白

 

 先日の留守は、横浜での集まりに出かけたタメだった。

それは、仕事関係の全国大会で、20年以上前からの付き合いの所だが、2001年に

死にかけて以来、私はそこに行っていなかったので7年振りの参加だった。

今回の参加者は300人弱だったと思うが、10数年前のバブル景気の頃に比べると

人数が減ったし、総会と講演会の後のパーティも以前はみんなドレスアップしてもっと

活気があったような気がする。

 かくいう私も以前は白黒の絽の着物で出たり、カツラを被ってアオザイを着て出たり

したが、今回は普段着のままだった。

高級ホテルでのパーティは、人間観察が出来、色んな話が聞けて面白い。

今回は7年振りだったので、同窓会に行ったかのような懐かしさもあった。

月並みな話だが、時代というか、時の流れは、誰にも公平に過ぎていた。

 

 この集まりでの楽しみは、同業者の知人に会えるということと講演だ。

今回の講演は、“堀木エリ子”という和紙インテリアアートの会社を持って、企画制作

から施工まで手がけるという人で、和紙という一見伝統工芸のような、現代に実用性を

求められていないようなモノを世に送り出した人だった。

 

 迷ったら、分からなくなったら原点に戻って考える。

自分は何をしたくて始めたのか、何が目的だったかを、もう一度思い出して固める。

 壁にぶつかったら、何が出来ない原因なのかを探して改善するか、出来る全く違う

方法を見つける。

 欠点は長所に変える、マイナスはプラスに変える。

革新の先にあるのが、伝統。それは、新しく始めたことを地に足付けて進めていくもの。

 お客さん(人)の要望から新しいものが生まれてくる。

出来るか出来ないかは考えない。どうしたら出来るかを考える。

 出来る前提で物事を進める。

 

 まぁ、パワフルで頭の良い、切れ味の良い人でしたわー。因みに関西弁でした。

 彼女は、和紙の高いけれども、丈夫で長持ちするという特性を生かしてインテリア

アート建材として日本から世界に広めたつうか、今も活躍してるんですわぁ。

 

 そこで、記憶に残ったのが、和紙の職人さんの世界に入っていった時に、相当強力な

拒否があったんだそうです。

 それも、後から考えると無理もなかったと彼女は言うんですね。

和紙というと用途が障子紙や不祝儀の袋などで白いことが前提だったものに、彼女が

アートで色を付けようとしたことに拒否があった。

何故白であることが必要だったかというと、白い紙は神に通じるといって不浄なもの

を浄化する働きがあるとされてきたんだそうです。

 昔、新年を迎える時に障子紙を張り替えて新しい白にするのも、祝儀不祝儀袋などにも

浄化の意味合いがあったんですね。

 

 そして、白っていう漢字は象形文字で頭蓋骨を表していると聞いたことがあった。

白っていうのはそこから生命が発して、帰っていく源であるらしい。

 死は黒っていうイメージがあったんだけど、白なんだねぇ。

因みに私は一白水星、一で白で水の星。

「水をキレイにしておかないと駄目だよ」と占いを勉強したという人がウチのメダカを

見て言った。

キレイって何かな?と考えた。

濁っていてもメダカは元気。水を替えすぎるとメダカは死ぬ。

 

今回の集まりで、今年の初めに会って元気だった知人の旦那さんが、亡くなっていた

ことを知った。

最近、Nちゃんが来た。

病気のタメに30キロ代になった彼女は、メダカの子供を愛しそうに眺め

「メダカの子供ってこんなだったんだねぇ。こんなに可愛いもんだったんだねぇ」と

言った。

 

キュブラー・ロスは、「臨死者は教師である」と言った。

50年、死に向かう人と一緒に生きた人だ。

 ならば、人は総て、自分も教師。 私は、白が好きだ。