動作は少ないんですね」と彼は言う。

関節の中でスムーズに回す練習をしているんですよ、と言うのを聞きながら

ふっと、疑問に思って聞いた。

「あの、下ろしますってのは、何を下ろしてるんですか?」

「神かな」とちょっと笑いながら彼は言った。よし、座布団一枚。

彼の師匠は、ちょっと変わった人のようで興味がそそられたが、あえて聞かなかった。

 

「ほんと、面白いですよね人間って。

はい、じゃ、最後の調整します。仰向けになって下さい」

と、仰向けになった足のくるぶしの上の辺りを撫でながら軽く押した。

「イテー!」

「ここは、90パーセントの人が痛がるんですよ」

「何これ?」

「殆どの人が偏った立ち方してるんで、ここが曲がってるんですよ、だからここを

正しておかないとすぐにその人の癖が出て痛みを出してしまうんですよ」

「あー、砂上の楼閣(ろうかく)ね」

「何ですか、それ?」

「いくら立派なお城を建てても、土台が砂ではすぐに曲がってしまう崩れてしまうって

意味よ」

「その通りです。それにしても色んな言葉知ってますね」

「そうね、でも『語るより行い』って、ちゃんとやります」

 

 いやぁ、よく喋ったな。と思いながらベッドから降りて腕を上げると、痛みがない。

よく使われるセリフで「ウソのように痛みが消えました」って聞くけど、それを体感。

 右肩を庇って左腰が凝っていたらしいが、腰の調子も良い。

 

 

 あれから、二週間、治療の直後の開放感はないが、まあまあ調子いい。

何時だって時間(とき)は、今にあり、前に向かっている。

 また悪くなったのではない、新しい障害と、新しい成長、前進あるのみ。

力は抜けるのでなく、抜く。その先に、抜ける。を与えられる。

力が抜けてるのは、乳幼児だけ、力が抜けてるヤツにいい仕事は出来ない。

姿勢を正して、緊張を解いて、力を抜く。

 この緊張ってのも大事で、緊張して、それを乗り越えてからのぉ〜、なんだな。

         あー、面白れぇ。