スーザー

 

私が尊敬している、カリスマドックトレーナーのシーザーのような雰囲気を感じる人

と出会った。

で、その彼をシーザーならぬスーザーと命名した。

 

彼スーザーは、以前出会った瞬間にお坊さんだと感じた青年(信吾)と雰囲気が

そっくりだった。

その日、作業着姿の若者(20代)5,6人が店に来ていたが、

「奥さんに合わせたい人が居る」と一人が言い出し連れてきたのが、信吾だった。

信吾は最初に言ったのは「僕怖いんです」という言葉だった。

その年の夏に仲間達とお化けが出ると噂の山で肝試しをしたという。

景気づけに酒を飲み山道に入って行くと鳥居があった。

「奥に井戸があってみんなは、そこがヤバい所だと言っていたけど、本当は鳥居の前に

あった水たまりの所がいけなかったんです」と彼は言った。

「何がいけなかったの?」と聞くと

「人が立っていました」と言った。

そして、仲間の中で一際騒ぎ始めた一人が井戸に大きな石を投げ込み、一人は井戸に

放尿してしまったという。

その1週間後、その仲間達で集まってバーベキューがあったが、その2人は来なかった。

バーベキューの最中、かれの耳の中をズッポ。と抜けるモノがあり、その瞬間“あー”と

彼は思ったという。

その時、二人乗りのバイクで白バイに追われて横道に逃げ込んだ二人は自爆していた。

一人は死亡、一人は半身不随となった。

恐いんですと彼は言った。

肝試しの時も仲間を止めたが、止め切れなかった。自分はどうしたらいいのでしょう。と。

彼はミエル(普通の人には見えないモノが)人らしかった。

一人の友人がズレテミエルと言い、ズレテいるのは何故か?と聞いてきた。

「一度死に掛かけて、海かな、でその時ズレテそのままなんじゃないかな」と言うと、

その人は海で溺れて九死に一生を得たことがあったという。

「大丈夫なんですか?」と聞くので、手足を折って曲がった形になっている人や、切断し

て形が変わっている人もいる。

あなたからはズレてるのがミエルだけでどうってことないと思う。と言うと、

「自分は怖いんです、自分はどうしたらいいんですか?」と再び聞いてきた。

そういう時、私は、何時も自分の意見を言うのはオコガマシイんじゃないか?と思いつつ

ふと思ったことを言うことになる。

その時思ったのは、

“怖いと思うのは畏怖の念であって大切なコトだから安心して怖いと思ってよい。

それと同時に、安心の中に心を置く努力をして、安心して生きてよい“

というものだった。

自分の身の安全と差別の心で、怖い怖いと無暗に怖がる人は多いが彼の怖いという

想いは畏怖の情だと感じた。

そういえば、誰だかが「人間、怖いと思っているうちは大丈夫さ、怖いと思わなくなった

時が危ないんだよ」と言っていたっけ。

彼には何か使命があるような気がしたが、それは神様が教えてくれる。

私がそこに口を出す筋合いはない。と思う。

そう思ったが、こういう人(上から目線とかじゃなく、本当に人の身になって考え

感じる慈悲深い人)の存在を知っただけで暖かい気持ちになった。

 

その信吾と、スーザーのオーラが似ていた。

柔和な顔立ちで、目の奥に悲しみを感じた。

俗っぽくなくて損得で物事を考えない気がする。安心して信頼出来る気がした。

 

スーザーは仕事の一環で子供の面倒を見る仕事をしている。

仕事といってもボランティアのようなものらしいが、子供たちを集めて指導している。

何時もは子供だけ集まって行っているのだが、先日父兄が見学に来る日があった。

父兄が来ると、はしゃいで話を聞かず、ルールを守らない子供が出て来る。

やっぱり、騒いだり、言う事をきかない子供が続出したが、スーザーは敢て何時も

通りに行った。

そこで、子供に注意する親は一人も居なかった。

終わってからスーザーは父兄に聞いた。

「どうして子供たちが騒いでも“注意”をしなかったのですか?」と。

すると、父兄は「子供(我が子)に嫌われるから」と答えた。

 

一つに“怒る”と“注意する”は別物だ。

それが間違っていると思った時は、我が子だけでなく「それは違うんじゃないか」と注意

をしてもいいんじゃないだろうか。

場の雰囲気を考えずに口を挟むんじゃなくて、「今やっていること、ちょっと考えてご

らん」とその本人が我に返る、冷静になる、指導、促し、教え、コーチ、を人は(大人も

子供も、私も、我を忘れている時)必要としている。

 

親に限らず、自分と子供、どっちが大事か?

子供が間違ったことをしている時、子供に嫌われたくないからと注意しないのは、

子供より自分が大事な人。

子供に嫌われたとしても、間違っていることを間違っていると子供に教えるのは

子供が大事な人です。

 

西村滋氏というお菓子放浪記を書いた作家が居る。

彼は戦争中に生まれた。

母親は肺結核で土蔵に寝ていたが、滋少年が土蔵の近くに行っても声を掛けること

なくそれどころか物をぶつけ追い払い、彼が学校に上がる頃に母親は亡くなった。

母を求めてやまなかった滋に間もなく新しい母親が来て妹が生まれ、陰湿ないじめの

後に、母親は全財産を持って妹と姿を消す。

戦時中、生きる術もなく盗みで命を繋いだ滋は少年刑務所に入る。

生きる希望も気力も無くしていた滋の元へ、母親の面倒を見ていたお手伝いのキクが来る。

その時代にそこを探し出したのは、並大抵の努力ではなかったが、母の死後すぐに解雇

されたキクは、どうしても滋に本当のことを話したいと探し出した。

そこで、滋は事実を知らされる。

 

母は、滋に会いたくて一目顔を見たくて、その姿を見たくて、立つこともままならぬ身体

で土蔵の窓から自分は見られないように外を覗いていたのだ。

そういえば土蔵から見える所へ何かを運ぶお手伝いを何度もさせられたのは、母に姿を

見せる為だったのか、とその時初めて、滋は気が付く。

そういえばキクにねだられて土蔵の近くで何度も何度も歌を歌わされた。

一度、土蔵の窓から中を覗こうとして「来るな!」と何かをぶつけられて血を流しながら

泣きながら母屋に戻った滋は、もう二度と土蔵には行かなくなった。

滋は、母の声を聞きたかった、一目でいいから顔を見たかった。

それが、怒りになり恨みとなって、母が死んだと聞いても涙も出なかった。

新しい母に好かれたくて、飛びきりの良い子で居たが、お手伝いをしようとしたが、それ

さえ嫌われ、ある日、姿が消えた。

そーかぁ、死んだお母さんは、僕を嫌ってたんじゃなかったんだ。

それどころか、何時だって死ぬまで僕のことで心がイッパイだったんだね。

お母さんは自分に懐いたら後から来るお母さんに懐かなくなるって、自分が死んだ後の

ことまで考えて自分は嫌われ者になったんだね。

 

 それから、滋さんは変わるのです。

本来のユーモアと優しさ、ひょうきんで明るい人の気持ちを思う行動と、作家という道に

進んで行くのです。

彼の存在と本にどれだけの人が明るい気持ちになって、元気になったことか。

 

 あー、自分も滋氏の母のように生きたい。

 

 どーすっかなぁ、ここにこの話、足すか?

私の子が小学生の時、泣き顔で

「お母さん、お願いだから学校に来ないで、学校で喋らないで」と言ったことが何度か

あった。

「何で?」と聞いてもその時はよく訳が分からなかったが、後で分かった。

 

1回は、スポーツの集まりで低学年の子たちが「もうお弁当食べていいの?」と言ってきた。

「ダメだよ」と言うと「だって、食べてるよ、お腹すいた」と言う。

見ると、昼になってないのに校舎の陰に隠れてお弁当を食べてる高学年の男子達が居た。

「おい、何やってんだ?もう食べていいのか」と、出番の関係で許可でも下りたのかと

思って聞くと、やつらは慌てて弁当のふたを閉じた。

 

1回は、廃品回収で集めた雑誌を縛って積み上げていたが、高学年の男子がその上に上り

紐を解いて読んでいた。

「おい、何やってんだ?その漫画読みたいんならやるから、家に持って帰って読みな。

今は、やることを、ちゃんとやっぺな」と注意した。

 

普通の人は、子供がいけないことをしても注意しない。らしい。

私は、普通でないらしい。

怒るは感情、怒らないで、促す、教える、注意する、諌める、指導する。のは、大人の

勤めだ。

 

ってなこと言ってたら、娘が、

「ウソだね。あの頃のお母さんは、今と違って迫力が半端なかったからね。

そんな優しい言い方してなかったからね。

それに、お母さんは感情でなく注意してるつもりかしれないけど、言われた方はちょー

ビビるんだよ。

静かに言われた時なんかもっと怖くて、ぐうの音も出ないって感じだからね。

そこんとこ、分かっといた方がいいよ」

と、言った。

じゃ、どうすりゃいいんじゃい!

 

話があちゃこっちゃしたね。

でも、シーザーの犬みたいに、ただ居るだけで穏やかで周りの雰囲気を柔らかく変えて

行く存在って、もー最高だな。   ワシには、無理か?