手相(美咲)

 

 冬至まであと何日もないという日だった。

冬至十日前、その頃が一番暗く感じるというが、なるほど釣瓶落としの夕暮れは外の灯り

を点けてもじわじわと店に侵入してくるようだった。

 お客がまばらになって閉店時間になった時、入ってきたお客が居た。

以前からよく来ているお客だ。

 何故か、彼女は閉店間際にやって来る。

「ごめんなさぁ〜い。もう終わりの時間よね」と言いながら入って来て30分以上は

居る。

仕事の関係でその時間にしか来られないのかと思ったが、そういう訳でもないらしい。

「悪いわぁ〜」「迷惑掛けちゃうわよね」が口癖のようだが、時間が過ぎても帰ろうとする

様子はない。

「今日、お金持ってないのぉ、取って置いてくれますぅ〜」と取り置きをすることが多い。

が、それまで毎日のように来ていたのに取り置きをするとぱったりと来なくなり、中々

持っていかない、というのも何時ものパターンで、取りに来ると言った日に来ない。

 取り置きしておいて時期過ぎた頃に「あのぉー、これ買うのやめてもいいですか?」

と言うこともある。

 

 来ると毎回仕事場の愚痴を言い、社会の暗いニュースの話をだらだらとしていく彼女。

「私、前に手相見る人に長生き出来ないって断言されたことがあるんです」と言い出した。

「手相、見てみる?」と美咲が言うと、

「え〜、嬉しい〜」と両手を広げて美咲の前に差し出した。

 彼女は美咲の肩位の身長だから150センチに満たないだろう。

小さな丸顔に丸い目を更に大きく見開いて美咲を見ていた。

 大きな目は愛されるというが、開きすぎた目は疑うことを知らず騙されやすいともいう。

美咲の地方では“デビにコケなし”というが、その広く丸く出た額は正にデビのデコッパ

チというやつだった。

 額の広い人に頭の切れない人は居ないというが、別名“男食いの額”とも言い

切れ味の悪い男を食ってしまう、繰って(あやつって)しまうとも聞く。

 山椒は小粒でピリリと辛いというが、人は大きい人より小さい人の方が負けず嫌いの

傾向がある気がすると考えて、あー、犬もそうかも。と動物好きの美咲は思った。

 

差し出された手も指も子供のように小さく、イッパイに開かれた指は美咲が握って

揃えても隙間が空いた。その指が彼女の中にある隙間風を感じさせた。

 可愛いなぁ。と美咲は思った。

美咲は、本当は手相を見たり亡くなった人の声を聞く(実際に聞こえるのではなく感じる)

ことは良いことではないと思っている。

 でも、相手が求め、必要があってなのかそれをすることになることがある。

その時、美咲は、それをやりたいと思ってはならない気がする。

 そして、その相手に対して嫌悪感がある時もしてはならない気がする。

嫌悪感は征服欲になる。嫌悪感は相手の大事なモノを踏みにじることになる。

 その人を愛しいと感じた時、その人を想う何かが、大事な何かを教えてくれる気がする。

 

「私、長生き出来ますか?」と彼女は聞いた。

「んー。

「手相に出てませんか?」

「そうね。生命線は一回途切れてるけど、これってもっと若い頃だよね。

あなた幾つ?」

「36です」

「ふーん、年女か。この途切れてるあたりって20代半ばだと思うからもう過ぎてるから

大丈夫だよ。

でも、手相で生命線が切れてても長生きしてる人は居るし、立派な生命線してたって

死ぬ時は死ぬんだと私は思うけど?

戦争で亡くなった人はみんな生命線が切れてたと思う?」

「でも、言われたら気になりますよ」

「そうね。でも、あなたが気にしなければならないのは生命線より違う所だと私は思うな」

「どこですか?」

「根拠のない言われたことを気にすることを止めることかな」

彼女は手相がずっと気になってきたという。

「えー、分からない」

「『気にするな気をつけろ』って私の座右の銘なんだけど、今日はこの言葉をプレゼント

しよう」

「何ですかザユウノメイって?」

「心のお守りの言葉みたいなもんよ。

何か言われた時、やられた時。

って、大体が先ずは、“言われた”“やられた”っていう被害者意識を正さなきゃならない

んだけど、それは横に置いて今度にしよう」

「いえ、全部言って下さい、全部教えて下さい」

「じゃ、先ず、あなたは誰かに『言われた』『やられた』っていう話が非常に多い。という

か、それで固まっている。

誰かに「言われた」んじゃなくて、その人は「言った」だけなんだよね。

誰かに「やられた」って、その人はそうしただけのこと。

自分が「言われた」自分が「やられた」って、自分を入れて考えるのを止めて、

主観じゃなくて客観的に物事を見る訓練をする」

「難しいです」

「そんなにイッペンには変わらないよ。ゆっくり気をつけていけばいいんだよ。

ほら、手相だって言われたことを気にするんじゃなくて、気になったら病院に行くなり

気をつければいいだけのことで、気をつけた後は気楽に生きる。

ってのが“気にするな、気をつけろ”っていうことよ」

「そうしたら楽になりますね。

もっと何でも言って下さい」

「一度に幾つも聞くと忘れちゃうんじゃないの?」

「大丈夫です。私、どうしたらいいか分からないんです」

 

 彼女は職場でイジメに合ってきているという、用務員室で服を着替えていたら雑巾を

投げ付けられ、よけたらロッカーにグシャっと当たったのだという。

 挨拶しても返事してくれず、お土産も分けてもらえないのだという。

「ほらほら、“投げ付けられた”んじゃなくて、その人は人に向かって雑巾を“投げた”の。

挨拶に返事して“くれない”。お土産を分けて“もらえない”。って?

くれない、もらえないって言うなってば、コジキじゃねぇんだから。

で、その人は、何でそういうことをするんだと思う?」

「分からない」

「あなたのことキライでウザイから」

「えー、私のことキライなの?」

「キライ以外の何物でもないでしょうが。

で、以って、その人はキライな人を排除しようとするような人。

って、その人を評価することで溜飲(りゅういん)を下げて終わりじゃ勿体ないやね」

「どうしたらいいんですか?」

「自分を見直すいい機会、チャンスが与えられたんだね。

あなた意外と頑固だよね。買い物をする時に『これどうですか?』って聞くけど人の

話や意見は聞かないもんね。

あと、ルールを守らない。『すみません、迷惑ですよね』って言いながら営業時間が

終わっても帰らない。来るって言った日に来ない」

「ごめんなさい」

「あやまらなくていいよ。これから気をつければいいんだから。

気にしないで、気をつけて。

で、話は戻るけど、今、あなたは本気で困って話を聞く気になっている」

「はい、ちゃんと聞きます」

「イジメとか仕事の失敗とか、それは、辛いことかもしれないけどすごく良かったこと

だと私は思う。

何でって、本気で人の話を聞こうって気持ちになれたんだもの。

そして、本気でよくなりたいって思ったんだもの。

ということは、新しい自分を生きる道が拓けたってことだと私は思う」

「そうですね。何から始めたらいいですか?」

「自分で考えることが基本で、謝りながら自分に甘くズルズルだらしなく生きるのを

止めることだと思うな。

例えば、時間が過ぎたのに居てもいいですか?って、それは人に聞かないで自分に聞く。

人がいいって言ったからとかじゃなくて自分に聞くの。そして、自分で自分を制する。

何時に行くと言ったらその日に行く、行けなかったら連絡する。

人に怒られるからとかじゃなくて、自分の誇りで、自分の意思で、自分が行う」

「すみませんでした」

「だから、私に謝らなくていいってば、私は関係ないんだから、謝るなら自分に謝りな。

自分をカッコ悪くさせていた自分にさ。そして、カッコ良くなりなよ」

「そうですね」

 

彼女の手相に甘えんぼ線があって人気線がなかった。

それを教えて「手相ってのは、その人の生き方で変わるんだって。

損得を考えず、見えない所で人の助けになっているとこの線(人気線)が出来るらしい

んだ。

そして、何かに甘えることを止めて自分の足で生き始めるとこの甘えんぼ線が消えると

思うから、そのことを忘れないでやっていったらいいと思う。

手相って書いただけでも変わるって聞くけど、『こうなりたい!』っていう思いを持った

時点で、もう変わり始めてるんじゃないのかな」

「何だか、出来そうな気がしてきました」と晴れ晴れとした顔になった彼女を見て、

「ナンダカ、デキソーな気がするぅー!」

と、お笑い詩吟芸人を真似、美咲は叫んだ。