ちびまるこちゃん

 

 学校はウソと矛盾に満ちている。

と思ってきた。

言ってることとやってることが違う。と。

 

「誰とでもなかよくしましょう」

 これは、学校に入って誰もが聞く言葉。

ホントにそうかぁ?

 学校ってとこは、すぐにグループを作る。

それが悪いってわけじゃないが、グループに入るタメに相当のエネルギーを使うことに

なる。(私はなった。って、努力してなかったけどね)

 そして、「友達を沢山作りましょう」ってなことも言う。

それを推進するあまり、友達が居ないのはワルイとまでいかなくても学校に行く価値が

ないみたいに考える風潮がある。

 現に「ウチの子は、勉強は出来ないけど、お友達が沢山居るからいい」とか、

「子供には勉強なんかしなくていいからイッパイ友達作れ、って言ってるんだ」と話す

人を見てきた。

 学校ってのは、勉強をする所じゃないのか?

そりゃ、人との付き合いも勉強の一つだろうが、友達となかよくやるのに振り回されて

肝心の勉強に集中出来ない。ってのは、本末転倒じゃろ。

 そもそも、その友達。ってのは、何をさすか。

私が子供時代に感じた友達の定義。ってのは、“縄張り意識”のように感じた。

 誰かと気が合ってなかよくなった時、そりゃ人によるだろうが、

「もう誰ともなかよくしないでね」「他の子と口きかないでね」

「何かやる時は、一緒よ」等々のキマリがあった。

 その友達は仲間を作ってグループとなっていく。

ボヤーっとしていた私に自覚はなかったが、いつの間にかグループの一員としてみなされ

ていたことがあった。

 あれは貴重な体験だった。

というのは、それ以降グループに入るということはなかったからだ。

私はそういう仲間に入ることは苦痛だったが、きっと向こうも嫌だったんじゃないか

と思う。

 私が感じたグループのキマリ。

仲間が困っていたら助ける。忘れ物をしないかお互いにチェック。仲間同士の情報交換。

他所のグループの人と親しくしない。誰かを仲間はずれにしない為に集団で行動。

面白くなくても話を合わせる。ハッキリものを言わない。

それはきっと、“和を以って貴(とうと)しとす”とする中国『礼記』儒教『論語』の

実践なんだろう。

 私は、それが苦手で苦痛。

やりたくなくても、行きたくなくても、歩調を合わせて行動する。

仲間の気分を害さないようにと、言いたいことがあっても言葉を濁し、身内の結束を

固めるタメに部外者の悪口を言って、身内で褒め合う。

 でも、それ(部外者を敵とみなすっての)は、“誰とでもなかよく”からかけ離れている。

じゃないかよ。

他所の人が言ったんでも、良いことは良いし、身内のやったことでも悪いことは悪い。

クラス対抗だって、張り合わせることで頑張らせ、高めようとする(姑息じゃ)が、

気の合う子が違うクラスだったりすると、その子と話しているとスパイだ。なんて

ヒソヒソ言われることになる。(バカみっちょ)

 

今回のオリンピックでも日本贔屓(ひいき)が激しく、日本選手が出ていないものは

放送されず、日本選手がメダルをとったシーンばかりが何度も繰り返し流されていた。

 勝ち負けばかりを気にして、敵か味方かによって変わる評価は、そこで行われている

ことを、素直に観賞していない。

 

弱い者程よく群れるという(まぁ、あんまり弱いと群れの中に入ることも出来ないが)

弱い動物ってのは、敵が来た時、仲間がやられるのをしり目に自分達は逃げる。

群れの中でも小競り合いや足の引っ張り合いがあって、助け合いや、高め合ってこその

群れが、自分だけがより高みに登るタメの切り捨てや踏みつけが始まった時、最低のこと

になる。

変わって、単独で行動する者は、自分で考えて自分の責任に於いて行動することになる。

そこに、助け合いはないが、自由がきいて身軽に行動出来る。

 単独で生きるモノと群れて生きるモノの生き残る確率は、半々らしい。

ただ、割合的には群れて行動するモノの方が圧倒的に多いから群れていた方が安全と思う

人は多いだろう。

 学校なんかも、子供を群れで飼育、あっいや、指導したがる。

ここで、文句が入りました。

「単独で行動するヤツは生まれついての変わり者で、普通の人は、群れていないと不安

なもんなんです!」

 あー、そうですか!

 

日本は農耕民族で、土着民なのでそこの土地から離れないで生きてきた。

それは、そこから逃げられないので周りの者と波風立てず事なかれ主義で暮らすのが一番

だったんだと思う。

日本は部落を作り、寺の檀家になる檀家制度で住民票は管理されてきた。という。

冠婚葬祭で交流を図り、助け合う。

他所からやってきた者は、お客さん扱いするか、仲間に入れないことで、危険人物を

遠ざけてきた。

 村の者でもルールや調和を乱す者は、村八分で排除し他の者たちの見せしめにした。

(因みに、村八分で二分は仲間に入れたが、それは何かといったら火事と葬式だという)

その名残が骨の髄までしみ込んでいて、なかよくするという裏側には、敵や部外者を

作ることで結束を固めるという排除がセットになっている。

 と、いうことは、仲好くすることイコール、誰かをはじくということになる。

だーから、いじめや仲間はずれがなくならねえんだ。

 

 私は、グループになったり、誰かと組んでの作業や、遠足のバスの席を決める。などと

いう時が苦痛だった。

 何故なら、そういうことがある時というのは、コソコソと根回しが始まるからだ。

コソコソと言ったら語弊(ごへい)があるかもしれないが、私はそう感じた。

 遠足での席順?クラスでの席変え?誰と座ったっていいじゃないか。

と私は思っていた。

すると、みんなが狙っているが、みんなで牽制(けんせい)して手を出せずに残って、

私が組むことになったりして。

これまた、ズルイと顰蹙(ひんしゅく)をかうんだよな。へっへ。

 

共同作業も自分のやることに熱中したいので、組んだ相手との仲良しごっこをすること

は出来なかった。(気はちゃんと使うよ)

 それは、子供の時から今もずーっと同じで、前の仕事の時も、今の仕事も仲間に気を

使うより仕事に集中したい。だから、そうしてる。

 

「はい、6人ずつのグループになりましょう」と先生が言う。

そこで要領の良い子は、パッとなかのよい子を集める。

が、それが6人より多くなってしまった場合自分に不都合な子(自分より人気がある

付き合いづらい)を仲間に入れない。ってことをする。

自分が仲間に入れてもらえなかったら大変なので媚を売る子、ライバルの悪口を言う子、

戦々恐々の心理戦が行き交い、最後にはぼんやりしている子のグループが、自然と出来

上がる。

 学校ってトコは、誰とでも垣根を持たずに交流し、勉強をする所。

仕事場ってのは、仕事をする所で、良い仕事を、気持ち良く勉強する為に良い人間関係を

築く。

良い人間関係ってのは、人との距離感で、人の領域に入らないってことだと私は思う。

 

 昔っから嫌だったのが、コソコソひそひそ話、目配せ、陰謀(いんぼう)、ねつ造、

仲間はずれ。

 仲間を作るから仲間はずれが出来るわけで、最初っから仲間なんて作らなきゃいいん

じゃねえの?

 って思ってきたけど、趣味とか興味関心が共通してたり、何か話があったりして友達に

なって、その友達が友達を呼んで仲間になってく。ってことはあるな。

 それが、仲間の出来る正しい道だと私は思う。

つまり、仲間は自然に出来ていくんであって最初から仲間を作ろうとするのは、

そりゃ、たーだ人が集まったっていうだけで、烏合(うごう)の衆だから。

目的がないと、こりゃまた結束固めるタメに低級な排除が始まっちまうんだな。

 

 ちびまるこちゃんの漫画が好きだ。

何が好きなんだろう?って考えてみた。

 私より少し(少しでもないか)年下のさくらももこが描く漫画。

昭和の香りが懐かしくて色んなことを、その時の匂い(臭い)と共に思い出す。

 あの漫画に出てくる人たちは、全て主人公って感じがする。

何がイイって、そこなんだ。

 “ちびまるこちゃん”の登場人物に、一人としてわき役が居ない気がする。

けらえいこの“あたしんち”も同じものを感じる。

 決して特別じゃない人たちが、日常の中で喜んだり悲しんだり、辛いことを背負って

いたりして、それでも、それを当たり前に生きている。

 

 本当は、この他にも色々書いたんだけど、愚痴っぽくて嫌な感じだから消した。

どんなことを書いたかっていうと、学校は子供を見ないで手柄を欲しがっている。とか

ウソはいけませんという教師のウソ。とか、自慢話がしたいだけの大人達。とか、

友達が居ないのは変? 悪いこと?とか、

 でも、何だか嫌になったんで、やーめーた。

 

そして、おまけ。

<弁当>

 小学3年生の麻子は、先生の話をよく聞かない。

忘れ物が抜群に多い。

もう3年生ともなると、なかよしの友達が決まっていて、その友達同士で明日持って

くる物の話をしたりして忘れ物をしないように助け合っているが、

麻子に決まった友達は居ない。

 

 普段は友達が決まっていると自由に動き回れないので一人が一番と思っている麻子だが、

あの日ばかりは、ちびまるちゃんのたまちゃんみたいな友達が居たら良かった。と思った。

 

 朝、学校に着いたらみんながお弁当の話をしていて、一人に聞かれた。

「ねえ、アサちゃんもお弁当持ってきた?」

「えっ」

「持って来なかったの?」

「うん」

「何で?」

  何でって、そんなの知らなかったしー。でも、プライドの高い忘れんぼ大将は答えた。

「お腹の具合が悪いから、お母ちゃんに今日のお昼は食べないようにって言われたんだ」

「そうなの?お腹すかない?」

「うん、仕方ないよ」

   そう、先生の話聞いてなかったんだから仕方ないよ。麻子は、そう思った。

 

 そして、先生も麻子が弁当を持って来ていないことに気が付かず、その日のお昼は

麻子の地獄となった。

 キャッキャとはしゃぎながらお弁当のフタを開ける友達。

美味しそうなニオイが充満する教室の中で、麻子は本を読んでいる振りをしていた。

 それから、お昼に弁当がなくて教室からそっと出て行くという本を読むとリアルに

その子の気持ちが分かるようになった。

 

ちびまるこちゃんだったら

「ねえねえ、たまちゃん、明日何か持ってくもんあったっけ?」

「明日は、給食が休みだからお弁当持ってきなさいって、先生が言ってたでしょうよ」

「あっ、そうだった。危ない危ない。たまちゃん、ありがとうね。オンにきるよ」

 って、なってたのにな。

 

 でも、仕方がないよ。

麻子は、一人でフラフラ自分勝手に寄り道したりしながら帰りたいんだから。

 同時に二つは手に入らない。

自由でいたいんなら、孤独に強くなることだね。

 そして、助け合いの便利さもない。ってことだね。

 

 因みに、忘れ物の多い子と、友達の居ない子は比例するという。