手紙 (母ちゃん2)

 

 直子の姉の秀子です。

手の癌の手術は、痛みが酷かった。でも、痛くない場合もあるというので、

若し皮膚癌の手術をするという人が居ても心配しないで欲しい。

 自分は不運の人生だと思って生きてきた。

ある意味それが私の誇りでもあった。

いつも負けてたまるか!というのが私の生き方だった。

 何時からそうなったのか、覚えてはいないが物心付いた時にはもう意地っ張りだった。

2歳で手に火傷を負ったというが、覚えていない。

覚えてはいないが、気が付いた時には、私の手には歴然とその証があった。

 それは、雪国の寒さに痛んだ。

手を直したのは、高校に入ってから、身体の発育が終わってからだった。

小、中学校では、随分失礼な無礼な、言葉や態度に出合った。

 でも、めげなかった。めげたら負けだ。腹立ちは勉強で頑張った。

高校は、奨学金で行った。

 30歳で結婚し、子供も出来た。

幸せだと思ってた。しかし、50歳で離婚。

 まあ、要するに夫の浮気。

夫の言葉は、「お前の気持ちが分からない」「俺はお前にとって必要がないんじゃないか」

 そう思うんなら仕方がない。

私は、結婚してしばらくして夫はいないと思って生活することにしたし、子供を育てて

きたのかもしれない。

 一人息子が不祥事を起こした時、車の中でふと漏らしてしまった。

「お母さんはね、あんたのお父さんは居ないと思っているんだよ」

「なんでだよ」

「だって、困った時に必ず居ないんだもの。頼りにしたらそれが恨みになる。

居ない人だと思ったら、給料を入れてくれるだけで有り難いと思ってるんだ」

「それはあんまりオヤジに失礼じゃないか」と息子は言った。

夫はやさしい人だが、面倒なことが嫌いで、一緒にやっていた仕事が行き詰ると

何処かに行ってしまう。

 どうしようもないので私が何とかそれを納めると、納まりが付いた頃に帰ってくる。

何か言えば言い争いになるので、私は何も言わなくなった。

 なのに、「何故おまえは、俺を頼りにしないのか」と言う。

「仕事仲間が、俺よりお前に連絡する」といって怒る。そして、浮気。

 息子の不祥事の時も、家に居なかった。

離婚の話は、夫から言い出したのだが、私があっさり承諾すると冷たい女だという。

 夫は自分で言い出しておきながら、今度は撤回しようとした。

私はそれにも反論しなかったが、勝手に夫が諦めた。

 愛の一番遠くにあるのは、憎しみではなく無関心だという。

夫はそれに気付いたのかもしれない。

 

 実家に戻った頃、息子は都会に出て行き、私と母ちゃんの二人暮らしが始まった。

直子知ってるかい?母ちゃんって案外生きものが好きなんだよ。

あんな仏頂面してるけど、家の周りに野良猫野良犬にエサやって可愛がってるんだ。

あれ、意地悪ばあさんにあったじゃないか、『このバカ犬が!』って意地悪ばあさんが

怒鳴りながら後ろ手で魚を落とすシーン。

 母ちゃんは、怒鳴ったりもしないけど何かを「カワイイー」なんて猫撫で声を出す

ことも絶対ないね。

 でも、エサをやってそれが食べるのを母ちゃんが見てる姿って、ちょっと感動的だよ。

 

 母ちゃんの手紙。アリガトね。

良かった。分かっていたけど、良かった。

 アリガトね。

 

私が離婚して此処に戻ってきた時。

母ちゃん、何て言うかなと思ってちょっと警戒してたんだ。

 な、分かるだろ?

負けるな。弱音を吐くな。みっともない真似をするな。って言われて私ら育っただろ。

 何て言われるかなと思いながら、「離婚する」って言った時。

「そうか」ってそれだけ。

「此処に帰って来てもいいかな?」って言ったら

「母ちゃんはいい、兄ちゃんらに筋通せ」って、それだけ。

それ以外、母ちゃん何にも聞かなかった。私も話さなかった。

 

 手術も無事済んだよ。

もうすぐ、あの家に帰るよ。

 直子、知ってるか?

あのキレイ好きだった母ちゃんが、目が遠くなって洗い物がきれいじゃないの。

 私らもああなるんだなぁ。

 

手紙、アリガトね。直子がアレを読まなかったように、私も内容は話さない。

でも、姉ちゃん明るくなったべ。

私、母ちゃんみたいに年をとりたいって思うようになったよ。