戦争

 

1954年終戦(戦前が始まる)

 

1952年、アメリカ、水爆実験が行われたのを皮切りにソ連とアメリカの水爆実験は

1800回を超えた。

※そんなにやったら、どんだけ放射能が海だか砂漠だかにまき散らされたんだ!?

 

1954年3月、ビキニ島の水爆実験で福竜丸に乗船していた乗組員全員が被爆する。

その頃に私は母の腹に入ったんだなぁ。

 

1955年4月、アインシュタインがプリンストン病院で亡くなる。

亡くなる前に、彼は湯川秀樹と合い、核廃絶について語り合っていた。

 

1955年7月、アインシュタインが亡くなって3ヶ月後

「ラッセル=アインシュタイン宣言」

アインシュタイン、湯川秀樹を含む11人の科学者の署名で宣言

<宣言文より>

多くの警告が、著名な科学者や権威者によって発せられている。

しかし、最悪の結果が必ずくるとは、誰も言おうとしていない。

私たちは、人類として、人類に向かって訴える。

あなた方の、人間性を心に留めよ。

もし、それが出来ないならば、あなた方の前には

全面的な、死の危険が横たわっている。

 

その7年後、1962年10月「キューバ危機」が訪れる。

アメリカの隣国、キューバにソビエトのミサイルが持ち込まれていたことが発覚する。

アメリカ空軍参謀総長カーティス・ルメイは「やられる前にやる」と先制攻撃を

ケネディ大統領に進言する。

ソビエト全土に渡って7000メガトン、(広島の67万個分)の投下計画だった。

アメリカの市民は震えあがり、核シェルターに閉じこもり、スーパーマーケットからは

食料が消えた。

しかし、ソビエトが土壇場で譲歩。

キューバからミサイルが撤去された。

かろうじて、世界破滅を免れた。

   ※かろうじて、だ。あの頃、ボタン一つで地球は終わりになる。という話を聞いた。

 

核の脅威によって、保たれている平和(平和か?)の中、米ソは直接戦う事はせず、

世界各地と<代理戦争>を始める。

 

1960年代 ベトナム戦争(ソ連の支援を受けていた南ベトナムにアメリカが攻め入る)

ベトナムの内戦に口を出し、手を出す.アメリカ

※余談だが、当時の沖縄はアメリカの基地となっていて(今も)、高江村

(今、オスプレーの練習場となっている)そこの村の人達がベトコン役を担ったという

事実を日本人は、知っているかな。

私は、標的の村、2012年9月29日。アメリカ軍・普天間基地は完全に封鎖された。

この前代未聞の出来事を「日本人」はしらない。(ドキュメンタリー映画)で知った。

 

南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)は、森林に巨大なトンネルを張り巡らせ、

ゲリラ活動でアメリカに対抗していた。

そこでソ連で作られるカラシニコフが活躍する。

カラシニコフはネジなしで簡単に作れ15ドルで手に入った。

※銃を作ったカラシニコフは、ソ連の経済に大いに貢献し、表彰され

2013年の葬儀にプーチンも出席している。

 

アメリカは、ベトナムで新型殺戮兵器 B52 ナパーム弾 枯れ葉剤 を次々と投入

そのいずれもが、非人道的で残忍残酷な物だった。(って、過去の話ではない)

 

1969年7月 アメリカはアポロ月面着陸に向けて出発する

そこで中心となって開発していた

ヴェールナー・フォン・ブラウン(ナチスドイツからアメリカに渡った科学者)は

「海の生物が陸に這い上がって来た時の新化にも匹敵するものだと思います。

我々は、神によって与えられたこの頭脳と両の手を極限まで伸ばしているのです。

我々の達成するものは、人間の進化における完全に新しい一歩であります」と発言。

 

その狂乱をテレビで見ていたアメリカ兵の手記

「それは、ひどく不気味な光景だった。

アメリカという国は、ベトナムの泥沼をはいずりまわって暮らす数十万の我々全人よりも

月面にいる、たった二人のことの方をずっと心配していたのだ、得体のしれない感情が

こみ上げてきた」

 ※沈黙の艦隊、トラトラトラ、怖い.

 

1975年4月サイゴンが陥落し、アメリカは初めて戦争に負けた。

         アメリカ兵 戦死者  5万8千人

         ベトナム兵 戦死者300万人

 

 そして、新たな憎しみ 戦争は終わらない

 

1991年 湾岸戦争

コンピューターが駆使され、トマホーク、ステルス攻撃

 

2001年 アフガニスタン攻撃

 

2003年〜 イラク戦争

       無人攻撃機 25時間遠隔操作によって、一日60回飛ぶ

        ホロマン空軍基地(ニューメキシコ州)に“勤務する”

        そう、もうもはや戦っているのでもない、ゲーマーと化した

        勤め人は、何時でもトイレに行け、食事にも行けると言い

        その誤爆は9割になるという。

 

2015年1月7日 シャルリー・エブド襲撃事件

     11月13日 パリ同時多発テロ ※13日の金曜日だったけねぇ

 

2016年6月28日 トルコ空港自爆テロ

 

原爆の父と呼ばれ、自らを死神と言い放ったロバート・オッペンハイマーは、

戦争核開発の中心的地位に居ながら、水爆の開発に反対し、公職から追放されFBIの

監視下におかれ続けた。

 

彼は、日本への原爆投下の5年後、こう語っている。

 

「科学は人間の暮らしのあり方を、物質的にも精神的にも変えてしまった。

人間には、もう疑問を持つ余地も決断する余地もない。

進化し続ける知識によって、未来の科学が何を発見するのかは、誰にも予測することは

出来ない。

 

しかし、私たちが、考え、議論し、問題と向き合うなら

科学は決して後退することもなく

そして、私たちが科学に支配されることもないだろう」