少年剣士

 私は好きな人の事とか、好きなことを書いていると調子が良いということが分かった。

ナルホドねぇ。

何だか色んなことに文句が出てきて疑心暗鬼になる時って、落ちていくんだよなぁ。

まあ、自業自得ってやつですか?

でも、オモシロイーって思ったことって、人に伝えたくなるでしょ、そういうことを

書いていると、嬉しくて幸せな気持ちになる。

 あと、メチャクチャ腹が立ったことも、書くということで整理し、自分なりの納得が

得られて腑に落ちると、スッキリして気持ち良くなるんだよね。

 その時に気をつけなくてならないのは、自分を正当化するために嫌いだと思うモノを

悪者に仕立て上げたり、仕返しの気持ちからやっつけようとしたり、また、面白くする

ために誇大拡張して書いてはならないということだ。

それをすると、有り難いことに気持ちが悪くなり、何かが気懸かりで落ち込みがやって

くる。

 あと、自分の知識や能力をひけらかそうとしたり、自慢する気持ちがあると、これも

気分が悪くなる。本当に有り難いことです。

つうことで、気をつけていきまーす。

 

 4月の暖かい日、少年剣士が来た。

彼は、以前に仕事関係で来て会ったことがあるらしいが、私の記憶にはなかった。

久し振りにこっちに来たということで、例の山小屋に呼び入れた。

その日は仕事の話が中心で、私以外のスタッフも同席していたが、キレイな顔をした

彼に、その日は、特には何も感じなかった。

 

5月に入って、「近くに来ているんですけど」と、彼から電話が入った。

「あー、じゃぁ、寄ってコーヒーでも飲んでいきなよ」と私は言った。

山小屋の前には、水が入ったばかりの田んぼが広がり、杉板の壁にコーヒーの香りが

漂っていた。

少し雨が降ってきた。

 仕事の話も出ず、何を話すでもなく、コーヒーを飲んだ。

特に何の話しもないが、彼に聞いた。

「彼女、居るの?」

「はい」

「そうか、いい男だもんね」

彼は、小柄だがシャンとしていて、それでいて偉そうでもない。

前回は普通の若者だと思ったが、その日の彼は、きちんと躾のされた少年剣士のような

感じがした。

「人の縁(えん)とか絆(きずな)って感じることない?

私、そういうモノってナニモノかに因(よ)って決められてるっていうか、もう決まって

るって気がするんだよね」

「そうですか、僕はあんまりそういうことは分からないんですけど…」

「そうかぁ、

私は、人の縁ってのは、結婚ばっかりじゃなくて、親子兄弟になるのも友達になるのも

何かの縁に因って結ばれてる気がするんだ、そういうのを、因縁(いんねん)ってのかな」

私は、塚石やマサミッチとは、出逢うべきして出逢ったような気がしている。

夫とは、出逢う時を予知し、子供も予告した通りに生まれた。

自分でそうしたいと望んだからそうなったのだろうか、しかし、思って思い通りになる

ものではないし、大体が、そうしたいと思ったのではなく、そうなると思ったのだ。

何か決められていて進んでいく事がある気がする。というか、進んでいっている気がする。

 そんな話をすると、

「実は、整体に行った時の話なんですけど」と彼が話し始めた。

「その時、彼女が付いてきていて、隣で本を読んでいたんですね。

そしたら、その整体師さんが「隣に居るのは彼女ですか?」って僕に聞いてきたんですよ、

「はい」って答えたら「前は兄妹だったね」って言ったんです。

その人、マザーテレサが日本に来た時に会ったことがあるらしくて、ちゃんとした信頼

出来る人です」

「ふーん」

 

 私は子供のことで、本当に行き詰り、自分は無力で何の助けにもなれなけれない、

などというレベルじゃなく、自分の存在が子供をそういうところに追い詰めているのでは

ないかという絶望的な気持ちになっていたことがあった。

どうしようもなく子供が心配で、その心配は自分を責めることでもあり、行き場のない

闇に落ちていくように絶望した。

そして、ある時、

(あー、これがしたくて、この子と親子になったんだ)と、ふと思った。

そして、(今度こそは、この子を捨てず思いっきり悔いのないように愛すことが出来るんだ)

と思った瞬間、胸が熱くなって涙が出てきた。

 その時、逃げ場のない闇に光が差し込んできた気がした。

と、こういうことを言うと、まるで宗教の話のようで胡散臭い感じになるが、本当にそう

だったのだから仕方がない。

 なーんて話をしていたら、彼が話し出した。

 

「僕は、この半年仕事がロクに出来なかったんですよ。

何故かと言ったら、忘れもしない去年の9月6日にサッカーの試合があったんですが、

その試合の最中に足を折ってしまったんです。足首のところから足がまるっきり後ろを

向いてしまって」

私も小学校の時に左腕の肘が、ボキっと反対側に折れたことがある。

気絶しそうな恐怖と共に、痛みなどというレベルでない痛み。

それは、2001年の恐怖に勝るとも劣らない記憶で、話を聞いて思い出しただけでも

寒気がした。

「それが、その時治療にあたってくれた先生が、昔サッカーをやってきた人で、ここで

メスを入れると二度とサッカーは出来なくなってしまうから、僕に任せるかって言うん

ですよ。絶対直してやるからって言われて…。

サッカーをする時は必ずテーピングをする習慣があってその日もちゃんとやっていたこと

が幸いしたみたいです」

 彼は象の足のように腫れ上がった足を麻酔なしで戻され、固定されたという。

そして、リハビリが始まった。

 私は、アレは拷問だと思う。

「それが、不思議なんですよ。僕は静岡生まれで、静岡ってサッカーが盛んなんですよ

僕も小さい頃からサッカーをやっきて、子供の時からの友達が二人いるんですけど、

去年、一人は頚椎を損傷して半身不随になるところを奇跡的に回復して、

もう一人は腰をやって、もうちょっとで車椅子になるところを助かったんです。

それで、今度はお前の番じゃないのか?って二人が言った次の日に、試合で足を折った

んですね」

その頃から、山小屋の二階に場所を移して話を聞いたが、彼の顔に刀傷が見えた。

「暫く入院して、ソレまでに作ってきたお客さんとの関係は後輩に譲ることになって、

それからの仕事は松葉杖で、会社に行っても思うようにできないし、

もう仕事も辞めちゃおうかなと思ったりして、何もする気がなくなった時に、

その二人の友達が休みのたびに来たんですよ。

今日は海に行こうとか、映画に行こうとか、毎週車で向かえに来たんです。

二人が居なかったら、僕はどうなっていたか分かりません」

その時の医師が、サッカーをしていた人で、野球でもバスケでもなくサッカーをして

いた人だったことで足が助かり、友人によって彼は救われたという。

この半年の間、どれだけ“ありがとう”と思い、言ったか分からないと彼は、言った。

その痛みにさえ言った“ありがとう”の気持ちは、今までの人生では味わったことのない

ものだったという。

今年の4月、サッカーの応援に行った時、試合の最後に仲間達がフィールドに立てと

言ってきた。

「まだ、サッカーは出来なかったけれど、そこに立った瞬間の気持ちは、言葉に出来ない」

と、彼は言った。

 

友人に救われたと彼は言ったが、その前に彼とその友人は、友人の救いになってきて

いるんじゃないだろうかと、私は思った。

 彼は、「毎週、彼らが車で来たんですよ」と言ったように、自らも「彼らの元へ行った」

のだと思った。

そこには、何時も私が嫌う“来てくれた”“行ってあげた”の関係ではなかった。

その話を聞いている間中、私は彼が少年剣士であると感じ続け、彼の友人もそうだと

確信していた。

 そして、幸せな奴らだなぁと思っていた。

 

♪剣を取ったら、日本一の、〜、〜、少年剣士、〜

ぼっくらの仲間、あっかどーすずのすけ♪