生老病死(しょうろうびょうし)
ある男性が、次男の出産に立会い、人生観が変わったという。
長男の時は、産まれてから会ったのでそんなものかと思っていたらしい。
それが、わが子が妻から産まれる瞬間に、そこに居て感じたことは、生まれて初めての
衝撃だったという。
先日、ある人がやっぱり奥さんが次男を出産する時に、陣痛が始まってから1万人に
一人の異常分娩であることが分かった。
その時の産婦人科医が、自分の手には負えないのに判断を誤り迅速に他所の病院に搬送
しなかった為に、奥さんも子どもも危険な状態になって、それから別の病院に救急車で
運ばれた。
その時、奥さんは目を開いたままピクリとも動かなくなっていたという。
しかし、搬送された病院にたまたま名医が来ており、奥さんと子どもは奇跡的に九死に
一生を得た。
惰性に流されていく日常の中に、どれだけの奇跡が起きているのだろう。
当たり前だと思って生きていることが、実は本当の奇跡なのかもしれないと思う。
今から12年前、私が40歳になった頃だった。
同じ年だという女性が、鬱のような症状になってしまったと言ってきた。
どうしたのか?と問うと、親しく付き合ってきた友人が癌で亡くなったのだという。
それから、自分も死ぬのだという恐怖に取り付かれ夜も眠れず、何も楽しめなくなって
しまったのだという。
その頃の私は、飛ぶ鳥を落とす勢いで仕事も遊びも精力的にこなしていた。
当時の私は、6年後に自分もその恐怖に取り付かれるなどと、予想もしていなかった。
私は、毎日のように寝る前には“自分も死ぬ時が来るんだなぁ”と考えてはいた。
しかし、考えることと実感することは全く違う。
やせ細った彼女がその胸の内を打ち明けてきた時、その本当の苦しみは理解出来ず
「私だって死ぬことぐらい考えているよ。みんな死ぬんだからいいじゃない」というよう
なことを言った。と思う。
その6年後、いろんなことが重なった私は、体重を40キロ割り、倒れ、たまたまそこ
に来た両親によって救急車で運ばれた、
そして、その後恐怖オバケにとりつかれ、違う世界に行った。
あれから6年が経った。私は今、生きていることが不思議だ。
四苦八苦は、4×9=36、8×9=72を足して108になる。
除夜の鐘で撞(つ)く108の数は、煩悩の数だときく。
その四苦、四つの苦しみが生老病死だという。
よく、最近の日本には“生老病死”が見えなくなったと聞く。
私は、その生は生きていることだと思っていたが、実は生まれることじゃないだろうか
と思うようになった。
最近は、病院で出産し、病気になったら病院に入る。老いたらホームに入り、
病院かホームで死んでいく。
ちょっと昔までは、家で出産をした。
私は、家でお産婆さんと祖母の手助けで生まれた。
ちょっと昔までは、病気の人でも家の中に居るのが普通だった。
ちょっと昔までは、年寄りも障害者も家、家庭に一緒に暮らしていた。
そして、家の中で家族に看取られて死んでいった。
私の祖母も年老いて奥座敷に寝かされ、
「もうそろそろ危ないから、誰か見に行ってこい」とかわるがわる様子を見に行き
見に行った者たちは、「まだ、息してるよ」と報告したという。
私の祖母も祖祖母も百姓をして働きづめの一生だったが、最後はやせ細って苦しまずに、
眠るように逝った。
父方の祖父は腸捻転だったというが、手遅れで家族全員が見守る中、
「俺はもうすぐ死ぬ。ほら、足が冷たくなってきた。膝まで上がってきた。腰まできた。
腹が堅くなってきた。手が冷たくなって感覚がなくなってきたからそろそろだぞ」と
自分で実況中継をしながら死んだという。
ある家族は、父親と母親が、それぞれ連れ子を持った再婚同士だった。
途中から一緒に住むようになった家族は、なかなかうまくいかなかった。
そして、二人の間に新たに子供が出来た。
その子の出産に、年頃になった子も含む家族全員が立ち会ったその時、言葉では語れない
命の重さに家族全員がうたれた。
それを実感した時、血なんか関係ない本当の家族になれた気がしたのだという。
生老病死を実感することこそが、生きている足を踏ん張る“重石”になるんじゃない
だろうか。
自分もだれも一度は死ぬ身、同じ仲間だ。
そして、生きることは四苦じゃなくて、喜びだと思う。
思い残すことなく、悔いなく生きたい。