トリックスター

  前書き

 あの天才レオナルド・ダ・ヴィンチが、気に入ってそばから離さなかったという

サライがトリックスターだったという話をサックリと簡単に書きたいと思って始まった。

しかし、思い入れが激しいものというのは中々まとまりがつかないことになる。

 

 最近、ダ・ヴィンチ・コードが話題になっている。

私も幼い頃から“レオナルド・ダ・ヴィンチ”に興味があった。

しかし、今回はレオナルド・ダ・ヴィンチが主役でなく、あの天才が気に入って傍に置い

たサライという少年の方が主になる。

レオナルド・ダ・ヴィンチとはヴィンチ村のレオナルドという意味である。

フィレンツェ郊外の小村であるレオナルドの故里ヴィンチ村の者が、言ったという。

「石畳を歩いていてレオナルドが転び頭を打ったことがある。

その時に脳みそがこんな風になったんだ」と彼が指差す手には剥かれたオレンジがあった。

「レオナルドの脳みそがこんな風に分かれて、それぞれが働くようになって天才が作られ

たんだ」

天才とは、彼の為にある言葉ではないかと私は思う。

その天才が、サライ(小悪魔)と呼んで傍から放さなかったジャコモが、トリックスタ

ーであった。

 

トリックスターとは、神話や伝説、昔話に登場する、物語に必要不可欠なイタズラ者だ。

策略に富み、神出鬼没、自由で変幻自在、神をも畏れぬ行動によって破壊と建設を同時に

誘導をする者である。

サライは、芸術の素養がなくウソツキで強情、こそ泥もはたらく大喰らいだったという。

最初はレオナルドを騙そうとするのだが、レオナルドはそれを許し自分の徒弟にしてしま

うのだ。

サライは、貴族や学者たちを平気で笑いものにする。

その歯に衣を着せぬ言葉によってレオナルドは、気づかされたのではないだろうか。

ダビンチの凄さは、トリックスターの存在を肯定し、その眼力を認めその言動を尊重

したことにあるのではないかとさえ思う。その同類として。

社会的賢者になることということは、周りに霧が立ちこめ、真実が耳に届かなくなると

いうことでもある。

それは何よりも見えない垢が付き、心の自由が奪われるということにレオナルドは気づ

いていたのではないかと思うのだ。

しがらみに縛られ始めた時、本当の自分の気持ちが分からなくなった時、勘違いに気づ

かないでいる時、サライは、それを指摘する。

サライは、どんなに世話になってもイエスマンになることはなかったのではないかと

私は思うのだ。

そんなサライというトリックスターによって、レオナルドは気が付かないことに気づかさ

せられたのではないかと私は思うのだ。

 トリックスターの自由さは、一般常識に縛られずに真実を見る。

常識のなさは、真実を見抜く能力と繋がっているのだと思う。

そのことは、トリックスター本人の危険と直結している。

物語に登場するトリックスターたちは、平穏な生き方も終わり方をしていないものが多い。

そして、その危険は、トリックスター本人の危険であると同時に、周りの者にとっての

危険にもなる。

こういった者が身近に居るということは、常識にのっとって波風立てずに平穏無事な時を

過ごしたいと願う者にとって、脅威となるからだ。

 

 私が、トリックスターですぐに思い出すのが南方熊楠その人である。

権威を守ろうとする者をこき下ろし、破滅させかねる彼の毒舌と行動は、既存の権威を

突き崩す破壊力を持っていた。

しかし、悪気を持ったトリックスターは、危険この上ないが、邪気のないトリックスタ

ーによって常識が打ち砕かれることで、社会の危険は回避され、天才は導かれるのだ。

 いや、天才が導くのか!?

常識はその時によって変わるが、常識が真実ではないことを人は忘れてしまうことが

ある。

 

みんなが、サライ、邪気のないトリックスターになったら面白いだろうなと思う。

というのは、もう皆さんも十分に感じているだろうが、私がトリックスター性を多分に

所持しているからだ。

それは、とりもなおさず私が子供のままで大きくなっているということでもある。

なぜなら、子供という存在が日常の中でトリックスター役を担っていることが、実に多い

からだ。

裸で歩く主様に「王様は、裸だ!」と大きな声で言う子供。

邪気がないから、常識に縛られないから、それがおかしいことだとさえ思っていない

だから大きい声で言うのだ。

 トリックスター性というものは、同じニオイの人間を惹き付けるようだ。

その者達は、思い上がりを悪気なく打ち砕き間違いを指摘する。

それは、トリックスターの言動、書いた物によって発信されることになる。

そのことが、私は楽しく面白く、生きる支えになっているといったら大袈裟に聞こえる

だろうか。

 私は少し前まで、どこかで自分を否定し、自分を変えようとして生きてきた。

最近になって、そのことが的外れの行為だったと思うようになったが、それは必要なこと

だったと思うになった。

そして、今はありのままの自分で素直に生きようと思っている。

私が書いたモノを見せると“すごい、頑張っているね”と言われることがある。

 しかし、私にとって思考し練り上げたことを書く(描く)ということは、メシを喰って

クソをする位に自然で楽しい行為なのだ。

そしてその反面、普通の人が何の苦もなく当たり前にしていることが、とても大変だっ

たりする。

普通に何かをするとや常識で考えるということが、私にとっては難解なことだったり

苦痛だったりするのだ。

 私はその話に意味を感じないと眠くなってしまう。

なのに、そこに意義を感じた途端、話が止まらなくなり、そこは私の独壇場と化す。

 私は、殆ど公の場に出て行かない。

そして、不特定多数の人が居る所では、極力発言しないように気をつけている。

それは、ここまで生きてきてようやく身に付けた私なりの処世術なのだ。

 野球の応援に行ったことがある。

そこには私の中にある群れる人への拒絶が、集結していた。

連帯意識と敵愾心。

応援チームにエールを送るのはいいが、敵チームに向かって「ハズセ!、ハズセ!」と

夢中になって怒鳴っている姿は、私にとっては耐え難いものであった。

味方であっても気に入らない者には、お絞りを配らない者がいた。

年功序列はいいが、目上の者が間違ったことを言っても、誰も注意しない。

チャ−リーブラウンが、満塁逆転さよならホームランで、はしゃぐ友人に言う。

「打たれた子はどんな気持ちでいるだろうね」と…。

私は、それを言いそうで、自分が怖かった。

 

 ロドヴィコ公の結婚式にレオナルドに連れていかれたサライは、皆が美しいと誉めそやすベアトリチェを見て言う。

「なんだ、あの人、小さくて色が黒くて、まったくみっともないや」

そして、周りの顰蹙(ひんしゅく)をかう。

 しかし、その後、サライとベアトリチェは偶然に出会うことになる。

そして、話すうちに同じ種類の者としての共感と友愛を感じることになるのだ。

 人の結びつきは、同じ価値観と審美眼を持つ者にとって、美醜、地位、権力、年齢は

関係ないのだ。

 

自分の特異性に絶望を感じていた私が、最近、幸福を実感している。

それは、表面的な同意ではない同意と同感を感じているからだ。

 それが、私の勘違いであってもいいと思う。そう実感しているのだから…。

 

   あとがき

 友人にこれを読ませた。

(直す前の、劣等感と優越感に揺れてるやつで、今、載せてるのは大分手直ししたものだ)

 

*どーだ?面白いか?

「んー、面白くない。何がいいたいんだよ?!

トリックスターの説明がしたいの?

それとも、自分もサライと同じトリックスターだっていうことがいいたいわけ?!」

*それもあるな。俺ってトリックスターだよな。

「そんなことオマエを知ってる人間なら、わざわざ改めて言わなくたって分かるよ。

でもオマエを知らない人間がこれを読んでも何言ってるか分かんなくて、

面白くもなんともないと思うね。

どの話も中途半端でオマエの言いたいことが伝わってこないよ。

大体が、オマエは自分がトリックスターであることが嫌なの?何か文句があるの?」

*いや、嫌ってことはないよ。だって嫌だと思ったら負けだもの。

「思ったら負けってことは、嫌なこともあるんだね」

     そりゃあね、普通の人が普通に持ってる常識ってもんがなくて生きてくってことが

 どういうことだかオマエには分からないだろうね。

「そうやって、すぐに自分を特別みたいに言うんだから」

*だって、総てのことは、良いことと悪いことが、宝と負荷は表裏一体なんだ。

そりゃあ、辛いこともあるけど面白いこともある、だから苦しいのは仕方ないと思って

る。

「でも、結局オマエは、そんな自分が好きなわけだね」

*うん、結論から言ったらそうだね。

「なら、いいじゃないか。何が、文句があるわけ?」

*何だか面白くないことがあるんだよね。

「何が面白くないんだよ」

*うーん、何だろ?よく分からない。

「きっと、オマエの中にあるそのグチグチした気持ちが、俺は読んでて気持ち悪いんだと

思うな。

そこのところを整理しないうちは、この話はスッキリ書けないと思うよ。

時々オマエに感じる優越感と劣等感を乗り越えなければ、スッキリした文章にならない

気がするな」

*うん、オレもそれは感じている。

今回の話は、思いいれが強すぎるんだよ。

だからまとまらないっていうか、いじればいじるほど訳わかんなくなってくんだよな。

「わかんなくてもいいけどさ、ありのままで書いたらいいのにってオレは思うな。

ところでトリックスターは、この世の中に必要だと思うか?」

*そりゃあ、必要さ。

「何で?」

*何でって、人間が“裸の主様”にならないためさ。

「何で、裸の主様になっては駄目なんだい?」

*んー、何でだろう?考えたことなかった。

そうだな、裸の主様になるとウソの世界で生きることになるからだと思う。

ウソの世界に生きるのは駄目だとオレは思う。

「どうして?」

*何だか分かんないけど、そう思う。本当に幸せにはなれない気がする。

「他人が、本当に幸せになろうがなるまいが、オマエには関係ないじゃないか」

*あっ、そうだ。オレは、裸の主様を見たくないんだよ。

「なら見なきゃいいじゃないか」

*ところが、見えちゃうんだよな。

そうすると、そういうのが気持ち悪くてチョッカイ出しちゃうんだよな。

「そうだよ、オマエって何の得にもなんないことによーく口出ししてるもんな」

*うん、そう、裸の主様が居ると腹が立つから、人が集まってるところには行かないんだ。

「オマエ案外、出不精だもんな。でも、何処にでも顔出すように見えるのな」

*そーなんだ、出しゃばりに見られるんだ。別にいいけどよ。

「それから、レオナルドが石畳で転んで頭を打って、脳みそが分かれたつう話は何処に

繋がるわけ?」

*ああ、あれはレオナルドの天才ぶりつうのが、環境と努力で作られていった以外に

サヴァ症候群みたいに生まれつきや後天性でも根源的なものも加わって、

だからヤツは普通じゃないってことを伝えたくて、あの話を入れたんだよ。

「分かりづれー」

*だって、レオナルドが凄ければ凄いほど、そのレオナルドが認めて必要としたサライの

の凄さってのが、際立つ(きわだつ)だろ?

64歳でローマからフランスに渡ってフランス王の所へ行くんだけど、最後までサライ

は何人かの弟子と一緒に連れて行ってるんだ。

「でも、君はレオナルドについて知っているから、少しの話で分かるつもりでいるけど

普通の人はオマエが、何を言いいたくているのかが、分からないと思うね」

     そうかな?レオナルドもサライと同じ種類の人間だからお互いに惹かれてあって離れ

なかったんだと思うんだ。天才が天才を見抜くってゆうやつだな。

「何だよ、レオナルドもトリックスターなのかよ」

*そうだよ。

「それは、何処に書かれているんだよ」

*あちこちに、チョロチョロ出てるじゃないか。

「分からないね。だから、何度もいうけど、オマエはここで何が書きたかったの?」

*んー、…。

レオナルドもサライもベアトリチェもトリックスターで、南方熊楠もそうで、

そういう人をオレは好きで、だから自分も同じ種類の人間だっだことに安心出来て、

そんで、最近はホームページで僕の書いたものを発信するようになって、共感を持てる

人が集まってきたことが、最高に嬉しい。ってそれを読んでる人に伝えたかったのかな

あ。

「そうなんだ、でも持って回った言い方をしてると気持ち悪いんだよ」

*でも、人の気持ちってのは、一筋縄ではいかないもんだぜ。

「素直で面白いところがオマエのいいところなのに、大学教授みたいに偉そうになったら

面白くなくなちゃうんだよな」

*あー、それはそうだろうな。

あと、書きたいことが分かった。

トリックスターの嬉しさ喜びと幸福感、それと孤独それから腹立ちなんかも書きたかっ

たんだよ。

「書いたらいいじゃないか」

*でもさ、あんまり長く書いてると、読んでる人が飽きちゃうんじゃないかと思ってさ。

「大丈夫だよ、気をつかって書いてるわりに十分面白くないから」

*あはは、そう言うなよ。

「面白くなくてもいいんじゃねえの。

だけど、オマエが普段、普通に話してることのほうが面白いと思うけど」

*そーかあ?どういう話?

「だから、レオナルドの話でもなんでもだよ」

*あー、ヤツがヴェロッキオの工房に入って“キリストの洗礼”を師匠と一緒に描いて、

半分ずつ描いたんだけど、レオナルドの描いたやつを見て師匠が二度と絵筆を取らなく

なちゃった、なんていう話か?

「そーなんだ」

でも、その師匠はホンモノだな。

自分の才能がレオナルドとはケタが違うって認めて筆置いちゃうんだから。

「そうそう、そういうオマエなりの見解と解釈で書いたんでいいんじゃねえの。

それがなかったら面白くないよ」

*そーか、レオナルドが同性愛者になったのは、

「何?!あいつ同性愛者だったのか?」

*あれ?前に言わなかったっけ?

「聞いてないのか、忘れたのか」

     そうか、15世紀のイタリアで特に芸術家の間で流行っていたのが、女性嫌悪、

性的快楽の憎悪、それにプラトン的少年愛に憧れる風潮があって、その頃の若者の

ファッションてのが髪を伸ばして優美に身体の線を出す服が流行ってたらしいんだ。

「芸術家ってやつには、同性愛者が多いっていうよな」

*フィレンツェは、特に多かったらしいんだ。芸術の街だからかね。

ヴェロッキオの工房なんか、師匠からペルジーノだとかポッティチェリなんかが、独身

で同性愛者の集まりだったっていうんだ。

「凄いなあ」

*僕が思うに、レオナルドの生い立ちも同性愛者になる後押しをしてる気がするんだよ。

「どうして?」

*レオナルドは名家の長男が、使用人を腹ませて出来た子供なんだよ。

その名家の長男が、出世欲と体面を気にする男で、知らん顔して都会で有力者の娘と

結婚しちゃうんだ。

「体面気にするなら、使用人とやるなよ」

     それで、レオナルドは、産みの母カテリーナの元で愛情いっぱいで育てられることに

なるんだけど、その父親の方に子供が出来なくてレオナルドが2歳から5歳位の母親が

一番恋しい時期に父親の家に引き取られることになるんだ。

「勝手だな」

*そう、大人の勝手な都合だよな。

オレは、同性愛者は母親の体内にいる時の精神的不安と、生まれてきてからの厭世

観、不安つうのも影響していると思っているんだ。

レオナルドは、自分の父親と母親の間に愛情はなかったと思っていたらしいんだ。

手記の中にも「肉欲を抑制しない者は、獣の仲間になれ」ってあったりして。

でも、トリックスターも天才も、その不幸と幸福は当人にしか分からないんだと思う。

「誰でも、何でも同じだよ。何事もその本人にしか分からないんだよ」

*だけど、芸術性や才能の開花という意味においては、それは宝物だと思うんだ。

 そういった当人にとっては、大変な環境が特別な感受性や芸術性、思考回路と直結して

 いると、思うんだ。

面白いことに、レオナルドは成績は悪くはないんだけど評価が「移り気」「優柔不断」で

気が向くと熱中して手が付けられなくなって、そのくせ飽きたら最後で途中で放り出し

て終わりなんだ。

「どっかにも居たな、そういうヤツが」

     レオナルドのそのクセは、一生涯直らなかったっていうな。

「聖ヒエロニムス」絵、「スフォルツァ騎馬像」彫刻、「東方三博士の礼拝」彫刻、とか

物凄いヤツを始めとして物凄い数の未完成の作品があって、当時は作っているうちは

分割払いで金が貰えたらしいんだけど、完成しないと報奨金が出ないから、

生活は裕福じゃなかったんだってさ。

「あのレオナルドがか?!」

     そう、ミラノ候への陳情書の中で「私が金の困っていないと思ったらそれは誤りでござ

いますぞ」なんて書いてるんだ。

「自分の才能を思ったら腹も立つだろうな」

     レオナルドが13歳の時に継母が難産で死んで、レオナルドの才能に気が付いた父親が

息子が楯に描いたドラゴンの絵をヴェロッキオの所に持ち込むんだ。

そこですぐに連れて来いってことになって、14歳で一流の芸術家のそこに弟子入り

することになるんだ。

「父ちゃん、やるじゃねえの」

*親ってのは、時に道を拓くことがあるんだよな。

ところが、そこが同性愛者の巣窟。

でもって「サルタレッリ事件」つう男色の相手をしたってことで2回も捕まって、

有名者の父親の口利きで大事には至らなかったんだが、父ちゃん代激怒。

「子供持ってると、まあ、そういうこともあるよ」

何だか、話が軽いな。レオナルドの淋しさとか、悲しみとか、世の中に対する怒りだと

とか、矛盾みたいなもんを言いたかったんだけど。

「それは、オマエには分からない、手が届かないことなんじゃねえの?」

*あー、間違い。レオナルドを通して、自分を語りたいの。

「なら、よし」

*面白いよな。ヴェロッキオは可愛がった弟子によって筆を折ることになるんだから。

「案外、幸せだったりして」

*そうな、認める者によって引導を渡されるつうのか、介錯されるのは幸せかもな。

斬られるのも斬るのも、情けをかけずにスッパリして欲しいもんだな。

人って斬られたがっているって気がするんだよな。

だから、レオナルドは、サライを必要としたんじゃないかと思うんだ。

そんでもって、レオナルドは、父親は嫌いだけど、母親が大好きだったんだよな。

母親の面影を求めて描いてる、みたいな気がするんだ。

ヤツは記録魔だったらしいんだけど、父親が死んだときには死亡時刻と年齢、職業しか

書いてなかったらしい。

「あー、父親、哀れ」

     仕方ないかも、だって親父は若い娘と4度の再婚を繰り返して12人の子供をもうけて

 最後の子供なんか72歳で亡くなった後に生まれてるんだ。

「やっぱり、父親、幸せかも」

     父親については獣になれとか、記録位しか書いていないのに

ジャコモ、サライ(小悪魔)のことは、出逢い雇った時のことなんか、それは、それは、

詳しく事細かに書いているんだとよ。

「正直なやつだ」

*レオナルドは物凄い記録魔だったらしいぞ。

「ふーん」

*そういえば、南方熊楠もそうだったらしいぞ。

その上熊楠は記憶力が凄くて、イギリスに住んでいたとき日本に戻る友達に日記にして

たノートを買ってきてくれって頼むんだ。

10ヶ月後にノートを持って友達が戻るんだが、その目の前で300日分の気温、天候、

来信、行動、感想を一気にソラで書いたんだそうだ。

「アタマ、おかしいんじゃねえか?」

*天才ってのは、アタマが、おかしいんだよ。

レオナルドは、記録に自然観察の記録、発明のアイデア、金銭の出納、その日に食べた

ものなんか何でもかんでも細々書いてて、サライがクスネタ金額も記録してたんだと。

「つうことは、それを許してたんだね」

*うん、忘れるのと気が付かないことは、許すことが出来ないからね。

「サライとは恋仲だったのかな」

*んー、そこは追求したくないとこなんだけど、サライは美少年だったんだとさ。

でもって、レオナルドは生涯独身で周辺に女にまつわる話は、皆無だったつう話だ。

「そーか」

     レオナルドが生まれた時に洗礼を受けたサンタ・クローチェっていう教会の隣のとこが、

博物館になってるらしいんだ。

そこに、自転車、自動車の原型になる機械、飛行機、ヘリコプター、機関銃、大砲、

外輪船、紡績機、掛時計、温度計とか現代に繋がっている発明がいっぱい展示されてる

んだと。

「へー、見てみたいな」

*うん、でも遠いよな。

オレ14年前にフランスに行ったことがあって、モナリザの微笑みと最後の晩餐、見

てきたけど、遠かったな。もう二度と行きたくないな。

「オマエ、飛行機嫌いだもんなあ」

*ああ!そうだ。自慢したいことがあるんだ。

「何だよ」

*最後の晩餐って、この中に裏切り者がいるってキリストが言ってるシーンなんだよな、

それを最初聞いたとき、物凄く腹が立ってよ、ばっかじゃなかろかって思ったんだよ。

キリストさんを冒涜すんじゃねえって思ったんだ。

「キリストの言葉にしては下品だな」

     な、そうだろ。あの話を聞いたときに、総ては知ってて行われたことで、

総ては、なるべきしてならせられたことだと思ったんだよ。

そしたら、最近ユダは裏切り者じゃなかったっていう話が出て、ユダはむしろ真実の

弟子だったみたいな話になって、そうそう、僕はずっと前からそう思っていました。

つうことが言いたかったわけ。

「それが、自慢かよ」

     そう、だって嬉しいじゃねえかよ。キリちゃんが、そんなことも気がつかないで捕まっ

て十字架に掛けられるようなしろもんじゃねえってことが証明されてよ。

それに裏切りを任務として与えられたユダの喜びを思うと、ちょっと涙だね。

「なんだかね」

*ありゃりゃ、サライの話がどっかに行ちゃったよ

レオナルドが凄すぎるんだよ、でも、飽きっぽくて、気まぐれで仕事の途中で放置して

は、別の作品に移っていちゃう、つうことを死ぬまで繰り返してたっていうな。

「ホントにそこんとこだけ、お前にそっくりだな」

*あちゃー。才能ないのに気まぐれってどーよ。

「最低だね」

 

ps

 あー、まだ書き足りない気がする。鏡面文字、人体解剖、絵の背景。

フロイトは、「まだ、皆が眠りについていた頃、ただ一人、目を覚ましていた男だ」と

レオナルドを評する。

「天才とは、天国と地獄をみて、味わう者のことだ」と聞いたことがある。

そして、

「知恵は経験の娘である」

「目は魂の窓である。

描くことによって、よく物を見ることが出来、より深く理解することが出来る」と

レオナルドは言っているんだよなぁ。