しゃべり場

 

 隣町のイベント会場で突然声を掛けられた。

「お久しぶりです。覚えてますか?」

「えぇ〜と」

「覚えてませんよね。あれから随分になりますもん」

「えーと、私、人の顔覚えないっていうか覚えられないタチなんですよ」

「I小学校で講演したのは覚えてらっしゃいますか?」

「あっ!覚えてます、覚えてます。あれが公の講演の第一回目ですから、あなたは?」

「はい、あの時担当した父兄の園田です」

「そうですか、その説はありがとうございました」

「いえ、こちらこそです。

あの時の講演、今でも覚えていますよ」

「え〜、そうですかぁ。話したいことがイッパイでまとまりがなかった気がしますけど」

「いえ、あなたの情熱を感じて、正直、内容はと言われてもハッキリ言えないんですけど、

本当にとっても良かったです」

 

その頃、I小学校の父兄は私の店のお客で来ていたが、店で雑談をしていて、こういう

話を学校で話して欲しい。ということになって、小学2年の学年の行事になった。

 当時、講演会というとみんな興味を持たないだろうということで手作り教室(花束作り)

ということで、みんなでワイワイ手作りしながら話をすることになった。

落語というのは、お釈迦様の教えを、分かりやすく面白くして、更に落ちを付けた話に

したことから落語になったと聞いたことがある。(諸説あり)

 私の話は、根がまじめであれこれ追及する性格がモロに出る時があって、独りよがり的

な自分だけで突っ走る傾向があった。って、今もあるが。

 その父兄は前年から学年の年間行事に私の話を組み入れたいと1年通って話をしてきた。

それを、顔も名前も忘れるワシってどーよ。

誰も緊張せず、ただ面白くて、何かがスッキリする。そんな会(教室)にしたいという

私の意向は役員さんたちの気持ちと一致した。

内田百閧ニいう人(作家)が居て、「王様の背中」(童話)に「この本には、教訓は何も

含まれて居りませんから、皆さんは安心して読んで下さい」といった言葉があって、

私はそれを目指している。一応ね。

 私は、しゃべりたいことを、ただしゃべる。

それを聞いた人が、どう感じ、どう考え、どうしていくかは、その人自身の領域だ。

 

 「あなたのお蔭で助かりました」と言う人が時々居る。

いーや、私がしゃべったことは、誰か(今まで出会った人、読んだ本、テレビラジオ新聞

動物植物、自然、神様)の受け売りであり、パクリだ。

ということは、私のお蔭じゃなくて、そこで、自分が、あなたにどんなご縁があったか、

その時何を選んだかということだ。

 

 マザーテレサの言葉に

「すべては、自分と聖なる神の間にあったことで、他の人との間であったことは、

一度もなかった」とある。

 

 講演の話があった頃、次女が荒れていた。

中学3年で進路についての三者面談があった。

 実力もないのに一端の口を聞く娘に、教師が選ぶだけの成績はない。と言った。

その帰り、青く晴れた風の強い日だった。

 私の車で帰りたくないと言いながら、その寒風から車から降りずにいた娘は

「生きていたくない」と言った。

青い空が悲しかった。

 

その翌年、講演があった年、次女は入れると言われていた高校が落ち、入れないと言わ

れていた高校が受かった。

しかし、夏休みが来る頃に自主退学した。

 

 面白いことに、状況によって人の評価は変わる。

前から子供が学校を中退したと言って相談に来る人が多かった(私は相談しやすいのか)

が、次女が辞めていない時に、我がこととして考えたことを言っても

「あなたの子は辞めていないから、そう言えるんだ」との答えが返ってきた。

そして、辞めてからは、同じことを言っても

「自分の子が辞めているからそう考えられるんであって、世の中の普通の人からは認め

られない」と言う。

そこで、思った。何時だってピンチはチャンスだ。

辛いことが起きている時、私は深く考えることが出来る。

 私は馬鹿だから、困らないと反省しないし、深く考えないし、行動しないし頑張らない。

辛い時、そこにある幸せに気が付く。

働けることが有難い。勉強出来ることが有難い。食べること、風呂に入ること、話す

こと、台所を磨いて、書類の整理をする。全てが有難い、有ることが難しいことだった、

それが、今出来る。ということに気付く。

そして、やるべきことが見えて来るのだ。

 

娘の心は荒れていた。望みはあるが、努力するのは嫌、諦めるのも嫌、彼女の心に吹

き荒れている自暴自棄、焦り、怒りを感じた。

それによって恐れの気持ちは吹き飛ばされ、恐いモノなしのように見えた。

恐いモノがない。それが何より恐かった。

私は次女が退学したことが辛かったのでなく、心が荒れていることが辛くて恐かった。

長女にもそういう時期があった。

 思い返してみると自分にもあった。

それが、どう育って行ったかは一言では語れない。その話はいずれまた。

 

 そして、言葉への反発は子供の頃からあったが、娘の退学からそれに拍車が掛かった。

「いいのよ」と言う人が居た。が、何がいいんだ?

「もっと愛情を掛けてあげて」って、オメーに頼まれる覚えもないし、私の愛情に問題

があるってか?

「甘やかし過ぎたんじゃないの」って、何を知ってるんだ?

「だめよ」から話が始まる人。

「仕事が忙し過ぎたんじゃないの」から「躾がなってなかった」「もっと厳しく育てれば

こんなことにはならなかった」は身内からの言葉だ。

 このあたりで、あげた、くれた、の言葉の陳腐さ(例外もある)にハッキリと目覚めた。

 

夫は、次女の退学について

「誰に、何が起きても不思議はない。

誰も自分が決めて自分を生きていくんだ。自分のした始末は自分がして生きていくだろう」

と、一度も、誰も、責めるような言葉が出ることはなく、忙しい私に変わって退学の

手続きの為に学校へ行った。

 

私は、講演を依頼してきていた父兄に、「我が子の理解も出来ない私にしゃべる資格は

ないんじゃないか」と言ったことがあった。

しかし、「今のまま、そのままの話が聞きたい」と彼女らは言った。(ここらで、一般

では言って“くれた”。って書くんだ)

 

 当時、NHKで“しゃべり場”という番組があった。

老若男女、職業も立ち場もいろいろな人が、何かについて話し合う番組で、私はそれを

見るといつもイライラした。

 そして、何故こんなにイライラするのか?と考えた。

正当なことをムキになって言っている人、人の話に横やりを入れる人、上げ足を取る人、

偉そうな人、上から目線、決めつけてかかる人、人を馬鹿にしている人、

あ〜、この人はいいなぁ。と思う、感じる人は少ない。

 

そこで“しゃべり場のルール”というのを、独自にまとめた。

人は対等である。と思う。

肌の色、人種や生まれた国、生まれた家、家族、今現在の年齢、肩書、性別、財産、

能力、才能などによって扱いが変わることのない人間社会。

 

 お釈迦様の「八正道」は、      

1、正しく見て(正見)

2、正しく考え(正思惟)

3、正しく語り(正語)

4、正しく行い(正業)

5、正しく生活を送り(正命)

6、正しい努力をし(正精進)

7、正しい自覚をし(正念)

8、正しい瞑想をする(正定)

    これらは、正しく見ることが基本となる。という。

その上で、すぐに始めることが出来るのは“語る”話すことじゃないかと私は思う。

正しく考える。ったって、もう身に付いちゃっていて勝手に考え、自分でも(自分では)

気づかないことが多い。

しかし、言葉ってやつは、自分から外に出て行くので、ちょっと気を付ければ客観的

に見ることが出来、更に相手が居ることで鏡となって映し出される。

そして、ナント!

言葉を変えると、思考が変わる。気持ちが変わっていくのだ。

昔から、言葉は、言の葉、言霊、言葉には魂が宿ると言われ、縁起の悪い言葉や

マイナスな言葉をプラスの言葉に変えることが行われてきた。

 

マザーテレサは

「思考に気をつけなさい。思考は、いずれあなたの言葉となります。

言葉に気をつけなさい。言葉は、いずれあなたの行動となります。

行動に気をつけなさい。行動は、いずれあなたの習慣となります。

習慣に気をつけなさい。習慣は、いずれあなたの性格となります。

性格に気をつけなさい。性格は、いずれあなたの運命となります」と言っている。

 

 ちゅうことで、次回は、しゃべり場のルール。載せます。