しりとり

 子どもって、可笑しい。

 

 塚石の長女マユコが、小学校に入学した時のことだ。

学校の宿題に“しりとり”を書いてきなさい。というのがあった。

「オカーサン、こんなにやったよ!」とマユコが、嬉しそうに塚石のところへ、ノートを

持って見せにきた。

「あれー、よくやったねぇ」と塚石がノートを受けとる。

得意そうにマユコが、塚石にしなだれかかる。

塚石は家事の手を休めて座り込み、ノートに書かれた“しりとり”を読み出した。

「しりとり りす すいか かめら らじお おれんじ じゅーす …」と、それは

ノート一杯に書かれていた。

「よくやったねぇ」と続けて読んでいるとその中盤に差し掛かったところに

「たいこ こま まんこ こおろぎ ぎんぎつね …」とあった。

(ん?ん!これは、マズイでしょ)と塚石は思った。

「マユコ、マンコって何か、知ってる?」

「しーらなーい」とマユコは、塚石に甘えて寄り掛かっている。

「そう、でもこれは、普通は言わない言葉なんだよ。それに、何だか分からないことは

“しりとり”にかいちゃいけないと思うよ」

「何でー、せっかく書いたのに!」とマユコはフクレタ。

 そう、これを違う言葉に変えたらノート一杯に書いた“しりとり”の半分を書き直すこ

とになるのだ。

「どーしてオカーサンは、そんなことゆうのよ」

「あ、じゃあ、ここだけ“ま”で始まって“こ”で終わる3文字の言葉に変えたらいいん

だよ」

「そんなの、なーい」と言うマユコをナダメテ考えた結果、

「じゃあ、マユコの名前にしたら?」ということに落ち着いた。

「ん」という字は塚石が丁寧に消してやった。先生がビックリするとこまるから。

 

 昭和一桁生まれの伯父さんトラが、小学校の時に暗くなっても学校から帰って来ないの

で心配した祖母が、迎えに行ったことがあった。

 迎えに行く途中で伯父の友達に会って聞いてみると、廊下に立たされているということ

だった。もう、学校から帰ってくる子もいなくなってきていた。

優しいが、やんちゃで何をやらかすかわからないトラだった。

祖母が暗くなった学校へ入っていくと、小さなトラが、ポツンと一人廊下に立っていた。

「どーしたんだぁ?」と祖母は声を掛けた。

「センセが立ってろって言ったから、立ってんだ!」と怒ったようにトラは言った。

「何で立ってろって言われたんだ」

「今日、図工の時間にセンセが好きなもん描けって言ったんだ。

オレ、何描いていいか考えたけど考えつかねえから、隣のソヨちゃんのオマンコ描いたん

だ。描いてたらセンセが何、描いてるの?って聞いたから、ソヨちゃんのオマンコだって

ゆったら、怒って廊下に立ってなさい!ってゆったんだ」とトラは、涙を浮かべて怒って

いた。

「そーかぁ、んでも、もういいから帰っぺ」と祖母は言ったが、

「やだ!、センセは何でもいいから好きなもん描けってゆったのに、何でソヨちゃんの

オマンコだとダメなんだ?!

オマンコはダメなら、ダメだって最初からゆったらいがっぺ!

そしたらオレは描がねえのに…」と最後は涙が止まらない。

「分がった!分がったから、もう帰っぺ」

「やだ!オレは悪くねえ。センセが謝んねげ、オレは帰んね!」

騒ぎを聞きつけたトラの担任の先生がやって来た。

都会から来た新任の女先生で、一年生を受け持ったのだが、トラのような子がいては、

さぞや驚いたことだろう。

 他の先生方は帰ってしまっていたが、

「もういいから帰りなさい」と言ってもトラが怒って廊下に立っているので、女先生は

帰れないでいたのだ。

「もう、いいから帰りなさい」と女先生は言ったが、

「嫌だ!オレは悪くねえ。センセが何でもいいから描けってゆったのに、

なんで、オマンコ描いたら怒ったんだ!何でもいいってゆって、何でもよくながっぺ!」

とトラの目からは、涙が溢れて止まらない。

 真っ黒い顔から、暗くなった廊下に光る涙が落ちた。

ついに女先生が降参した。

「分かりました。先生が悪かったです。謝りますから、もう帰ってちょうだい」

 

「あれは、小学校に入って間もなくのころだったぺなあ。

帰りの道で思い出すと可笑しくて、笑いこらえんのが必死だったよ」と祖母は言った。

 

 その祖母の孫である私。その子どもだからひ孫にあたる美樹。

前回は長女の夏子の話だったが、今回は次女の美樹の話。

 美樹は言葉が遅かった。

保育園で年中組になって卒園式が近づいた頃だった。

卒園式では、いろんな発表が行われる。その中に跳び箱があった。

 その日、私が保育園に迎えに行くと暗くなった表廊下の隅にうずくまる美樹がいた。

「どうしたの?」と聞いても膝を抱えたまま動かない。

 先生が出てきた。

「今日、ちょっとしたコトがありまして…」

「何ですか?」と、胸騒ぎ。

それまでにも、美樹はいろんな事件を起こしていた。

 その日は、2歳児の子どもたちを突き飛ばし泣かせ、先生に取り押さえられると

傍にあった椅子を振り回し、ホールの大きいガラスを割ってしまったのだという。

 そして、その後は口を噤み、一言も話さないのだという。

先生に平謝りに謝り、美樹を連れて保育園を後にした。

 車に乗ったが、私は何と声を掛けていいか分からなかった。

つい、ため息が出た。何だか美樹が、可哀想で仕方がなかった。

 そのうちに、ポツポツと美樹が話し出した。

美樹の話は拙い。だから、口を挟まずにただ聞く。

 そして、分かった。

その日、美樹は卒園式に行う跳び箱の練習をしようと思い立った。

ホールの資材置き場から一人でエッチラオッチラ、跳び箱を運び出し設置し、

それから、マットを運んだ。

 そして、イザ練習をしようと思ったら、2歳児の子たちがワラワラと跳び箱に群がり

遊び出した。

「ダメだよ」と美樹は言ったが、2歳児には通じない。

跳び箱から二歳児を降ろし、マットから追い払ううちに突き飛ばし事件へと発展した。

先生が来る。2歳児は泣く。

美樹の言葉は拙い。先生に通じない。

美樹は腹立ちと悲しみで傍にあった椅子を振り回した。

椅子は、ガラスを直撃。

ガラスが割れる。悲鳴が上がる。

 

「美樹ちゃんは、悪い子じゃないんですよ。それは、十分分かっていますからね。

お母さん怒らないでやってくださいね」と先生は言った。

怒る筈ないじゃないか、一番美樹を知っているのは私だもの。

 

 美樹の言葉が遅いのは、幼い頃からずっとだった。

2歳で「いークスリになった」と言った夏子と対照的だが、自分なりに考え、理解し

決め判断する能力というのは、言葉とは関係ないものだと私は思っている。

それは、その子の経験と哲学であり、人を思う気持ちなのではないだろうか。

思う気持ちは何時か通じる。必ず、通じる時がくる。

 

 美樹がもっと幼い頃に、オコサマランチをオコサラマンチと言った。

レストランでその言葉を言わさないように気を使ったが、これが、大きな声で

「ミキたん、オコサラマンチー」とやるので、ちょっと困った。

美樹は、小さい頃から甘いものが嫌いでアンコと生クリームが嫌いだったが、

何処かの家に行って饅頭が出ると緊張した。

美樹は“あ”を“ま”と発音した。

そして、必ず「ミキたん、マンコきらーい」と大きな声で言うのだ。

 やっぱり、トラ叔父さんの姪っ子の子どもだねぇ。

 

 今回の題名は、「まんこ」にしようかと思ったのだが、いくらなんでもそれはないので

「しりとり」にした次第である。