天使

 次女の美樹が、11月25日で26歳になるのだから、あの天使はもうそろそろ二十歳

になる。

 ということは、ついにあの話を書いてもいい時がきた。

 

18年前の話だ。店の客にSが、いた。

Sは、タバコ吸いで痩せて色の黒いシャイな人だ。

彼女は女特有の無神経さや図々しさがなく、人の話を馬鹿にしたり、優位に立った所の

ない人だと私は感じた。

 つまり、好みのタイプだ。

客と店員というだけの彼女と私の関係だったが、気が合ってよく話しをした。

Sは、私が面と向かって

「うわ、タバコ臭!」と言っても怒らない人だ。

 私も、タバコを吸っていた時期があった。

そのきっかけというのが、店をやる前に勤めていた職場(保育所)の女上司が

「女のクセに、保母さんという聖職にある者がタバコを吸ってる」と知人を非難するのを

聞いて、(なーにー、女はタバコ吸ちゃいけねえのか、保母さんが聖職だと?!)と

その人の前でタバコを吸って見せたのが、タバコ吸いのきっかけだった。

 その話をすると、「あなたらしいねぇ」とSは、言った。

 

 そのSが、2歳になるかならないかの子どもを連れて来た。

あまりにも可愛い子だった。

つるりとした卵のような頬、長く煙ったような睫毛に縁取られた眼は、アーモンド形で

白目が蒼い程に白く、瞳は黒く大きい。

小さな花びらのような唇、ちょこんと摘んだような鼻。

 その子が、Sの後ろに隠れるようにして立っていた。

 

子どもの容姿は、子どもに限らず、誉めてもけなしてもいけない。

形を見ての評価は、人間を薄っぺらにする。と常々言っている私だが、

「うわ!可愛い」と思わず言ってしまった。

そして、座り込んで子どもの顔を覗き込んだ。

その途端、「ばーか」と回らぬ舌で言い、「ペッ、ペッ」と唾を吐いた。

唾は、私の顔に飛び、飛びきれなかった唾が、子どもの小さな唇のまわりに泡となった。

「コラッ!」とSさんが、子どもの顔を手で押さえた。

「ゴメン、私が悪いのよ。いくら子どもだからって不礼な、失礼な真似しちゃって…。

ゴメンねー、ビックリしたねぇ」と私は子どもに謝ったが、子どもは私を睨んでいだ。

その日、Sさんが帰った後、何かが引っかかっていた。

 その子の美しさは妖艶な感じさえして、それと同時に虐待を受けているような陰湿さと

凶暴なものを感じた。

それが、気になってずっと忘れられなかったのだ。

 それから暫くして、Sさん親子が現れた。

私は気になったことは口に出さずにいられない性分だ。

まさか、虐待なんてことは言わないが、

「あなたのような人の子どもなのに、ちょっと雰囲気が違う」と言ったと思う。

すると、子どもに聞こえないようにSが話し出した。

 

 彼女には、公共施設で働く姉がいるが、姉もよく店に来てくれていて私も知っていた。

その姉の職場に捨て子があったのだという。

 どういういう経過だったか忘れたが、捨て子だということで職場は大騒ぎになった。

姉は、Sに電話でそれを知らせてきた。

 Sは、即断で「私がその子を引き取るから、警察には渡さないで」と姉に頼んだ。

当時、小学校に通っていた一人娘(私の長女と同じ年)が、学校から帰ってくるのを待っ

て、その話をすると「ウチの子にしよう!」と即断。

 ご主人の職場に電話して早退させ、3人でその子を引き取りに行ったのだという。

勿論、旦那も賛成、即決断。

 その子にどんな過去があったかは、今となっては分からない。

 

 へー、そんな家族があるんだぁ。と私は、思った。

でも、Sだったら何の不思議もない気がした。

 当時の私は、子育てに苦悶していた。

Sとは、子育てについていろんな話をした。

それは、精一杯毎日を生き、間違いながらも希望を持って明日に向かう話しだった。

どちらかが、優位に立って語ることもなければ、卑屈になることもなかった。

Sには、何の包み隠しもなく、本根で語ることが出来た。

彼女も、私に心を開いていると感じていた。

 

 Sは、その子を天使だと言った。

一人娘も天使だが、その子は神様が自分の家族の元に使わした天使なのだと。

 それを聞いて、(あー、私の二人の子どもも、神様から使わされた天使だった!)と

思い出した。

 彼女のところの天使は、会う度に、年を追うごとに普通になっていった。

 最初に見た時に感じた艶めかしい程の美しさと凄みは消えていき、あどけない照れ屋の

普通の女の子になっていった。

 

 私は、Sと話すと自分が小さい人間だと実感した。

自分の産んだ子どもであっても、捨て身で信じていなかったことに気が付いた。

そのクセ、子どもを集めて見ているとき、何かを分配して数が足りない時、我が子に我慢

させていた。

子どもを、自分の分身のような所有物として、みていたのだ。

思うようにならない何を考えているのか分からない子どもを、遠い存在のように感じる

ことがある。

 子どもがいなくて、養子をむかえる夫婦はいるが、わが子がいて養子をむかえる夫婦は

少ない。

 私は、自分の産んだ子と、産まない子を分け隔てなく育てられる人間だろうか?

 

 中学三年生になってSと一緒に現れた天使は、ニキビを顔に散りばめていた。

 

その時も私は、次女の美樹ことで悩んでいた。

美樹は、入学した高校を自主退学し、行き場のない気持ちを持て余し心が荒れきっていた。

 私たち夫婦は、何とか美樹の心の安定を取り戻そうとしていた。

しかし、私たちが心配すればするほど、美樹は荒れ反抗した。

 そんな中でも私たち夫婦は、何とかユーモアを見つけ出そうとしていた。

ヒップホップの踊りだけが生きがいだった美樹が、夜中過ぎ迄仲間と踊り、野宿するから

いいと言うのを、夫と二人で向かえに行った。

商売が繁盛している頃で、仕事は夜まで続き、唯一の楽しみだった酒を飲まずに美樹を

車で向かえに行く。2時頃には終わると言ったが、中々会場から出てこない。

 疲れて居眠りする私に夫が、「いいから寝てろ」と声を掛ける。

何だか悲しくなったが「わるいねぇ、あんな子産んじゃって…」とふざけて私が言うと、

「いや、あん時に乗っかったオレが悪いんだ」と夫が言い、思わず噴出した。

 暫くして現れた美樹にその話しをする。

「わるいねぇ、あんな子産んじゃって」と私が言ったというところで顔が険しくなったが、

「いや、あん時に乗っかったオレが悪いんだ」のセリフで笑い出し

「そーゆうこと、子どもに言うかなー」と言い、その後も「変な親」と言いながら

そういう親だから自分は救われたんだと、ずっと後になって言った。

 美樹は、物事を筋道立てて話すことが苦手だった。

よくいえば言い訳しない。潔い。

だから、誤解されやすい。そして、誤解されても、弁解しないのだ。

友人関係でも、学校でも、誤解されてそのままになったことが、沢山あった。

 

ヒップホップの靴は高かった。

「靴、買って!」

「何で?先月買ったばかりでしょう?」

「買ってくれる気ないんだね。じゃ、いい!」

「だから、何で靴が必要なの?」

「もういい!」と言う美樹と押し問答の末、ふくれっ面の美樹が、靴を持ってくる。

それは、踊りすぎて踵の布地がなくなり、プラスチックで出来た中の部品が現れていた。

彼女の踵(かかと)を見ると、赤く炎症を起こし、裂けて血が滲んでいた。

「ちゃんと説明するんだよ。そしたら分かるんだから」と1万円を渡す。

前回、買いに行った時の靴の値段だ。

 少しして美樹が見慣れない服を着ていた。

「その服どうしたの?」と聞くと

「靴は前より安いのを見つけて、その差額で買った」のだという。

そして、「それは、筋が違うだろう」という話になる。

「靴の安いのを見つけたから、その差額で服を買ってもいいか?と聞いてから買うのが

筋だろう」と私が言うと、

「どうせ、いいって言うに決まってるだろう?!」と美樹は、言う。

「決まっていても、買ってもらう立場の人間は一度打診して了解を取る必要があるのだ」

と私は譲らない。

すると、「あー、もうこんな暮らしは嫌だ!うるさい、くそばばぁ」と美樹は、怒り始める。

 その頃の彼女の中には、常に怒りと悲しみが渦巻いていた。

小中学校でイジメに合っていたということを知るのは、ぞれから暫く経ってからだ。

イジメといっても、私が考えるようなものではなく、軽蔑、侮蔑と排除であった。

それから何年もして「何故、その時それを言ってくれなかったのか?」と言う私に

「誰に知られても、あたしが皆に嫌われて相手にされないなんてこと、お母さんにだけは、

知られたくなかった。

もしもお母さんに知られて、悲しい思いをさせるくらいなら死んだ方がマシだと、

本気で考えていた」と美樹は言った。

 しかし、その時は、そんなこととは露知らず、何故美樹はこんなにムカツキ荒れている

のだろうと、ただただ悲しく心配するだけだった。

 

 その日の私とSは、天使を店においたまま二階の住まいに上がった。

美樹の話をすると、何時もSは涙を浮かべるが、その日は、

「いいねぇ」と言った。

「何がいいのよ?」と私が聞くと、

「うちの子、今度高校なんだけど、戸籍抄本を学校に届けるんだよね」

「えー、そんなのあったっけ」

「あるよ、普通の家庭は記憶にも残らないくらいに“どおってことない事”なんだよね。

それが、普通に封筒に入れて持たせてちゃって、若しも中を見たら大変なことになるでし

ょ。だからといって厳重にテープで貼っても不自然だし。

いっそ忘れた振りして私が学校に届けてやろうか、とか…」

「そっかー」

「あたし、あの子にはまだまだワガママ言ってて欲しいのよ。

最近、反抗期真っ盛りでさ、返事はしないし文句は言うし、手が付けられなくなってんだ

けど、若しあたしが産んだんじゃないってことが分かったら、もうワガママ言わなくなっ

ちゃうかもしれないでしょ」

Sは、“本当の親じゃないことが分かったら”とは言わなかった。

“私が産んだんじゃないことが分かったら”と言った。だって、彼女は本当の親だもの。

「あの子には、最低二十歳になるまではそのことに気が付かないでいて欲しいの。

出来たら結婚するまで、出来たらずっと分からないままだといいな」

「そっかー」

「あたしさぁ、最近看護師の免許とったのよ」

「えー、うっそぉ」

Sは、50歳に手が届く年だった。

「大変だったのよ。

あたし、自分のこと年取ってるなんて思ったことなかったけど、記憶力と体力ってやつは、

完全に年を裏切らないわね」

「でも、やろうっていう気力は凄いわね」

「そう、ここまできたら気力だけよ、物言うのは、でもって、家族の支えだね。

だけど、ちっさい頃からの夢だったのよ看護婦さんになるのが、だから今更何?って思う

人もいるだろうけど、人生、悔いのないように生きたいのよ」

「いいねー、スゴイネー、素晴らしいねー。

私、前から物書きしてるって言ってるでしょうよ。

それで、最初にあなたの話聞いた時から、あなたの家族のこと描きたいって言ったよね。

描いてもいい?」

「いいよー」と彼女は言った。

そして、「この間あたしの誕生日だったんだけど、うちの子たちが手紙くれたの。

上の子も下の子も色々あって大変なんだけど、楽しませてくれてるわ。

これ、その手紙なんだけど見る?」

「えー、そんなぁ、ダメだよ」

「いいから、あたし、あなたには見てもらいたいの」と、彼女がバックから取り出した

手紙には、お母さんに対する感謝と尊敬、憧れ、身体を心配し、普段の反抗の謝罪文が、

“おかーさん大好き!”という見えないリボンで結ばれていた。

 

 長話の後、二階から降りると天使が怒ってブンムクレていた。

「お母さんは何時だってそうなんだから! 自分の都合ですぐ居なくなちゃって、

何処に行ってたのよ!」

「ゴメン、ゴメン。お母さん、このオバちゃんとお友達で、話し込んじゃったのよ。

あんたの手紙も見せて」と彼女が言うと、

「何よー、あたしの手紙見せたのぉ!もう知らない!!」と天使、大激怒。

何もわざわざ怒らせなくてもと思いながら、

以前に、自分の子たちが天使だったことを思い出したように

その日は、また、親子の喜びを思い出すことが出来ていた。

 

 3年前に長女の体調が悪く、産婦人科に行った。

そこに、看護師として働くSが居た。

 「子どもの誕生に立ち会いたいんだ」と言っていた彼女は、願いを叶えたのだ。

「最近どう?」と聞くと

「相変わらずよ。

あいつ、ニキビがひどくて、ダメだって言うのに高校生のクセに化粧しちゃって。

カバンはペッチャンコで、教科書入れないで化粧道具入れて学校行くのよ。

この間なんか、カバンの中身、外にぶん投げてやったわよ」

「おー頑張ってますな」

「当たり前よ。負けてられるかっての」

「そーだ、そーだ!まだまだ、頑張らねば」

 

 その時も聞いたからね。「あんたのこと、描いてもいい?」って、

そしたら「いい」ってSさん、言ったよね。

 ようやくここまできたね。お互いに…。