親鸞聖人

親鸞(しんらん)って知ってっけ?

なに?あんまり知んらん?

実は私もそう詳しく知ってはいないんだけど、何だか親鸞聖人のことを考えていると

気持ちが休まるんだ。

親鸞のどういうところが好きかっていうと、形に囚われず芯のところの筋を通していく

考え方と生き方に、涙が出るほど共感する。などと言ったら信徒でもないのにあまりにも

不遜(ふそん)だと顰蹙(ひんしゅく)をかうことを覚悟でいう。

親鸞に共感するんだ。

 

親鸞という人は、鎌倉初期の僧であり、「浄土真宗」の開祖である。

法然上人、「浄土宗」の開祖、の弟子であり、その後、蓮如が現れる。

仏の教えを、法然が広く広め、親鸞が深くし、蓮如がやさしく教えたと聞く。

 

親鸞は、皇太后宮大進日野有範の長子として生まれ、善信とも称し、法然の弟子になる。

1207年念仏弾圧により越後に流される。

この間(愚禿)と自称して悲僧非俗の生活に入る。

後の恵信尼を妻にしたのはこの頃とされる。

1211年赦免され晩年に帰京するまで久しく常陸国稲田郷など関東にあって

信心為本などの教義を以って伝道布教を行う。

諡号(しごう)見真大師1173〜1262年と、広辞苑にある。

 

私は親鸞の何が好きなのだろうか、この非僧非俗(ひそうひぞく)の生き方だろうか。

僧に非ず、俗に非ずの生涯を貫き、寺をつくるな、偶像を拝むなと教えたという。

親鸞は、死刑の宣告を受けたが、罪一等減ぜられたことで死は免れ、流刑となる。

僧にありながら肉食妻帯が原因とされているが、妻帯していた僧は他にも沢山いた。

親鸞は、権力、階級の為でなく、甘やかすのでなく、頼るのでない、金儲けの為でない

ただ、信心の心を教えた。

そのことが、迫害となったのだ。

親鸞は読経を廃止し葬式を禁じた。

 

親鸞のいうことは分かり易くて、分かりづらい、読みようによっては誤解に誤解を生む。

形に囚われるな、念仏で助かるかどうか分からん、それは助かろうと思ってするのでは

なくただ信心で行うのだ。

私は親兄弟、自分のためにも念仏を唱えたことはない。

善人でさえ助かるのだもの、自力では助からない悪人、凡夫が助からない訳が無い。

人間は間違うものだから、間違っても大丈夫だ。そのために仏があり、信心があるのだ。

 それを聞いた者が、悪いことをしてもいいんだと言い出す。

間違ってもいいんだ、とやりたい放題のことを始める。

 私が言っていることと違うじゃあないか、嫌になっちゃうなあと親鸞は嘆いた。

歎異抄(たんにしょう)とは「異なっていることを嘆いたものの抄(抜書き)」である。

親鸞聖人を心より慕った唯円房(ゆいえんぼう)が、その親鸞のいった言葉を覚えていて

「歎異抄」としてまとめたのである。

歎異抄読みの親鸞知らずとよく聞くが、僕もそうだ。

親鸞の書いたものは一つも読んだことがない。

歎異抄は読んだが、私の思うことが正しく理解しているかどうかは、分からない。

分からないが、気持ちが楽になる。

以前、親鸞の言っている他力本願の意味が分からず、他人のふんどしで相撲を取る様な、

何かををあてにして生きていいのか?と疑問に思っていた。

しかし、少しずつその意味が分かってきて、人が自力で生きているのではなく

他力によって生かされていたのかと思うことで(まだ感じてはいない)

気持ちが楽になってきた。

 「念仏を唱えたところで、はたして極楽に生まれることが出来るのか、

地獄に落ちるのか私にはわからない。」と親鸞は唯円に言う。

しかし、念仏を唱えようと思う心になった時にもう救われているのだとも言うのだ。

私の師匠にその話をしたら、

「他力本願の教えは、念仏を唱え、神を信じ、全てを神にお任せする、

お任せ本願と言った方が分かりやすいのではないでしょうか?」といわれ

なるほどなあと思った。

 

蓮如上人は、

「念仏は、まことの信心を得たうえで、救われたうれしさに勇み立って申すものなんです。」

と言う。

「晴れがましい嬉しい気持ちで勇み立って申す念仏。決して陰気臭いものではない」

と言っている。

 私は、陰気臭いのはキライだ。元気がなくなる。

大体が、私にとって面白いということが一番重要で、自分に好奇心がなくなったときは、

危ないとさえ思っている。

 

歎異抄は、大工だったという唯円が、三十五歳で親鸞のあとを慕って上洛し、

彼が四十六歳の時に死別して水戸に帰り、六十七歳で再上洛し、

一気に歎異抄を書き上げ水戸に戻り六十八歳で往生したという。

 

先日(2004年)、水戸市河和田882に唯円房の建てたという「報仏寺」があると

知り行って来た。

秋の彼岸の入りの日で残暑の残る一日であったが、大袈裟でなく沸き立つ思いがした。

 

「唯円の女房が親鸞の教えに信心しお札を貰い大事にしていたが、それを見た唯円が、

疑いの目を持ち嫉妬から女房を切り殺してしまう。

しかし、女房が現れる。驚いた唯円が、女房を埋めた所を掘り起こしてみると

親鸞から貰ったお札が切られ出てきた。

それから唯円は親鸞に厚い信仰を持つ弟子となった。」と、そこには、書かれてあった。

 こういう話になると、そのことが事実、本当であったかどうか、というところに

視点論点がいってしまい肝心のそこにあるテーマから外れてしまうことが多い。

キリスト、釈迦にもそれがある。

超常現象的なことはそれが事実であったとしても人を混乱させることになる。

しかし、混乱するからといって伏せることは、必要なのだろうか?

神話が語るものに、目に見えないものを具象化して表していることが非常に多いと思う。

例えば龍や鳥、蛇などに現実の生き物としてではない形で表している。

私にとっては、それが分かり易く考え方の整理をする為に役に立つのだが、

それが、逆に混乱をきたすこともある。

 

神についてラーマクリシュナ(インドの宗教学者)は

見えないからといって、神は無いというべからず。

神は多くの名を持つが、真実は同一のものだ。という。

 

私も、イエスにしても、仏陀にしても、アラーの神にしても元は一つのものであると

思う、思ってきた。

偉大なる彼らは、神の通訳者のような役割なのではないかと思うのだ。

世界中に沢山の言葉の違う人々がいるように、世界中に違う考え方と生き方をする

人々がいる。

彼らは、その人々にそれぞれ理解出来る形にして神の言霊を伝えているのだと思う。

だから、どの神が本物だとか、一番だとか争うことは無意味であると思うのだ。

ただ、自分にあった理解出来る神の教えを道標にしたら良いのだ。

「人裁くことなかれそうすれば君も裁かれないだろう」とキリストはいう。

自分の信じる神を否定されたくなかったら、人の信じる神も否定しないことだ。

人間の都合による権力争いの小競り合いは、もうやっている場合ではなくなって

きているのではないのか?

アーメンとは神の思し召す(おぼしめす)ままに、とか、神の御心のままに、

あなたに私を預けますという意味だと聞いたことがある。

南無阿弥陀仏のナム、ナマハはサンスクリット語で(あなたを信じる)ということだ

という。

親鸞の教えは他力本願だ。すべてのものが、自力で生きているのではない、

自力さえも他力によってあるのだ。という。

信心は托身(たくしん)、受肉(じゅにく)と諾(だく)、諾う(うべなう)

ことであると聞いた。

 

旧約聖書に

「神によって生かされているのだから、自分が剣を使って自分の手で勝ち取ったと思うな」

とあった。

 

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の(南無)は梵語で「帰する」の意であり

(阿弥陀)は「無量」「無量寿」「永遠」の意であり

「仏」(如来)に帰することが南無阿弥陀仏であるという。

仏には(亡くなった者)と(如来)の意がある。

仏陀(ブッダ)とは真理に目覚めし者、覚者、悟りし者という意であるという。

菩薩(ぼさつ)とは菩提薩タ(タ“土垂”の字が出ない)(ぼだいさった)の略で、

菩提(ぼだい)とは悟りともいうべき「真理、真実の幸福」を指し

薩タ(さった)とは「求めるもの」という意であるという。

つまり、人は皆、本当は真実の幸福を求めるものであるということに於いて、

みんな菩薩だった。

ただ、それに気が付いているかいないかだけなのだ。

親鸞は、「念仏を唱えたところでどうなるのか私には分からない」と言ってのける。

しかし、念仏を唱えようと思う心になったときにもう救われているのだ。という。

それは、現代、念仏でなくて良いのかもしれない。と私は思う。

トルストイの「宗教とは何か」の中に

「人間は、神の光が心霊を燃やすまでは、一つの哀れな動物に過ぎないが、

しかし、その光が燃えるときには

(そして、それは宗教によって照らされて心霊の中においてのみ燃える)

人間は世界において最も強い存在となる。

なぜなら、その時、彼の中において働くものはもはや彼の力ではなくして

神の力であるからである」と記す。

 今、その宗教は多岐(たき)に渡って現れているような気がする。

若しかしたら、宗教は歌かもしれない、人によっては、ダンスかも、スポーツかも、

数学かも、科学かも、愛かもしれない。

そこに必要なのは、真実を見抜く目と感じる心。求めてやまない心。

西行の歌に、〜のおわしまするに、あまりの有難さかたじけなさに涙こぼるる。

というものがあった。(今、はっきりと思い出せない誰か教えて欲しい)と書いたら

後日、サッチンが、調べて知らせてくれた。

正確には「何事のおはしまするは知らねども忝(かたじけな)さに涙こぼるる」だった。

当たらずとも遠からず、いやその意味は間違ってはいない。

そう、

神は、見るもの確かめるものでなく、感じるものなのだと思う。

感じた時に、言葉や理性を越え、信じることが出来る。

西行の旅はそれと出会う為のものだったのだろう。

 

信心が分からなかったら、自分の「本当に」大好きなものを思い出してみたら良い。

自分は、それによって益を得ようとか、助かろうと思ってはいない筈だ。

益があったとしても、無かったとしても、それがあるだけで良い。

(おまもり)に見返りを求めることはない。

ただ、本当に愛した時、愛している時に自分が、守られていることを感じる。

ただ、大好きで、信じるという言葉さえ必要のないもの。愛するだけで良いもの。

いや、逆に愛するだけで…が、大切なのかもしれない。

それを自分のものとして独占しようとしたとき、

確かなものにしたいと執着が始まったときに、神は、おまもりは、お荷物になる。

 

聖書に「汝の隣人を愛せよ。敵を愛せよ。」とある。

心の狭い私は、愛そうとしても愛せない自分を責めてきた気がする。

そんな時「気仙(けせん)語で読む聖書というものがあるのを知った。

そこに愛せよという言葉はなかった。

愛するではなく、「お大切にしなさい。」とあった。大事にしなさいとあったのだ。

もともとヘブライ語だか何だかの聖書は、いろんな言葉に訳される時に微妙なズレが

生じたと聞いたことがある。

 このお大切にしなさいという言葉に目からウロコが落ちた。

愛するということは、自分でコントロールしきれない。

しかし、どんなに憎い相手でも大切にすることは出来る。

最悪、大切に思えなくても大切にすることは、出来るのだ。

そう思った瞬間に、目からウロコが落ちて気持ちが軽くなったのだ。

 

  余談、目からウロコが落ちるという言葉は、目が見えない人が天からの光を見た時に

目からウロコのようなものが落ちて見えるようになったという聖書の話からきている。

そこで言われている。盲目とは心の目のことではないだろうか…。

 

唯円房の寺に行き、親鸞について猛烈に書きたくなった。

親鸞というお方は、そう思わせ行動したくなる何かを持つ人なのだろう。

そして、私はこれを書いているうちに心が自由になるのを感じていた。

 

ここに書いたことは、僕の拙い知識と考えで、記憶違いもあるかもしれない。

間違っていると思うことがあったらお伝えいただきたい。

 

ちなみに親鸞聖人が、越後での六年の流刑の後に二十年にわたって住んで

「教行信証」六巻をまとめた「常陸の国稲田の庄」は現在の

笠間市稲田552にある “西念寺”だ。