トントン拍子

 

 ついに、来たー!

 

 この所、8月末にやってきた話が、トントンと進んで行った。

話も事も作業も、飛び石の上をトントンと前のめりに進んで行くような形で(現在進行形)

この辺で歩調を整えなにと、ヤバいことになる、コケルぞ。

と、思っていた。

 思ってはいたが、土石流のように流れて行く事態は止めようがない。

トントン拍子の時は、一度立ち止まって様子を見る。

 頭に血が上っているから、深呼吸して頭のテッペンをトン、トンって叩くんだ。

と、知っていた。知ってはいたさ。

でも、流れを止める気はなかった。自分でブレーキは掛けたくなかったんだよね。

 

そして、9月22日。電話の移動とセコムの設置が無事完了し、それまで繋がら

なかったネットも繋がった。

 よし、書き込みが出来る。と思ったが、セコムが帰ったのが10時。

書き込みは明日にしよう、と寝た。

 疲れが溜まっていたんだな、最近は見なかった夢を10位見て、目が覚めたのが

9月23日の朝8時、日曜日の朝の定番、“僕らの時代”は、とっくに終わっていた。

 

 それから新しく手に入れた溜まり場に行き、仕上げの整理をする。

昼食を作りみんなに食べさせ、さーて、仕事だ。

 と、それはそれは、充実した気持ちになっていた。

遅い昼食を取って休むことなく仕事場に出た。そして、そこの飾り付けを始めた。

 まだ新しい照明が付いておらず、少々手元が暗いのと、老眼が邪魔をしてはいたが、

そこは熟年の技、高い方(6尺180センチ)の脚立を立て、片方のストッパーを手探

りで止めた。

両方掛けないと危ないんだよな。と、思いながら何時もながらの無精を決め込む。

でも、何故か予感がしてたんだな。サンダルを脱いでから脚立に上がった。

そのテッペンで手を思いっきり伸ばして、ピンで品物を壁に付けようとした、

その時だった。

 ドーン!と雷でも落ちたかのような音がして、左右に開いた脚立の真ん中に自分が

座っていた。

 幸い近くには誰もおらず、周りの物も何一つ壊れてはいなかった。

みんなが驚いて集まって来たが、私は何故か可笑しくて笑いがこみ上げて来た。

大丈夫だよ。とふざけてみせながらも動かずに身体の様子を見る。

左足かかとの感覚がないが、その他は捻った様子もない。

 義理の息子が屋根から落ちて骨にヒビが入ったのが、左足のくるぶしかかとで、つい

2か月前のことだった。

 暫らく座ったままでいたが何とか立てるようになって、片足でピョンピョンと裏へと

退場していくワシに息子が、

「幾ら言っても休まないから、休めってことですよ」と、自分が言われた言葉を

嬉しそうにソックリ返してきた。

「喜んでんじゃねぇ!」と言ったが、自分でもおかしくてたまらない。

 

 この所、夢を見ているみたいだった。

あまりにも好条件の話が入って来て、すぐに、そこをどうするかの計画を立てて見せた。

が、「そんなこと出来る筈がない」というのが、みんなの一致した意見だった。

「出来るか出来ないかじゃない、自分がどれだけやるかが勝負だ!」と、ワシは突っ走り

出した。

そうなったら、止められる者は誰も居ない。

それに引きずられる形だったのかもしれないが、みんな頑張った。

 限界に挑戦だった。

そこで、ワシが言う。

「本当に限界にたどり着いた者だけが、その限界を破って次の限界に挑戦する権利を掴む

んだ!」

それを聞いた娘が、

「その権利、いりませんからぁー」と言った。

 なるほど、限界の壁にタッチして違う自分が現れた者も居た。

それを見て(よーし、大きくなるぞ)と思うワシ。

 契約や事務的なことでワシが提示することに

「それは普通じゃないよ、常識的じゃない」と足を引っ張りそうな業者が居たが、

「私は、普通の道を歩いてきていない」と突っぱねた。

 そこに居た家人が「あの青筋立てた顔は他人に見せちゃダメだよ」と後で言った。

そして、その後も「あんた、テンパッてるからね。気を付けなよ」と、何度も言ってきて

いた。

「こういう時は、テンパらないと物事は前に進まないんだ」

 欲しいモノを手に入れる時は、悪魔と取引しなければならない。と、ワシは思う。

それは同時に神との約束でもある。

 

 常識では考えられない早さでトントンと物事が動き、準備され、発動していった。

設備も間一髪で間に合った。それも、一つ二つのレベルでなく。

 

 手に入った物の中には処分する物も含まれていた。

それを使う物と捨てる物、誰かに使ってもらう物と、分別するのはワシの役目だったが、

その量たるや、普通の量ではなかった。

 

 以前からよく言っているが、ワシの所には色んなモノ(物品だけでなく色々なモノ)

が集まって来る。

それは、人によっては喉から手が出る程欲しいモノだったりする。

そういったモノを毛嫌いする人も居たりするが、

ワシは、そういうモノが好きなんだと思う。

好きではあるが、執着はない。と思う。

そのモノが、自分以外の人の所に行きたいというのなら何処へでも行けばいいと思う。

 

 だけど、最近はホントに面白かった。

集まった物(物品)を仕分けし、処分し、捌(さば)きまくった。

 そこには色んなモノが乗っかっていた。

ゴミの分別をする時は気をつけなくてはいけない。

 分別するには、中身を検(あらた)めなければならないが、

「何これ〜。うわー、嫌だぁ〜。汚い〜。へー、こんなの使ってたんだぁ」などといった

覗きの気持ちや、バカにして面白がる気持ちを持ってはならない。

 だからといってまだ使える物を、何もかもバッサリと切り捨てるのはモノでなく物に

対して失礼。

 更に難しいのは「もう終わりにさせて下さい」と言っている物を、見分けることだ。

もう休みたいと言う物に向かって、まだ働けとそれを白日の下に晒すのは酷だ。

 

 ワシは縺(もつ)れた糸を解くのが好きだ。

と言うと、縺れた糸が好きなのか、と勘違いする御仁がおられる。

 違うから、スッキリと縺れていないことが好きだから、解くんであって、縺れている

ことは人一倍キライなんだとワシャ思うよ。

 

 8月24日(金)に、この話があってから、頭と神経が、昼夜休みなく働いてきた。

起きている間も色んなモノが見えて、それが消えないうちに実現化しようとしてきた。

 

 そして、ついにキター!

9月23日(月)脚立が開脚して床に落ちた。その時、ついにキタか。と、思った。

 やっと休める。と、

自分では掛けることのできなかったブレーキを神様に掛けてもらった。

 

 今日、9月24日(月)病院、整形外科に行って来た。  

えっ?話があって丁度1カ月目。

骨に異常なし。自然に治るでしょう。とのこと。

 足を踏ん張ると痛いので歩けないが、足首を回しても何処も痛くない。

家の中を這って移動はしているが、立たなければ何処も全く痛くない。

 あと、落ちた時に渇(かつ)が入ったのか、やけに身体がスッキリして軽い。

 

これって、やっぱ

休めってお達し。ですか?

アリガタイことです。