真剣勝負

 

 店に立って、何処からどんな風にディスプレーしてやろうか。

と、考えていた。

 そこへ一人のお客が声を掛けてきた。

彼女は、最初に子供連れママの仲間と店に来た時、話し方や態度を見てヤンキー上がり

だと思った人だ。

「オラオラ、何やってんだよ!」「言う事きかねえとぶっ飛ばすぞ!」とドスを利かせる

ママ達が3,4人と、10人近くの幼児子供達。

 その中に彼女の子供は3人。

背が高くガタイがよくて美人の彼女は、そこでリーダー的存在と見た。

 でも、ママ達はお互いに遠慮してか暴れてやりたい放題の子供たちを諌(いさ)める事

が出来ないでいた。

 そこで、ワシの本領発揮。

何時ものセリフ「子供に恥をかかせない。怒らないで教える。子供の居場所を作る」で

絵本を読んで聞かせた。

 そして「おまえらどっか行け」「邪魔なんだよ」「そうやって騒ぐなら置いてくぞ」と

怒鳴るママ達に、怒ることと教えることは別のことじゃないかと話す。

「なーにやってんだよ!」でなく「ここは、走らないんだよ」と教える。

「あー、弁償だ!弁償だ!」じゃなくて「お店の物は、触らないんだよ」と教える。

って、こうやって文字にすると上から目線で押し付けがましい感じになるねぇ。

だけど、自分の大変だった話や失敗した話なんかもして気持ちが通じた。と思う。

そしたら、ママ達が落ち着いてきて、子供たちも話が通じるようになった。

それからよく店に来るようになった彼女から、ちょっと敬意を感じるようになっていた。

 

 その彼女が、「何考えてるんですか?」と聞いてきたのだ。

「んー、どうやってやっつけてやろうかと思ってね」と腕を組んだまま答えた。

「何をですか?」

「ん? あっ、ゴメン。お店のディスプレー。

私、何か考えてると我を忘れるっていうか集中しちゃうんだよね。

何をやるんでも真剣勝負っていうか、本気で取り組まないと面白くないんだ。

そうすると周りのことが見えなくなっちゃってさ。

でも、分かる?どんな事でも本気出さないとうまくいかないんだよ。

本気出さない練習ばっかしてて、真剣勝負しないヤツって絶対強くなっていかないんだ」

「分かります」

「そう、分かる。

絵だってスポーツだって何だって、身体の鍛錬と常に一球入魂だと私は思ってるんだ。

知り合いにタトゥ(刺青)入れる仕事してる子が居てさ、何でその仕事を始めたかって

いうと、絵の方に行きたかったんだけど親の都合で学校に入れなかったからその仕事で

自分の絵の勉強の練習にするんだって」

「そりゃ、失礼でしょ」

「やっぱ、そう思う」

「思いますよ」

「ね、一度入れたら消えないタッゥつうこともあるけど、人の身体で練習するんじゃねぇ!

大体が頑張ってやった結果として成長するんであって、自分の成長の為に人や何かを利用

するってのは違うと私は思うんだ。

どう言ったらいいかな、その時、邪心を持たずに精一杯心を込めて骨惜しみせずに行う。

それをしない、出来ないヤツは、絶対に大きくなれない。

ましてや、精一杯やったら損しちゃう。なんてみみっちい考えで居るようなヤツは大成

しないね」

「それ、甥っ子に言ってやりたい」

「甥っ子、力出し惜しみしてんの?」

「そうなんですよ。

運動の方やってるんですけど、休む気にばっかなってて楽して結果だけ求めて右往左往

してるんです。

今度連れてきますから、何か言ってやって下さい」

「えー、喋るならトコトン話さなきゃ本当の気持ちが伝わらないからやだよ。

それに、あたしなんかが話さなくたって、あなたが話せるでしょうに。

気持ちさえあれば言葉なんて何だっていいんだと思うよ、あなたが言ってあげなよ。

ところで、あなた何やってたの?」

「あっ、空手です」

「おー、カッチョイー」

 なる程と納得。彼女、身体のバランスが素晴らしいのだ。

元々の体型もあるだろうが、そこに鍛えられた柔軟な筋肉がついてのこの身体だったのか。

と改めて感心する。

「私もボクシングやってたんだよ」と嬉しくなって言うと、

「前に聞きました」

「もう言ったか。

でも、私がやってたってのは、自己流でちゃんとしたもんじゃないよ」

「でも、強そう。聞いた時、コワって思いましたもん」

「コワクなんかないよ。

私、弱いモンイジメはしないし人をやっつける為にボクシングしてきたんじゃないもの」

と言ったが、そうね。コワイかも。と思う。

 もし、理不尽なことをされたり誰かを守る為だったら死ぬ気で拳が砕ける覚悟でかかっ

ていくな。と思う。

 

「あっ、お仕事の手を止めてすみませんでした」と彼女が言って、ディスプレーを再開。

 何処にどんな風にどうやっていくか。

それは、ライブ感覚でその時だけのピタッとした答えを見つけ出す。

 前に良かったから、な〜んて今を見ないで同じようにやろうとするとしっくりこない。

そして、自分の力だけじゃなくて、品物に聞く。

 あなたは何処にどう置かれたい?何と組み合わせされたい?

ディスプレーしている時に、風や季節を感じたり、絵やドラマが見えた時は楽しい。

 春の和室におもてなしの膳が整えられている。

家族や友人とピクニックに出かけ、持ち寄りのお弁当でお昼になる。

 ガーデニングの途中に庭でティータイムをしている。

趣味のブリキやオーナメントが並んでいるガレージ。

 バラ好きの奥さんが、出窓に大好きな小物を飾っているの図。

使いやすい台所に並んだ食器、カトラリー、テーブルクロス、ランチョンマット、カゴ。

 そこではどんな料理を作って、どんな友達を招くのか。

なーんて、考えていると時間の経つのを忘れてしまう。

 若しくは、ここにどれだけの物が見えるように並べていけるか。なんてのは、将棋崩し

やクロスワードと変わらない遊びだ。

 ディスプレーしている時に「奥さんって、カッコイイですね」と言われたことがある。

集中して楽しんでいると、人は魅力的に見えるのかもしれないと思う。自惚れか?

 

 話、ちょこっと変わるが、この間“矢沢エイちゃん”がテレビに出てた。

やっぱ、カッコイイねぇ。エイちゃん。

 彼が28歳ん時だから、33年前“なりあがり”って本を出した。

37年前、エイちゃんのライブの追っかけしてた(っても、こっち近辺に来た時だけ

だから大したことないんだけど)私は、その本を買って読んだ。

 その時、思った。

あー、私と同じような人がここに居る。と。

 

 矢沢に聞く者が居た。

「ハングリーだったから、ここまで出来たんですか?」

「あの時代だったからやれたんですか?」

それに矢沢が答える。

「いつの時代だって、やるやつはやんのよ。やらないやつはやんないのよ」

「矢沢さんのようになるにはどうしたらいいですか?」と聞く者が居た。

 

 私にも、とまたしゃしゃり出て言う。

私にも聞いてくる人が居る。

「私は自分に自信が持てないんです。

あなたのように自信が持てるようになるには、どうしたらいいんですか?」

「私もあなたのように成功するにはどうしたらいいかコツを教えて下さい」

「私、店が持ちたいんです。何でもいいからアドバイス下さい」

 

 あー、残念だねぇ。と思う。

 店を持ちたいからと人に聞こうとする人、アドバイスを求める人は、その時点で私の

やり方と違うからアドバイスのしようがない。

 若しアドバイスするとしたら、人に聞くな自分で調べろ。覚悟を決めて自分が動け。

 

私が成功しているかどうかは分からないが、私だったらどうするかを言う。それは

“言う”だけのことで教えるつもりはない。

私は、お手軽に教えて“もらおう”なんて気持ちを持ちたくない。

簡単にコツだけ教えて“もらって”楽に進みたい。と、私は思わない。

 いいな、あんな風になりたい。と思うことや人が居たら、その人に聞くことはしない。

黙って観察して考える。

その人の何処がいいのか、自分はどうなりたいのか、その為には何をしたらいいのか

今の自分に出来ることは何か。

そして、いいと思うことを、形でないスピリッツとして真似る。

“真似る”は“学ぶ”の原型だという。

こんなに何でもお手軽に聞く人が多いのは、<学校教育の間違い>じゃないかと思って

いる。

 手を出さずにじっくり観察する。ということを教えていない気がする。

分からないということが楽しいということに気付かないのは、じっくり考えるということ

をさせずに、お手軽に質問させ過ぎた結果なんじゃないだろうか。

 聞けば分かると思い込んでいて(これはバカの壁にも出ていたっけな)

そして、聞くことが敬意を払っているようなつもりでいる人が多い。

そのクセ、そういう人は聞いておきながら人の話をちゃんと聞かない。

 

結局、真剣勝負をしない人が多くなってしまったんだろうね。

勝負までしなくても、そういう人って、生きることに真剣じゃないのかなぁ。

  なーんてことを、考えた。