体罰

 非行や家庭内暴力で、家庭では手に負えなくなった子供が預けられる学校があった。

そこで教育と称して過度な体罰が行われ、2人の死者と恐怖のあまりに海に飛び込んだ

2人の行方不明者を出した。

そこの校長が、有罪となったがこの度刑務所から出てきた。

その校長が、インタビューされて言った。

「体罰は教育だ!分からんやつが口を出すな!分からんやつは黙っとれ!」

更に彼は言った。

「先ずは恐怖を与えてやって分からせるんだ。恐怖を知ることで怒りを知り生きる力を

出させるんだ。私は分かってやってるんだ、黙って見とれ!」

 

教育の根本にあるのは愛と心、そして理解だと私は思っている。

分からないことは、知るために、そして納得するために存在するのだ。

 愛の形の一つに心で泣きながら叩かねばならないことはあるだろう。

しかし、それは、心の痛みを伴いながらである。

感情に任せて、或いはマニュアルによっての体罰は子供の心を救うことは出来ない。

教育の一部に致し方なく体罰があったとしても、体罰は教育ではない。

 

そして、分からないことは、分かるために存在するのだ。

お互いに納得するまで話し合おうじゃないか。そこで答えが出なかったとしてもそこで

本気で話し合い、考えることで人は成長するのだ。

教師だから分かっていると思うのは思い上がりだ。

教師だろうが学者だろうが、落ちこぼれだろうが同じ人としての道を歩む人間。

 ソクラテスは、「私は知らないということを知っている」と言った。

知らないということを知る、そしてそこから知ろうと歩み出すことで本当の人生が始まる。

 

以前に中学校であった「アラレちゃん事件」を思い出した。

その頃「アラレちゃんに電話してね」というポスターが電信柱や電話ボックスにベタベタ貼られた。

当時中学一年生だったアリサは、母親に「アラレちゃんって何?」と聞いてきた。

母親もそれが何なのか分からなかった。

「何だろうねえ」

「アラレちゃんが出るのかなあ?」

「そうだねえ」

「電話してもいい?」

「駄目よ、そんな訳の分からないのに電話しては」

そう母親は言ったのだが、無料で掛けられるという“アラレちゃん”に何人かの友達と

一緒に公衆電話から掛けた。

それが学校で大問題になった。

その時の学年主任だった佐藤が毎月のようにお便りを出す熱心な教師であった。

早速お便りが届けられた。

以下はその時の文章の一部である。(原文のまま)

「話を聞いた事実を左に載せたわけですが、この話を聞く1年生の皆さん、

そして保護者の皆さんこれを読まれてどんな感想を持たれたでしょうか?

3人の娘の父親である私だったら言い訳や理由を聞く前に、思い切りブジマワしていた

と思います。

それくらい性的に危険な行為を遊び感覚でしていたということを、まず頭で理解する前に

身体の痛さで覚えさせたいと思います。

そんな大袈裟なと思うかたもいるかとは思いますが、私が父親なら間違いなくそうする

でしょう。

この中学校は落ち着いた学校で私が赴任して2年間こんな出来事はありませんでした。

しかし、こんな遊び心で始めた行為が取り返しのつかないことにまで発展した例を職業柄、

数多く知っている身としては、今回のテレクラ騒動は絶対に許さざるべきことだと思って

います」

これは、愛から出た言葉であろうか?

そうだったとしても、教育に不可欠な理性は何処にいってしまったのだろう。

アリサは、テレクラが何であるのか分からなかったのだ。

分からない者にただ体罰をくわえても、そこには怒りと反感、反発しか残らない。

その時にアリサと話し合った記録がここにある。

「いけないことだと分かっていたけど、それが何なのかわからなくて、面白そうだから

電話してしまった」のだというアリサに。

「いけないと分かっていても面白そうだからやりたいという弱い心にアリサは負けたんだ

ね。でもどうしていけないかは分からなかったんだね。

分からないことは、聞いていいんだよ。聞いて納得して自分の本当の心で決めなさい。

先生に、誰かに怒られるからでなくてアリサの弱い心は、アリサの強い心でしか押さえ

られないんだよね」と私は言っている。

 

 アリサが何度も言ってきたことがある。

「中学の時に佐藤先生に足を撫でられたことがあるんだよねえ。

そんなことされたの初めてだったから、ゾッとして寒気がしてイヤーな気持ちになったん

だよねえ」

「何で撫でられたの?」

「あの頃スカート短くするのが流行ってたでしょうよ。

あたしも短くしてて、佐藤先生が傍に寄ってきて、あたしの前に座ってこんなに短くして

て寒くないかって、膝からスカートの中に手を入れてきたの」

「そんなことされて、黙ってたの?」

「だってその時は、ビックリしちゃって何にも言えなかったよ」

「まあ、そりゃそうだ、でもスカート短くしてたあんたも悪いんじゃないの?」

「でも、隣に居たサトちゃんには、何もしなかったよ」

サトちゃんは成績が優秀で、その親も学校に協力的だ。

「佐藤先生、サトちゃんには絶対そんなことはしないと思うよ。

あたしのことは甘くみてたんだよ、失礼なこともいろいろ言われたし」

当時「尻が軽いって何?」と聞いてきた。

彼女につけられた心の傷を思う。

アリサは、その時もその後も佐藤先生に抗議することはなかった。

「はっきり言ったら先生可哀想だもん。それにどういう仕返しされるかわからないもん」

と彼女は言う。

そして、「好きな人が出来たり、男とも付き合ったりしてるけど、あの足を触られたのは

許せないんだよね」と言うのだ。

あれから10年経つが、今でもまだ、その時のことを言う。

 

 人は、一人の人間としての尊厳を認められて、初めて自分に誇りを持てる。

アリサに、すべてものに祈る。

「人としての尊厳を、自らが認められますように。

自分は、かけがえのないただ一つの素晴しい存在であるということに気がつきますように。

 そして、それは自分以外の総ても同じだということに目覚め、他人も愛せますように。

されて嫌だったこと苦しいこと辛いこと、それは、心を深く大きくするため。

心が大きく成長し、そして、深く愛に満ちていきますように…」