老舗の店

 

 あれは、バリ島に仕入れに行った頃だから1955年ごろだったと思う。

 

私をバリ島に住む佐々氏に会わせたいと思った夫が行動しことが発端でバリ島での仕入

れをすることになり、その佐々氏を夫に紹介したタカちゃんと、そこの老舗料亭に行った

のだから。

 と、私の思考回路はこういう風で、頭の中をそのまま書いていくとそれを読んでいる人

は逆向きに進む映像を見せられているような不快感を覚えるらしい。

 でも、私の中では常にそれが起きていて、それが当たり前なんだ。

何故、その料亭を思い出したかというと、テレビで放映しているのを見ていたら見覚えが

あって、そしたらあの時の音や臭い、雰囲気やらが、フラッシュバックして、そこから

続いたことを思い出した

 

 要するに、1995年老舗料亭に夫とタカちゃん夫婦の4人で行った。

そこは、戦火を免れたんだねぇ、って感じの古い建物で、本店だというその店は旅館みた

いな造りでこういう所を料亭っていうのかと思った。

敷居が高くて靴を脱いで上がった左側に帳場があった。

その廊下の向かい側にちょっと腰掛けて待つ縁台みたいなのがあって、座った背中側に

庭があって、陽が射さないであろうそこには緑の植物で埋め尽くされていた。

音のない入口から“一弦の客お断り”みたいな雰囲気で自然声が小さくなる。

靴を脱ぐというのは、脱いでリラックスする反面、無防備になった感じもする。

 まぁ、無銭飲食で逃げられないようにという意味合いもあった(ような気がする)から

靴を脱ぐってのは、入り口で刀を預けるみたいなもんかな。

 程良く待たされて部屋に案内される。

帳場の前を真直ぐ行く廊下と庭の手前を右に行く廊下があって、右の方に案内される。

 着物を慣れた感じで着こなしている仲居が、先頭を行く。

庭が終わった所に左に行く廊下があるが、そこは曲がらず突き当りの右側の部屋に通され

る。

 部屋が寒かったから、冬だったんだねぇ。

黒光りのする廊下に柱、それは塗って出たツヤでなく磨いて出たって感じの鈍い光り方

だった。

 かすかに軋んで聞こえる家の音は、音の洪水の中で普段は忘れていたものだった。

座敷に座ると古い家のニオイがして、綿の座布団が湿ってなのかドッシリしている。

 ミンナが注文を決めているのをしり目に、部屋の雰囲気を楽しむ私。

入って来た廊下の反対側が障子になっている。

仲居が出て行ってミンナの話がひと段落したのを見計らって障子を開けてみる。

曇ったガラスの外に植木が見え、その先は細い路地になってるみたいだったが歩いている

人は見えない。

 都会にもこんな静かな所があるんだねぇ。と月並みなセリフが出る。

コースの料理を頼まないと単品だけでは頼めないということで、一番安いコース六千円を

4つ頼んでから単品を頼む。

 熱燗が効いて料理を堪能。

途中で厠(かわや)に行く。

 帳場に続く廊下を、庭の手前で右に行くと、何故かゆるい坂になっていて、三味線の音

が聞こえた。

 

 その後、家族で何回かそこへ行った。

そして、2000年、美樹がそこでバイトをすることになった。

 今どきの若者という感じの二女がそこの面接に受かるとは、本人も思っていなかった

ようだが、合格。

 そこの古株さんというのが面倒みが良くて、着物の着方から立ち振る舞い、女の恥

なんぞについて教えてくれたらしい。(ありがたい)

 でも、当時の美樹の仕事の都合で間もなく辞めることになって残念で申し訳ないなぁ。

と思ったもんだ。

 

 それから何年か経って、母を病院に連れて行った帰りに、そこの分店に連れて行った。

夫と私、両親と娘二人の6人でそこに行った。

 本店は奥座敷という感じだったが、そこは両側を道路に挟まれていて良くいえば活気が

ある、騒がしい雰囲気だった。

 二階に通される。時には大宴会場になるのであろう大広間が襖で仕切られていたが、

飲んで騒ぐ若者の声であふれていた。

 腹が減っていた夫が、何品か注文をする。

そこも運が悪かったんだねぇ。(そうかな)

 出てくる順番が違うでしょ。よくここまで気持ちが入ってないね。

って感じの出し方をした。

 先ず、何時まで経ってもビールが来ない。お茶も来ない。

なのに、頼んでない物を持ってくる。(間違って)

夫がすぐに出せるだろうと踏んで頼んだ物も中々来ない。

そして、トドメが、刺身の盛り合わせだった。

 テッペンに乗っていたウニが、溶けて流れ出していた。

「これを出す料理人の神経を疑う!こういうとこで食べることは出来ない」と夫が席を

立った。

普段は強い母だが、外食に慣れていないのでずっと借りてきた猫のように大人しい。

父は何時ものように大人しい。

子供たちも、全員が何も言わず席を立った。

「ウナギは焼いているのか、焼けているなら貰って帰る。

まだ焼いていないならキャンセルしてくれ」と夫が言うと、まだ焼いていないという。

 その時、ウナギを注文してから30分以上は経っていた。

1階にあるレジカウンターに行く。

 会計をする、約1万5千円。

「何で、途中でキャンセルして帰ると思う?」と夫がレジの若者に言い出したので、

「まぁまぁ」と、話が大事にならないようにと間に入る私。

 しかし、何も分からない追いまわしの若者は、キョトン顔。

「ここの責任者は居ますか?」と言うと、

厨房の暖簾の向こうから覗いている男、40歳くらいか。

その男に背中を押されて出て来た女、その妻と見た。

「こんなこと言うのは何なんですけど、私たちも商売してます。

お客様は神様とは言いません、人間ですから、でもお客に対して敬意を払うのは基本じゃ

ないですか。

あなた方は、仕事に誠意を持って、お客に敬意を払っていますか」と言った。

 しかし、主人が出ずに女を前に出すというその環境に同情した。

って、私だったら喜んで自ら前に出るが、そこに居る化粧っけのない白い顔をした女は

みじめに見えた。

「大変だね」と思わず言うと、女は涙ぐんだ。

 すると、後ろに立っていた中年夫婦の旦那が、

「良く聞くんだよ。

あたしらも此処に長いこと通って来てるけど、最近、駄目になったねって話してるんだ。

こういうことを言ってくれる人は滅多に居ないよ。

こういうご時世で大変かもしんないけど、こういう時代だからこそ自分たちの考えを

しっかりしないといけないんじゃないかい」と言った。

 そして「いいこと言ってくれましたね。

私達は先代ん時からの付き合いで、何時か言ってやんないと。って言ってたんですよ。

ホントは、私らが先に言ってやるべきだったんです」と頭を下げ、

その横で奥さんが頷いていた。

 

 それから、ミンナでラーメン屋に行ったんだっけかな。

ラーメン屋って安いよね。で以って、満腹になる。

「あんたって、いいトコ取りするよね」と夫が言った。

 

 仕方がないんだよね。この性格、直らないっていうか、直す気もないんだよね。

ただね。人の心を傷つけないように伝えたい、とそれだけは思う。