田の草取り、ヨマチ(ムカドン)

 

「勇蔵よ、おじいさんちゃ、他所の人は怒れねえから、身内を怒ってみせたって話しし

たっぺよ。

ある時、おじいさん、スミエ(キヌの妹)と本宅のマッちゃんを連れて田の草取りに

行ったんだと。

そん時は、1番草を取りに行ったんだな。

1番草は田植えして間もなくんどきにすんだげど、

まーだヤーコイ小さな草だがら手ぇ熊手みてえにして、田んぼの泥をガーリガーリかき

回していくんだ。

そうすっと、指の間に草が集まってくっぺ、それをグールグルってまとめて田んぼの

中に埋めでぐんだ。

 

苦髪楽爪(くがみらくづめ)つうけど、苦労すっと髪が伸び、楽すっと爪が伸びる

つうべよ、んだが、百姓は田の草取りの間は爪なんか切る人ねえぞ。

切んなくたって伸びねえし、逆に爪が減ってなくなっちゃうんだからな。

 

そんでぇ、スミエが、田んぼにハイツクバッテ、草取りやってたら急に父ちゃんが

『スミエ!

草取りっちゃな、根っこからちゃんと取んねどすぐ生えてきっちまって、逆に余計な

手間が掛かんだど!何の仕事でもやっときには、ちゃんとやんだ!』って、

大声で怒鳴ってきたんだと。

スミエ、ビックリしっちまってな。

ちゃんとやってんのに、父ちゃん、何でそんなに怒ってんだっぺ?と思ったんだとよ。

そしたら、ウヂに帰ってきてから

『スミエ、怒鳴って悪かったな、あれはマツコに言いたかったんだげど、他所の子供

怒るわけにいかねぇからオメエに言ってマツコに聞かせたんだ』って謝ってきたんだと。

 マッちゃんちゃ、お嬢さん育ちで面倒くさがり屋だっぺ。

草をちゃんと取んねぇで、手のひらで撫で回して終わりなんだと、んだから仕事は早い

ように見えっげど、ソソッペで役に立たねえんだとよ。

 おじいさんちゃ、几帳面で筋が通んねごどは許せねえ人だったっぺ?

『仕事はユックリでもいいがら、ちゃんとやんだ!

いい加減なゴドやっと直す手間の方が掛かるし、元通りにはなんねぇんだ!』つう

人だっぺ」

「うん、そうだったな。

ところで田の草取りって、ぜーんぶ人間の手でやったのげ?」

「そーだよ、勇蔵、今は機械だの薬でどうにかしちまってっげど、昔は何でも人の手

だげで、やったんだぁ。

田の草取りっちゃぁ、1番草2番草3番草ってあんだげど、1番草はさっき言った

みてえに夏んなる前にやったんだ。

『ヨマチが始まる前にやっちまあべな』つってやったんだがら」

「ヨマチっちゃ、何?」

「ヨマチっちゃあ、マチやムラのあちこちさぁ、神社がイッパイあっぺよ。

そこで次々にお祭りが始まってそごさ行ぐんだ」

「へえー、面白そうだね」

「ああ、面白いんだぞ。

最初はテンノウサンから始まんだげど、そごには最初に出来たキュウリをあげんだ。

一番最初に出来たキュウリは、そごにあげてがらでねえと食っちゃいけねえごどになって

んだげど、その前に食べだりすっと、『バチが当たっがらな』って言われんだ」

「そのお祭りの前に、1番草を取ったんだね」

「そーだ。んだが、稲っちゃ伸びるのが早がっぺ。

3番草あたりになっと、伸びた稲が顔、さすって辛いんだぞ。

んだが、毎晩のようにヨマチがあって面白がったなぁ」

「えっヨマチって毎晩あんの?」

「そうだ、テンノウサンが皮切りで毎晩のようにあったんだ。

あの頃は、今みってにテレビなんてねえべ。何しろ電気がなかったんだぞ」

「えー、電気がなかった?」

「そーだよ。電気は、一番上のあんちゃんが就職して、出世して年に4回も賞与貰う

ようになってがら引いたんだがら。

電気が引かれる前はランプだったんだぞ。

石油は一升瓶で買いに行ぐんだげど、一本買えねで量り売りだったんだぞ。

ランプにはすぐにススが付くがら磨きがたをすんだげど、ガラスが薄くてなぁ。

すこーし力入れっと、すぐに割れっちまってなぁ」

「危ねえなぁ」

「なーにが、怪我するより、ガラス壊すほうが大事で壊しだりしたら物凄ぐ怒られでなぁ。

そんな時代だもの、楽しみつったらヨマチくらいしかねえべよ。

みんな夜になると、ゾーロゾーロ、ヨマチに出掛げていぐんだぁ。

今日はドゴ、明日はドゴってな」

「へぇ、いいなぁ、んでもヨマチって何やんの?」

「ヨマチっちゃあ、神社だのお寺だのに行ってオマイリすんのが目的なんだっぺが、

テンノウサンの次はドンリュウサンだったっげかなぁ。

んでもって、そこの場所場所で色んなダシモンがあってな。」

「ダシモンって?」

「ダシモンちゃあ、素人演芸みてえなのだとか、歌だの、テラパンが歌専門だったな。

浪曲が来たりブラスバンドが出たりおみこしが出たり山車(だし)なんかが出たりすんだ」

「へぇー、見てみてえなぁ」

「あー、ホントに面白がったぞ。

あのバンバの伯父ちゃんいっぺ?

あの伯父ちゃんなんか母ちゃんの浴衣着て踊ってたりしたんだぞ」

「えー、あの伯父ちゃんが?」

「そーだよ、今は真面目な顔してっけど、ナカナカ遊び好きでしゃれっ気があって、

ある時ハチマンサンのヨマチに行ったら、母ちゃんの浴衣着てジョーズに踊ってたんだ。

シバヤなんかもあって、みんな出てやったんだ」

「何の芝居やったんだ?」

「次郎長だの、お富さんだの赤木山だのイロイロあったなぁ。

ブンカレンメイの歌もあったっけな」

「へぇー、昔の人ちゃ働くばっかりかと思っていたら芝居のケイコなんかする暇あった

のかぁ」

「そうだな。夜になっとみんな何処かに出掛けっちまってウヂになんか居ながったな。

狭いウヂだもの居場所なんかねえんだ。んだが、ヨソの人は来てんだ。

そんで、ナリタサンなんかは、広っぱにブタイをかけっちまってな、盛大だったんだぞ。

ナリタサンは7月15日なんだげど、ウヂの上の氏神様のお祭りと日にちが一緒で

提灯がイッパイぶら下がってキレイだったぞ」

 

ボクの誕生日は、1954年の11月28日だが、ボクが生まれた日は天気の良い

強い風が吹く日曜日だったと以前に母から聞いていた。

その日はハチマンサンのお祭りの日で、朝早くお祭りの花火が上がった後にボクが

生まれたんだと母から何度も聞かされていた。

そしてまた、上(本宅)の氏神様のお祭りとナリタサンのヨマチのお祭りが同じ日で

あるということが、面白かった。

 

 バリ島には神社が無数にある。

そして、一年中毎日何処かで、毎日4箇所以上でお祭りがあるらしい。

車で移動しているとキレイに着飾った女の人が頭の上にお供え物を乗せて歩いていたり

お祭りの飾り台が建てられていたり、音楽が聞こえてくる。

暑い乾いた道路を犬が走り回り、子供が遊んでいる。

男達は家の外に置かれた縁台に座って道行く車を見送っている。

 ボクは、バリ島に行くと自分の生が祝福されている気持ちになる。

それが、古い日本にもあったんじゃないかと母の話を聞いて思う。

 

「それで、何時までヨマチはやんの?」

「お盆までなんだげど、旧暦のお盆だがら、8月末までがな?

ヨマチが終わるっちど、今年も夏が終わったなぁって、少し淋しい気持ちになったなぁ」

 

 僕はいつも母の話を聞いていると、映画の一場面のように色んな風景が広がり、音が

聞こえてくるような気がする。