新型の鬱(うつ)

 

 最近、鬱病で薬に頼り、大量服用で病院に搬送される人が後を絶たないという。

そして、鬱病も以前のものとは違った形になってきているという。

 それを聞いた時、以前から感じていたことと一致するものがあった。

 

 従来の鬱は、中高年が多く、その症状は、落ち込みや不安。だった。という。

それが、新型の鬱になると、20代から30代が多くなって、

 症状は、浮き沈みが激しく、衝動的だったり、好きなこと自分に都合のよいことには

積極的だったりして、今までの薬が効きにくい。らしい。

 そして、薬に頼る傾向が強く、大量服用になったり薬依存症という鬱病から次の問題

へと移行していくのだという。

 病院に搬送された人の大量に呑んでいた薬を調べると、10種類の内の6つが、

ベンゾジアゼピン系の睡眠導入、抗不安剤であることなど珍しくない。という。

 

 私は医者でない。

これから書くことは、私の独断による見解であることを知った上でお読みいただきたい。

 

 もう30年以上も前から、鬱病だという人達と話す機会を多く持ってきた。

それは、まさに新型の鬱病とそっくりのものだった。

 

「私、鬱病で働けないんです。でも絵が書きたいんです」

「描いたらよぉ」

「描く場所がないんです」

「え、何処でも描けるんじゃないの」

「私は親の家に住んでて部屋が6畳一間しかないんですよ」

「で、家賃払ってるの?」

「だから、病気で働けないんですよ。お金なんてある訳ないでしょう」

(なに威張ってるなかなぁ、30過ぎて住まわせてもらってるんでしょうに)

「そっかぁ、大変だねぇ」(家族がね)

「そうなんです。苦しいんです」

「じゃ、先ず出来ることからやってみたら?」

「何をです?」

「関係ないと思うかもしれないけど、掃除とか料理、ストレッチ、瞑想、それって

セロトニンやアドレナリンをの分泌を促すらしいよ。あと、それに効くって言われている

食べ物を食べる。とか、方法はイッパイあるよ」

「そんなのやっても効きません」

「効きませんって、取り敢えずやってみたらよ」と言いながら、

この人は見返りがない効果がないと思うことはやらない人なんだな。

若しくは、人をあてにして自分は動かないタイプかなと思った。

「とにかく、私は絵が描きたいんです!」

「なら、描いたらよ」

「描けないんです!」

「どうしてよぉ、神と鉛筆さえあったら描けるでしょうが」と、私が描いた絵を見せた。

「うわ、上手ですね。何処か学校に行ったんですか?」

「行ってないよ」

「勉強したんですか?」

「別に」

「才能あるんですね。私にはないです」

「才能って何?

一人ひとり、みんな違う絵を描くでしょ、絵だけじゃなくて生き方も、姿形も心も、全部

違うものでしょ。

それに優劣をつけるのって、私は貧しい気がするよ」

「でも、私は自分に自信が持てないんです。生きていても仕方がないんです」

 

彼女は学校に行かないと、勉強しないと、絵が描けないと思っている。

部屋がないと絵が描けない。という。

病気だから働けない、家の手伝いが出来ない。

でも友達に呼び出されると遊びに出かける。

しかし、みんながちゃんと働いて生き生きしている姿を見ると落ち込んでまた調子が

悪くなる。という。

 彼女は、「行けない、出来ない、親がやってくれない、部屋がない、才能がない、

落ち込んでしまう、調子が悪くなってしまう」と全てが自分の責任ではないらしい。

 辛くなると薬に頼り、意識がもうろうとしていたり眠くてぼんやりしていて仕事など

出来ず、我に返ると自己嫌悪になって自分を責めてばかりいる。という彼女は、

 自分の苦しさは延々と話すが、私が話している内容は聞こうとはしなかった。

           (これは20年位前の話だ)

 

 あの頃は、私も短気でコリャダメだ。と話すだけ話して見切りをつけた。

仕方ない、聞こうとしないんだから。と、思っていた。

 がぁ、最近、つうかスイッチが入ってから、変わったんだなぁ。

切り捨て御免。をしなくなったような気がする。

 

 これは、2001年以降にあった話だ。

30ウン歳、スタイルの良い美人。

天は二物を与えずというが、ちょっとこの辺りには居ない感じのモデルみたいな彼女。

その上頑張りやで責任のある仕事を任されている。らしい。

何故か私に懐いて何度か会って話していたら、

「私、病気なんです」と言い出した。

「えぇー、そうなのぉ」

「ええ、鬱病なんです」と言うのを聞いて、

またかよ。と思う。兎に角鬱病だという人は多い。更年期だのパニック障害だの、

その他の身体の病気も含めたら、病気になっていない人は居ないんじゃないかと思う。

「そうなんだぁ」

「薬も呑んでいて、今、夫ともうまくいっていないんです」

 

 彼女は結婚していて子供が二人居るという。

夫が承諾して彼女の実家に入り、夫は彼女の母親と仲が良いという。

 でも、夫のやること全てが気に入らない彼女は夫に出て行けと言っているんだという。

そんな話を聞いていたら、そこにある図式が見えてきた。

「旦那は末っ子、あなたは長女」

「えっ、何で分かるんですか?」

「推測。で、結婚前、あなたは彼が可愛くて仕方がなかった。

良く面倒をみた、何でもしてあげたかった」

「そうです、彼、今の仕事につくまで私が食べさせてきたんです。

でも、全然嫌じゃなかったんです」

「かれは、あなたのいう事をよく聞く。でもあなたの思う通りじゃない」

「そーなんですよ。

子供と遊んでって言ったら、私は休みでも忙しくてあそんでやれないんですね。

そうしたら、コンビニに連れて行って甘いモノとかお菓子買ってやってしまって

あんまりお菓子食べさせたくないのに、遊ばせるってそれだけなんですよ。

公園にでも連れて行ってやったらいいのに」

「だったら、あなたが『あんまりお菓子あげないようにしてね』って、

で、『あそこの公園に連れて行ってくれるかなぁ』ってお願いしたら?」

「それが嫌なんですよ、あの人は何でも言わないと分からない男なんですよ」

「だって、あなたはそういう彼が好きだったんでしょ。

じゃぁ、何でも自分で勝手に決めて黙って俺についてこいって言う人だったらいいの?」

「それは無理です」

「でしょ、話し聞いてて思ったんだけど彼とあなたは相性抜群。

あなたが頼んだら嫌とは言わないでしょ」

「ええ」

「あなたは仕事が命の人で家庭を引っ張っていきたい人、彼は言われたことを嫌がらずに

やる。っていうか、彼もそれが向いてるんだよね」

 彼は、彼女が仕事で遅いと夕飯を作って待っているんだという。

「でも、私、不安で仕方がないんです」

「何が?」

「よく分からないんですけど、夜も眠れなくて、で、病院に行ったら鬱病って診断されて

薬呑んでるんですけど、それも何だか不安で」

「そっかぁ〜」

 

「あのさ、仕事、忙しい、っていうか無理してない?」

「はい、ちょっと」

「休み入れないで稼ごうとしてない」

「えぇ」

「何で?」

「今、実家に住ませてもらっているんですけど自分の家が欲しいんです。

私、人の世話になるのキライなんです。早く家を建てたいんです」

「ふーん、ステキな家が出来たら家庭が壊れてて住む人が居ませんでしたって

パターンかな?」

「そんなの嫌です」

「だって、旦那に出て行けって言ってるんでしょ」

「えぇ」

「いくらあんたに惚れていても、子供が可愛くてもあんまり調子こんでると堪忍袋の緒が

切れるよ」

「…」

「あー、分かった!

これからの方法が、ちゃんと夫婦でナカヨシしてる?」

「もう口も利かない状態ですから」

「でも、一方的に命令だけはしてるんだ」

「はい」

「でもって、夕飯は作って待っていてくれてる。っと」

「はい」

「よし!大丈夫だ。お母さんとも仲が良い。っと」

「はい」

「じゃ、先ずは、ちょっと欲を捨ててみな」

「欲、ですか?」

「うん、もっと良い家に住みたいとか、絵に描いたような家庭でいたいとか、

自分が言わなくても夫が自分が思った通りに動け。とかっていう自分の欲と戦うんだよ」

「聞いてみるとその通りですけど、私って暴君ですね」

「だよねー、ワガママを絵に描いたみたいだよね。

でも、まだ大丈夫。彼はあんたに惚れてるから」

「そうでしょうか」

「大丈夫。私はそう感じる。

話しは逸れるけど、夫婦って親子と違って血では繋がっていないけど違う何かで繋がって

いるんじゃないかと思うんだ。

『夫婦とは、生涯かけての修行の相手』って言うんだよ。

『師になったり、弟子になったり、教えたり教えられたり、助けたり助けられたり』って

いうんだけど、やっつけられたりやっつけたり。ってのもあると思うな」

「そうですね」

「でさ、彼は何であなたに惚れてるか分かる?

モデルみたいに美形だからじゃないよ」

「えぇ、彼は付き合っている時から他の人みたいにそういうことを気にしない人でした」

「イー、ヤツじゃねえの」

「ふふ」

「彼は、弱音を吐かずに頑張るあなたが好きなんだね。

だから、あなたがイッパイイッパイになって彼を罵倒しても我慢出来るんだね」

 そこで、彼女の目が潤んだ。

「人ってみんな不器用で、自分の気持ちを上手に伝えられないんじゃないかと私は思うん

だなぁ」

 と、私は言ったが、それはそのまま自分に当てはまることだった。

そうなんだよなぁ、自分の思い通りではないが、愛しい家族なんだ。

 自分が頑張っているからって、辛いからって、甘えて言わなくても分かれっていうのは

土台無理なんだよなぁ。ワガママ。

 相手に理解を求めるなら伝える作業をしたらいいことで、それはプンプンして見せると

か溜息で分からせようとするのは間違っている。

 感情的にならずに求めていることを端的に伝えることで、思う答えが返ってくる。

簡単に「今疲れてて、機嫌が悪いわけじゃないんだよ」と一言言うだけで空気は変わる。

私も最近ようやく「今日は喋りたくない日なだけで怒ってるワケじゃないからね」と

言うようになった。

 自分では気付かなかったが、私の機嫌は家族の居心地を大きく左右するらしい。

 

で、「薬ってどうなんだろう?

止めると反作用とかあるのかな?」

「それも心配なんです」

「思うんだけど、病院の先生と相談しながら、自分の心身と相談しながら、薬、止める

方向でいったらいいと思うな。で、

あなたのやるべき最初のことは、仕事を減らすこと。減らしても暮らしていけるんでしょ」

「ええ」

「それから、家族で楽しむこと。子供たちを、ホントは自分が喜ばせたいんでしょ」

「ええ」

「それから、夫と仲よくすること。ホントは好きなんでしょうが、じゃなかったら

そんなにキレイでいないでしょう」

「ふふ、彼はそういうこと言わないんですけど、彼の友達にお前には勿体ない奥さんだっ

て言われるんですって」

「でも、分かっているよね。

見かけがいくら良くったって、一緒に居て安心する人が一番だって」

「ええ、私、今、最低の奥さんかもしれない」

「だけど、ギリギリ頑張っているあなたを彼は見放していないでしょ」

「そうですね」

「ちょっと痛いこと言うと、あなたは見栄っ張りのとこがあるんじゃない。

そこんとこが出てきて、人から見て良い家だとか、良い家庭に見せることを求めてそこに

ある目には見えない安らぎを忘れてしまっていたような気がするな。

家が古くたって、車がポンコツだって、そこに笑いがあったらそれが最高じゃない?」

「本当にそうですね」

「だけどさ、あなたが彼を愛したっていうのは、そういうのを知っていたからじゃないの」

「そうですよね、見かけも大したことなくて仕事もなくて、それでも好きになったんです

から」

「スバラシー、頑張ってね」

と、鬱病の人に言ってはいけないという「頑張ってね」を言った。

 

 

 薬、止めても大丈夫かな?と言ったが、後でネットで調べてみた。

依存性がないとされてきたベンゾジアゼピン系の薬でも半跳性の不安や不眠、頭痛、震え、

焦躁感、発汗、手足のしびれ、痙攣発作、嘔吐、下痢、便秘、腹痛離人感(現実感消失)

知覚変化(動揺、平面のうねり、金属的な味、気妙な味、奇妙な臭い)などが、薬を絶つ

減らして2,3日で始まり2〜4週間続くことがある。とネットにあった。

 人によっては、薬は助けとなるんだと思う。

事実、知人が鬱病で帰らぬ人となった。

 しかし、最近になってそこにある現実の問題に目を向けないで安易に薬に頼る人が多く

なっている気がする。

昼寝して運動せず夜になって眠れないからといって睡眠導入剤を呑む。

不安な気持になると、そこにある問題に目を向けないで精神安定剤を呑む、病院に行くと

すぐに抗鬱剤が出るという。

でも、私は自分で思いつく出来ることを全てやった上で、それでもダメだったら薬に

頼ることも大事なのかもしれないが、先ずは自分で動くことが基本のような気がする。

 問題解決を始めないで薬でぼんやりさせることは、酒で現実逃避することと似ている

気がする。(これは、あくまでも私個人の見解だからね)

 この間、テレビで薬をなるべく出さない心療内科っていうのが出ていて、

離婚して鬱病になった女性に薬を減らしながら生活保護の手続きをして、別れた子供と

会えるようにした。

そんな中で頑張って介護福祉士の資格を取った彼女は、殆ど鬱病を克服した。

病院が治療したのは、彼女の生活不安で、それは根本的解決だったと思う。

 私は、苦しいことがあってはいけない。苦しいのは理不尽だと考えることが、現代病

のような気がしてならない。

 私は、何でも“お知らせ”なんじゃないかと思っている。

眠れないのは、何かに不安があったり、運動が足りないよ。というお知らせ。

 不安なのは、仕事しろよ、とか、自分勝手が過ぎるんじゃないの。というお知らせ。

過去にしてしまった過ちをなかったことにして暮らしているが、自分の良心がそれを許し

ていない。

 嫌なことというのは、自分が何か行動すべき後押しなんじゃないかと私は思う。

そう考えたら、不安も嫌なことも宝だよね。