今日9・11

 

 2001年9月11日

仕事が終わる頃、

「夫が、今日は麻子さんのトコでご馳走してくれるからお前先に行ってろって言われた」

とケイちゃん(スイッチ・オンに登場した武本の奥さん)が、やって来た。

「えー、聞いてないよぉ」と私が言うと

「あっ、俺が呼んだの」と夫が言った。

「じゃ、先にやってて」と夫とケイちゃんを二階に上げながら、

「何だか調子悪い」とコッソリ夫に耳打ちした。

「うん、顔色悪いな。

でも、あんたは何もしなくていいから俺が用意するから今夜はゆっくり飲むべ」

 

 その日、夕方になる頃から私はあのワケの分からない胸騒ぎが始まっていた。

また、あの恐怖がやって来るのかと思うと、膝がガクガクするような、ヒェーと身体が悴

(かじか)むような、股の所から崩れ落ちていくような、絶対慣れることは出来ない

言葉に出来ない感覚がやってきていた。

 そういう時、私は誰にもそのことを言わない。

何故か言ってもどうしようもない思い、恐ろしい時に叫んだら取り返しのつかないことに

なると思うのと同じように言葉にすることでそれを現実として認めたくない。

 これは、何かの気配や予感を感じた時も同じで殆ど誰にも喋らない。

 

その年の3月にスイッチが入っていた。

6月に開放されたが、それでもあの恐怖は頭から離れず、テレビで映画を観ている時や

なんでもない景色がクルリと違う世界になるみたいになることがあって、そうなると

またアレが来るんじゃないかと恐怖に固まることがあったが、その日のガクガクは

ベツモノだった。

その時は夢中で分からなかったが、後で考えると池田小学校事件が起きた時になった

のと同じ感じだった。

 早めに仕事を終了して7時過ぎに、皆の居る丸いテーブルに着いた。

私がオカシクなって仕事に出られなくなってから、帰って来て店の仕事を手伝っていた

夏子に「今夜は一緒に飲もうね、なっちゃん」とケイちゃんが言うと

酒大好きの夏子は、ニコニコしている。

 遅れて武本がやって来て、相変わらず憎まれ口を利いて、私もそれに応戦する。

それは、痩せて風貌は変わっていたが、以前の私に戻って見えただろう。

 でも、夫と夏子は私の何かが危ない状態だと分かっていたんじゃないかな、時々私を

盗み見ていた気がする。

9時過ぎだったと思う。

 太るのを気にしている夫と武本が飲んでいた焼酎の氷がなくなった。

「おい、氷買ってきてくれよ」

「えー」とは言ったが、その頃の私は何処に居ても身の置き所がなくなって、座敷に

座っていても歩いて買い物に行くでも、何でもよかった。

私とケイちゃんと夏子の3人は、歩いて10分ほどのコンビニに氷を買いに出掛けた。

夏子はショートパンツにその頃流行っていたブーツに車が付いたようなローラーブレード

っていったっけかな、を履いてゴロゴロ進んでいく。

それを追い越していく車の中から若者が奇声を上げた。

街路樹が街路灯でピカピカ光っていた。ケイちゃんと何か話しながら歩いていたが、

何を話したか覚えていない。

その頃、気分のオカシイのが、最高潮に達していた。

家に戻って飲みなおし、皆が帰ったのは10時を大分回っていた。

夫と二人だけになって「何だか、オカシイ」と言うと、

「冷えたんだよ。片付けはいいから早くお風呂に入って温まってきな」と夫が言った。

 

 風呂に入って温まると身体の痺れというか、凍えた感じが和らいだ。

脱衣所で身体を拭きながら「何だか大丈夫になってきたみたいだよ」と言うと

「何だアレは!」と夫が叫んでいる。

「ナニ?」とパジャマを引っ掛けて慌てて出て行くと、夫がテレビを指差していた。

11時のニュースだったと思う。

ビルに飛行機が突き刺さる映像が流れていた。

 

 その年の3月18日、スイッチが入った。

お彼岸の中日に救急車で運ばれ、病院から戻った私は、バリに住む佐々さんに電話をした。

何も説明しない前に

「どうしました、一週間前に電話しようと思ったんですよ」と彼は言った。

一週間前は、スイッチが入った日だった。

「何だかワケの分からない、恐ろしいことになったんです」と言うと、

最初は「夏子さんですか?」と聞いたが、「私がです」と言うと

「あー、やっと来ましたか。私、もっと早く来るかと思ってましたよ」と佐々さんは

言った。

「これは、どうなったんですか?」

「開いたんですよ」

「何が開いたんですか?私、どうなってしまったんですか?」

「脳が変化したんですよ」

「変化したってどういうことですか?」

「人は一瞬で変わることがあるんですよ。脳細胞が変わるんですね」

「どうしたらいいんですか?」

「大丈夫ですから、安心して食事は食べられますか?」

「食べられません」

「何でもいいですから食べられるものを食べて、身体を休めて、自分に優しくしてくだ

さいね。今まで精一杯頑張ってきたからちょっとお休みをいただく時が来たんですね」

「辛くて、動けないのに休めません」

「本当はそんなに辛くないんですよ。ただ、次に進むタメに脳や身体が変化したから

今まで味わったことのない感覚が苦しい気がしているだけなんですよ」

「こんなこと言うとどうしたのかと思われると思うんですけど、

その時『この世が変わる』っていう声を聞いたんです」と言うと

「そうですよ、変わるんですよ」と佐々さんは当たり前のように言った。

「そうなんですか?そんなこと言うのは、異常のような気がして。

それ以上に私、自分の気が狂うような気がして恐ろしくてどうしようもないんです」

 私は現(うつつ)を抜かして、ワケの分からないことを大袈裟に話す人を嫌悪する。

その自分がそうなっているんじゃないかと思うことは、許せなかった。

「大丈夫ですよ」

「もうこんなことは起きないですよね」

「いや、また起きるでしょうね」

「もう、嫌です。今度こんなことが起きたら私は生きていられません」

「大丈夫ですよ。次はコツを掴んでいるから段々に階段は高くなりますけど一回目より

次は楽に乗り越えられますよ」

「次になんか進まなくていいです。辛いです、どうしようもないです。

辛くて生きていられない気がします。

こんなに辛いなら生きていたくないです。でも、死ぬのも怖いです」

「大丈夫ですよ。まだまだ、神様はその時を与えていませんから、逆に死にたくても

死ねないでしょうね。死ぬ時は神様が決めてくださいます。

麻子さんは、自分の出来ることを楽しんでやって、あとは神様にお任せしていれば、

何も恐れることはないんですよ」

「神様が信じられなくなっています」

「それも、落ち着いてくれば大丈夫です」

 

 それから、佐々さんとの沢山のメールのやりとりがあった。

自分の感覚も思考も信じられなくなって、恐怖の中にドップリと浸かっていたあの時

ただ黙って傍に居た夫と、佐々さんが居なかったら、今の私は存在していない気がする。

 あの頃、色んなことが立て続けに起きていた。

図書室を作った。本宅から今では手に入らない本がやってきた。

同時にオカロという長火鉢が来た。

私が秘かにお祓い、草引きと呼んできていることに次々に色んな人が集まった。

 この話は沢山ありすぎるし、具体的なことは話したくないので(話してはいけない気が

するので)いずれ小説か何かの形にしたいと思っている。

 そして、図書室にパチパチが始まった。

「ンガァ」という鼻の奥が鳴るみたいな音、「ピチ」という乾いた音、「パチン」という

木がはぜるみたいな音、「ペッケ」とへこんだペットボトルが戻るみたいな音。

 その部屋に寝た夏子は、それが目覚まし時計の電池が切れた音に似ているので山積みに

なっている本の下に何かあるのではないかと探したが、何も見つからなかった。

 パチンは、南東の図書室から序所に移動し北側にある夫の部屋に行って何時か消えた。

 

 お祓い草引きは、こんなことしていいのだろうか?という疑問を持ちながら、その時は

どうしてもそうせざるを得ない状況に追い込まれ次々とそうなった。

と同時に、働きに来ていた若い子が、トイレの横の10センチ程の隙間に立つ男を見た。

そこは、人が入れず筈のない場所だった。

 ウチに来るとみんな何かの音を聞いたり、見たりするようになることが多い。

生まれつき見える子が働いていて、私の後ろにビッシリと続く白い人魂のようなモノを

見たのは病院から戻った日だった。

 その子は、二階に上がった私の脱いだスリッパの上に立って、自分も上がりたそうに

見上げる男を見たという。

 男は片足を上げたが、諦めたように頭を下げてそのままスリッパの上に立っていたと

いう。

 その子が、後ろの家の角口にオジイサンが立っているのを見て病院から帰ってきたの

かなと思ったその日、その家のオジイサンが天国へ旅立っていた。

 店には、普通の人には見えない犬が歩きまわっているらしい。

 

 オカロは二階の和室の横に置かれていた。

結界?が張られたのか、毎日のようにあった私目当てのお客が来なくなり、電話も一本も

なくなっていたが、それから初めて来たのは武本だった。

「どうしたんだよ。そんなになっちゃって、麻子さんらしくないじゃないか。

しっかりしろよ!あんたは、自分を普通の人より上の人間だと思っているから、そう

いうことになっちゃったんじゃないの!?」と武本は痛いトコを突いてきたが、それは

気持ちのよいストレートな言葉だった。

次にやって来たのは昔バンドをしていたことがある吉田ちゃんだった。

彼は、私よりちょっと年下のいい男だが、女には興味がないみたいに思う。

でも、私に懐いているような気がする。特にこれといった用事もないのに、

ちょくちょく遊びに来ていた。

彼は、見えないモノが見えるらしいが、学歴があって海外にも行きコンピューターの

仕事をしている吉田ちゃんは、孔子が論語で“怪力乱神を語らず”と説いているのに

習ってか、なるべく話さないようしているようだった。

 その彼が、私に起きたことを話すと「ここには、色んなモノが居るんだよ。

このオカロの横には男の人が座っているし」と言った。

 そして、

「会社の近くの林には白い服か着物を着た人が立っているんだ」と言い出した。

「その近くに住んでいる人?」と聞くと、

「いや、住んではいないんじゃない。夜中だし、真冬でも立っているから」というのを

聞いて、あー、そういうことか。と思った。

「ここに来ているナニカは男ばかりだね」と吉田ちゃんが言うので

「そうなのけ」と私は言った。

 

 銀二という友達が居た。ある研究室で働いていたが、ある葛藤でそこを辞めた。

次の職場でも社会の秘密を知ることとなって告発も出来ず辞めた。

 次に配達の仕事に就いたが、ある家で天使を見たという。

そして、「放浪したい」と別れを告げにきた。

 

 1999年愛犬が死んだ日、犬と一緒にポン友のロクちゃんが死ぬ夢を見た。

「ババア(ロクちゃんは私をそう呼んでいた)、俺が死んだら空の上から見ててやるからな。

あと、おめえ本書いてるって言ってたろう。俺のことも書いてくれよな」

「あたしが書くのは、ろくでもない話だよ」

「何でもいいから、書いてくれよ。

俺、本は読まねえけど、おめえの本は読んでみてえなぁ」と何度も言っていた

ロクちゃんは、2001年に入院して翌年天国へ行った。

 

 生霊が来たり、偶然が驚く程重なったりして生きてきている。

「偶然はありません必然なのです」なんて言う人がいるけど、(オメーは何をそんなに

分かった風に喋ってんだよ)と思うヒネクレモノの私です。

 あー、分からない!分からないことだらけの毎日が過ぎていくのであります。

 

 まっ、それでいいってことにすっかな。