転機

 

 今年(2009年)に入って、私の何かが変わり始めた。

何がどうと具体的に言えないのだが、3月18日に本(スイッチ・オン)が出たことは

大きい。

 その頃から“母子分離”が、始まった。(私と母、私と子供の)

生業としている家業の運営を子供たちに全面的に移行するため、準備が始まった。

 そこに次女の婚姻があった。

スベテのことは同時進行で進む。

 その疲労が最大になってきていた最近。

突然知人が64歳で亡くなった。そのお通夜の日に元同僚だった知人が55歳で亡く

なったと知った。

 お通夜の席で浄土真宗のお坊さんが言った。

「亡くなった人に手を合わせるのは、亡くなった人の成仏を祈るだけじゃないんですよ。

誰も死にます、順番はありません。それをもう一度思い出して考える機会なんです。

そして、亡くなった人も祈ってくれています。

それは、命あるもの生きてくれよー。自分の人生を生きてください。と祈ってくれてい

ます。その声を聞くということは、今、自分はどう生きているのか、どう生きていった

らいいのかを、自分自身に問う機会をもらったということなんです」

 

 西光寺の門の横にある貼り紙に書いてある。

「よく 自分に問うてください

 一度きりの人生を どのように生きていくのかを」と。

お通夜の翌日、西光寺に行くと

「あれとくらべ これとくらべて 生きてきたけれど

老いてみれば 比べることのいらない お慈悲の中に生かされていた」とあった。

暗記して戻り、この言いたい放題に載せたが、ちょっと違っていた。

でも、そのちょっとが、大分違っていると思った。

 

 今年に入ってからの私の仕事振りが、以前にも増してパワーアップしていたことは

周りに居るみんなが分かっていたようだ。

 5月の連休の頃などは、「麻子さん様子がおかしいよ、憑き物でも憑いているみたいだよ」

と言われたりした。

 今年は庭にも力を入れず、というかその時間さえ持てず、家から出る回数は以前にも

増して減った。

 自由な時間が少しでも出来ると両親の病院に付きそう用事が出来、次女の婚姻と私と

母との分離が同時に進行し、仕事の段取りが付くと長女の具合が悪くなり仕事に戻ること

になった。

 そこで愚痴を言うことは、大切な誰かを傷つけ悲しませることになる。

人は常に試されているのかもしれないと思う。

 どんなに努力しても思い通りにいかない、いや、努力したと思った時点でその成果は

潰してもらっている(ありがたい)のかもしれない。

 何故なら、努力出来るということが、もうすでに与えてもらったことであるから。

なーんて書くと、また宗教的だなんて言う人が居るんだろうな。

 

 昨日、リンパマッサージをしてもらったって言いたい放題で書いたけど、

いやいや、今年に入っての疲れ毒素を流してもらったって感じ。

 1時間で頼んで2時間以上やってくれた。

彼女が言うには、「お金や時間じゃなくて自分が納得するまでやらせて欲しい」んだそうだ。

 それで思い出したのが、先日来た一回り上の午年の友人の話。

その彼女は、時間契約で、あるお店で働いている。

 何故時間契約にしているかというと、例えば1時間の契約だったとしても、それより

2時間かけても3時間かかっても自分のペースで焦らないでじっくり納得のいく仕事が

したいからなんだそうだ。

 私はそれが痛いほど分かる。

「悪口じゃないのよ」と彼女は言った。

「それが、いけないことだとは言っていないのよ。でもね、一緒に働いている人で毎日

時間ギリギリに来る人がいるの。

その人が、この間2、3分遅れちゃったのね。

そうするとタイムカードで15分マイナスになるんだけど、そしたらその彼女、15分は

勤務時間にならないからって何もしないでそこに居るのよ。

私は、何もしないでそこに居ることの方が大変だと思うんだけどね」

「その人、終りの時間になったら仕事が途中でも止めて帰るんでしょ」

「アタリ」

「でもって、自分はお客さんに何か聞かれても親切じゃないのに、お客さんがあなたを

頼りにすると怒ってきたりして」

「やだ、何で分かるの」

「そういう人っているんだねぇ」

 と言った私は、仕事から逃げることに終始していたある人を思い出していた。

仕事に気持ちが向かず、心を込めることが出来ず、人に信頼されず、手を抜くことばかり

考えているようにその人は見えた。 

 

 そして、マッサージの彼女は、人の助けになりたいという心を持った人だと感じた。

そういう人に巡り会いたいし、マッサージもやってもらいたい。

よかった。と思った。

「あっちとくらべ、こっちとくらべ 〜」っていうけど、ダメだね。比べちゃうね。

 

 2、3日前、次女夫婦が来た。

山小屋で夫の打った蕎麦で呑んだ後、メダカを見て話した。

「もう、そろそろ自分の人生に入りたいんだよ」と私が言うと

「お母さんは、どういう人生を送りたいの?」と次女が聞いた。

「焦ることなく、じっくりと丁寧に一つ一つのことを楽しんで、でもって書きモノをして

暮らしていきたい。

でも、働かないわけじゃないし、書きモノも道楽にしたくない。

ちょこっとだけ本が売れて、仕事の方から離れても誰にも負担を掛けないくらいにしたい」

「ふーん」と言った次女は、スイッチ・オンのパンフレットを手にしていた。

「でも、言わせてもらうと、このパンフレット失敗だね」

「うん」

「このパンフで興味持ったとして、この本読んだら期待はずれかもね」

「そうかもね」

「これ作った人、お母さんの本、本気で読んでいないよね」

「うん、だってこの世界の人は忙しいもん、斜めに読んでこういうの作るんじゃない?」

「でも、愛がないね」

「だから、仕方ないって、ホントに本が好きな人だけが本の業界で働いているワケじゃ

ないんだから」

「残念だなぁ。

この『的中した予感、日航機墜落事故の予知夢、偶然の一致、猫の死、得体の知れない

存在、壊れた体験、見える人たち、ヒューの体験、そしてついにスイッチが入った』って、

こんなのお母さんにとってはどうでもいいことでしょ」

「うん」

「何で分かんないかねぇ、お母さんの言いたいこと」

「分かんねんだなぁ。

この原稿を読んで、まあ前編だけの時なんだけど『これ、お母さんが読んで大丈夫ですか』

って聞かれたんだよ。お母さん『だから、私が書いたって分からないようにペンネーム

だし、母親には見せない』って言ったんだけど、この本が家族や親への最大のラブレター

でもあるって、後編読んで、あの人分かったかなぁ」

「どうだろうね」

「お母さんの知り合いが、この本買って読んだって言ってきたんだけど

『それで、ここに書いてあるのは本当のことなの? これでは印税生活にはなれないね。

何が言いたいのか分からない』って言ってきたんだわ」

「そういう人も多いんじゃないの」

「そう思ってる。

でも、いいんだ、一人でも共感できる人が居れば、それでもう大満足で大成功だから」

「じゃ、大成功だったね」

「うん」

 

 言い訳になるかもしれないが、私は超常現象みたいな話を興味本位で取沙汰したくない。

でも、事実としてそれがあるならそこから目を逸らしたり黙殺することもしてはならない

気がする。

 そこにあることは特別大騒ぎすることでもなければ、毛嫌いして排除しなければなら

ないことでもない。

 

この本で何が言いたいのか、具体的に書くつもりはない。

私が答えを出すのではなく、その答えはそれぞれの中にあるんじゃないだろうか。

 そのどれもが間違いじゃないし、きっとそのどれもが私と同じではないと思う。

それは、同じでないということに於いてだけが、同じのような気がする。

 

 スイッチ・オンの原稿は、あの本の3倍以上あった。

そぎ落としたものは、これからここで書いていける。

 この間載せた“金縛り”とかお通夜“なんかそうだが、ここがあって良かったなぁ。

とつくづく思う。

 

 ここでもう一度、ダメ押ししておく。

ここに書いてあることは、本筋では本当のことだが、登場してくる人物の名前は勿論

性別、年齢、職業、などは変えてある。

「ここに書いてあることは、本当のことですか?」

「こんなこと書いて大丈夫ですか?」と何度聞かれてきたことか、

でも、ここに出てきた人が何処の誰だとか、それが事実かということに焦点を合わせた

下衆(ゲス、心や性質の卑しい)の勘繰り、いらぬ詮索は止めて欲しいと切望している。

 人間として素晴らしさの一つは、我が身に置き換えて考えられるということだと私は

思っている。

 “冷暖自知”(水が温かいか冷たいかは、飲んだ本人にしか分からない)という言葉が

好きだと言ってきているが、道元は同じ禅宗でも“自然外道”(じねんげどう、あらゆる

存在は因縁によらないで自然に存在する)として“冷暖自知”を否定したといわれている。

 未熟な私は、本や話で知ったつもりでいたことが、体験してやっと気が付くことがある

その瞬間(あー、こういうことだったんだ。私は分かっていなかったんだ)ということに

気が付く。

 自らが経験して実感として知ることもあるが、自分のこととして思いやることで

分かることもある。

 何事も解釈の違いで意味が違ってくる気がする。

私の考えなのだが、冷暖自知でも自然外道でも色んな道があっていいような気がする。

何かを否定してもいいし、しなくてもいいのかもしれない。

 そうなったら、「いらぬ詮索をしたい人はご勝手にどうぞ」だ。

 

リンパマッサージで体調が良くなって元気が戻ってきた。

 師匠の佐々氏が言ってた。

「元々の元気っていうのは、大声を出したり騒いだりすることじゃないんですよ。

元のところに気が納まるってことで、本来の自分のところに気持ちが納まるってこと

なんですね」って。

 

 この間、従兄弟の嫁イズミちゃんが、子供たちを連れてきた。

「オバチャン、感想文が上手なんだよ。書くコツ教えてもらいな」とイズミちゃんが

5年生になるタケトに言った。

「えー、本当?」とタケト。

「うん、上手だよ」

「どう書いたらいいか教えて」

「よし、教えてやろう。

一番大事なのは、面白いと思って夢中になって本を読むこと。

だから、先ずは好きな本を見つけなきゃ、だね。色んな本を読んで。

それから、カッコ付けないこと。上手に書こうとしないこと。

自分の言葉で正直に思ったままを書く。

次に、読んだ人に自分の気持ちを分かってもらいたいと思うことだね。

そしたら、どう書いたらいいかを考えるでしょ」

 誰かに認められようとか、感想文を書くためじゃなくて本を楽しんで読むことが一番

大事。なんて話していたら、(あー、私が何か書くのも同じだ)って思って、そしたら

また書きたくなった。

 

 何だかまとまりのない話だが、まとまりのないのが私。

これでやっていくので、これからもよろしく。