守護霊

「あたしに何か、悪いモンでも憑いてるのかな?」

「どうして?」

「だって次から次へと碌でもないことが起きるんだもの」

「んー、どうしてだろうね」

「どうにかして」

その人は今やるべきことはやらず、今の彼女に出来ることはやろうとせずに出来ないこと

ばかりやろうとして、もがいているように私には見えた。

「あたしには、どうすることも出来ないよ。それはあなたにしか出来ないことなんじゃな

いの?」と私は答えた。

「何でそんなに突き放したように言うの、もう藁にもすがる思いなのよ、何か答えてよ。

もう、あたしどうにかなりそう」

「若し、あなたに何かが憑いていたとしてもだよ、あんたが自分で変わろうとしなかった

ら、根本のところを自分で変えようと思わなかったら、すぐに又、違う何かがやって来る

とあたしは思うなあ。あなた、本気で変わりたいと思ってる?」

 

彼女の今までやってきたことが、正しい方向を向いていたと、私には思えなかった。

大体が、自分のやってきたことや生き方ややってきたことを棚に上げて、何か悪いモンで

も憑いてるんじゃないかという考えも賛成出来なかった。

しかし、人間は本気になってその気になったら必ず変わることが出来ると私は信じてい

る。

彼女は、本気で変わりたいと思っていると私は感じていた。

「もう限界なの、どうしたらいいか分からない…」

「じゃあ、あたし流のコツでよかったら、教える?」

「うん、教えて」

「よし、じゃあ言うね。でも、それは自分がやるしかないんだよ、総て誰のせいにも出来

ないんだよ」

うんと彼女はうなずいた。

「先ず、先ずは、自分の出来ることを一つやることだね。

出来ないことはやらなくていい、だって出来ないんだから。

今のあなたに出来ることを、一つ始める。

具体的に言うね。

先ず、朝は起きる。

身奇麗にする。風呂に入って、洗濯して身の回りを整理整頓する。

親を初めとして人間を好きになれたらいいんだけど、それができなかったら

それでもいいんだよ。そういう自分を許す。

何かを嫌いだと、それを嫌いな自分も嫌いになってそんな自分を正当化するために

その嫌いなモノが怖くなったり、憎くなっちゃうんだよねえ。

そうなると失礼な態度になったり、無視したり始めちゃうんだよねえ。

失礼は絶対駄目なことだとあたしは思うんだ。失礼なところに悪いモノがくる気がする。

じゃあ、そうならないためには、どうするかっていうと。

敬意を払うんだよ。たとえそれが嫌いだったり怖かったりしてもね。

キリストさんが汝(なんじ)の隣人を愛しなさい敵さえも愛しなさいって言ってるけど

原本を見ると愛しなさいではなくて、「お大切にしなさい」って書いてあるんだって

愛することは、心の問題だからコントロール出来なかったりするよね。

でも、大切のすること敬意をはらうことは出来るよね。

敬意は、甘えてしまい易い親兄弟から始まって、周りの人総てに持つ。

次に、会ったことのない人や動物植物、生き物からモノに、そして見えないモノに対し

ても敬意を持つんだ。そして、失礼なまねをしないことだね。

 形的には、誰に対しても返事、挨拶をする。心を持って接する。

仕事は気持ちを込めて行う。

疲れたら休む。腹が減ったら食べる。気持ちを誤魔化すために食べない。

悲しかったら泣けばいい。泣きたくなかったら頑張ればいい。

嬉しかったら笑う。

笑う努力をする。でもあんまり無理に笑うと、笑いの質が落ちるんだよねえ。

なるべく誤魔化しをしない。誤魔化しと帳尻あわせはクセになる。

夜になったら寝る。

 あー、あと大事なのは、自分と会話する習慣を持つ。

分からないことをすぐに他人に聞くのを止める。

先ずは、先ずは自分に聞くことが大事なんだよね。

これをやっていいか、何をどうしたらいいのか。

自分は、どう感じて、どう思っているのか。

自分は、一体、何をどうしたいのか。

そして、本当に自分のやりたいようにやることだね。

 但しその時に、自分の欲に聞いちゃ駄目だよ。

欲ってやつは、必ず、必ず、間違った答えを出すからね。

そいつは言う。

(そんなに頑張るなよ、みんなもっといい加減に生きてるけど大丈夫だよ)とか

(きっと出来ないから止めようよ)とか(だって嫌いなんだからしょうがないよ)

(そんなことに何の意味があるんだ?誰も分かってくれないよ)

そうかと思うと(誰も見ていないからやっちゃえ、やっちゃえ)と一見味方のようなフリ

をして頑張ろうとする足を引っ張ったり、ズルイ考えを応援するんだ。

自分に聞くというのは、自分の奥に隠れている本当の声を聞くんだよ。

淋しくても悲しくても辛くてもいいんだよ。

嫌いでも悔しくても、そうなんだからそうなんだよ。

あー、そうなのかって自分の心を分かってやりなよ。

 でも、そうだからって嫌いな人に返事しなくていいのかな?

自分の心に聞いてごらんよ。

今借りている、いずれお返しするこの身体を傷つけてもいいのかな?

自分の力で頑張ろうとしないで、すぐに薬を飲んでいいのかな?

自分の弱い心に負けて、弱いものや嫌いなものを苛めたり、困っていても助けなかったり

食べすぎたり飲みすぎたり、仕事の手を抜いたり、本当にそれでいいのかどうか、全部

自分に聞いたらいいよ。

 でも、急に無理して自分を追い詰めてもいけないね。

今現在、目の前にある、今の自分に出来ることを、先ずは一つ心を込めて行う。

出来ないことを考えてそこに留まることはしなくていい。出来ることをやったらいい。

それは、出来ることが大事なんじゃない。

それをやろうと自分が決めて、自分の力で始めることが大事なんだ。

心を込めて…。それが周りから見ると、どんなにつまらないことでもいいんだ。

結果じゃなくて、今をちゃんと生きると決めて、それを始めたとき怖いモノがいなくなる。

そんな気がする」

 

良い守護霊がつくにはどうしたらいいかと聞く人がいるが、私は守護霊をつけることを

目的とした行いは意味がないと思っている。

そこには、どうしたらモテルようになりますかと聞いてくる人と同じものを感じる。

自分の信じる道を歩んだ結果として現れるもの、それを目的として行動し始めると、

本来の目的が違ってくる気がするのだ。

それに守護霊に守ってもらおうと思っている人は守られない。

守ってもらいたがっている人はその人に同等の守護霊がつく。

守護霊は手助けしたくているが、手助けであって守護霊は主役ではないのだ。

そこに生きてる本人が、考えて、決めて、行動して、初めて手助け出来るのであって

何もしない人をどうすることも出来ないのだ。

 その手助けや後押しも、それを求めているうちは絶対にやってはこない。

何も求めずに楽しんで行う。楽しくて無心で行っているそこに邪気はない。

子供が、無邪気に遊んでいるときそこに邪悪なものは寄り付けないように計算や打算を

持たない無心の行いに陰りはない。

つまり、よい守護霊を持つためという計算による行いに邪悪なものは付きやすいのだ。

無心で仕事をする。夢中で何か作る。夢中で運動する。

夢中で何かをやっているとき、嫌なことを考える余裕はない。

大事なのは何をするかということだ。

それは、人によって総て違う。

だから、自分の心に聞くのだ。

答えは、そこにある。

 

     これは、以前に書いたもので、一部「守護霊」と重複しています。