スリッパとスーツケース

 

1994年の正月、バブル景気に商売が波の乗り、ミンナで頑張った利益を税金に

持っていかれるくらいなら経費で使おうと、食事や呑みに出かけ、売り上げが一定以上に

なると大入り袋を出した。

それでも経費が残って旅行好きの社長の提案で女性社員3人を連れて2泊3日の

台湾旅行に行くことになった。

 その頃のミンナはよく働いた。

私もクタクタになるまで、というかクタクタになっても働いていたが、それはゼンゼン

自慢出来ることではない。

何故なら、私にとって仕事はゲームや遊びのようなもので、当時中学生と小学高学年に

なった子供達に手が掛からなくなったことをいいことに、仕事というより、仕事という

名の遊びに夢中になっていただけのことだからだ。

 映画などで仕事に夢中になっている男に向って女が「何故そんなに仕事をするの!?」

と問い詰めるシーンを見かけるが、私はあの男の気持ちが痛いほど分かる。

 別にそれ程金が欲しいわけではなく、誰かに認められたいわけでもない、確かにそれも

あるにはあるが、仕事をこなしていく時の充実感が堪えられないのだ。

 

 台湾への出発は1月2日、成田から9時半発だったと思うが、みんな我が家に集まり

社長の運転で成田に向うことになった。

車は空港近くのパーキングに預けると空港に送っていってくれて、迎えも来てくれる。

が、私は家でグダグダしているのが一番の贅沢。それまでの疲れも一度に出ていた。

早朝5時半に集合して家を出るのがきつかった。

夫は、「普段着のままで車に乗ったら飛行場に着いてて、飛行機に乗ったら2時間半で

アッタカイ台湾に着いてるんだよ」と言うが、もー、面倒臭い!

 正月の5時半は真っ暗。眠い。寒い。

セーターの上に分厚いコートを着て、私はヨロヨロと車に乗った。

ミンナ台湾は初めてということで楽しそうだった。

「ホント、麻子さんて朝に弱いよね」

「あと、飛行機とか乗り物にも弱いよね」

「オニみたいに強くて怖いものなしかと思ったら、弱いトコもあるんだぁ」

「あと、お腹も弱いよね」

 そー、私は腹が弱くて下痢しやすく、それも旅行嫌いの原因の一つだった。

「ほら、アタシ大入り袋で貰ったのをお小遣いに持ってきたんだ」

ピン札の千円札の束を塚石が出して見せた。

ミンナがわいわいと楽しそうに話すのを聞きながら、ぼーっと車に揺られていたが、ふと

自分の足元に目をやると、スリッパだった。

「あのー」

「何ですか?ハライタですか?」と夫。

「スリッパで来ちゃったみたい」

「はいはい、ナニがあっても驚きませんよ。

で、どうしろと?」

「ウチに戻って欲しい」

「空港で買ったらいいんじゃないの?」

「履きなれてないやつはイヤなんだよなぁ」一応遠慮がちに言ってみた。

「仰せのとおりにしましょう。

そういうこともあるかと思って、十分余裕を持って行動してますから」

「社長、エラーイ!」と、夫はミンナの称賛を浴びて気持ちよさそうだった。

 

 台湾は楽しかった。

何しろ暖かいし、気兼ねのない気の合う仲間と一緒でふざけながら色んなトコに行ったり、

美味しいものを食べたりするというのは、至福の時間だ。

「あんたは、出掛ける前はイヤだって言うクセに、何時だって出かけて来たら一番元気で

一番ハシャイデいるよね」と夫。

 

 そして、短い旅からの帰国。

「今回は何も事件がなかったな」と夫。

それまでの海外旅行(10回位?)で事件のなかったことが、一度もと言っていいほど

なかった。

 今回は、一人が台湾にあたって一時調子が悪くなったが、持ち直し無事成田に着いた。

ミンナ私が旅慣れていると勘違いしているようで、何かと聞いてくる。

そこで、私もミンナの面倒を見なければと勘違いしてしまった。

スーツケースが、ベルトコンベアーに乗って出てくる。

取り損ねても何度でも出てくるのに、私は先頭に立って取ってやっていた。

「スーツケースを取り違えるってこともあるから、自分のモノかどうかよく確かめてね」

と私は言った。(キャー、恥ずかしい)

 夫が大きな台車を持ってきて、5つのスーツケースを乗せミンナで外に出た。

私と夫のスーツケースはサムソナイトとかというので、世界で一番多く出回っていると

聞いたことがあるやつだ。

 家族で旅行することが多いのでそれが4つあり、微妙に色が違うのだが自分が何色を

使っているのか分からなくなることがある。

 はい、もー分かりましたね。

私は違う人のスーツケースを取ってしまった。

そのことに、ロビーに出てからから気が付いた。

「オトーよ、私、スーツケース間違ったみたい」

「あー、やっぱりな。何もないってことはないと思ったよ」

 中に戻ろうとしたが、一度出てしまうと中には入れない仕組みになっている。

係員に事情を話してようやく中に入れた時、私のスーケースは残っていたが、

間違って取ったスーツケースの持ち主は、すでに帰ってしまった後だった。

 そのスーツケースは空港で送ってくれるということなのでお願いし、その人の住所を

教えてもらい、後日、地元の名産品を送らせてもらった。

 

 あー、そういうヤツなんだよ、私って。バカ、バカ。