チャー(Char

 

2008年2月11日、チャーこと竹中尚人と石田長生のコンサートに行った。

チャーは右側のステージに立つというか、座るというので右側端F36番の席を取って

いた。

6時会場、6時半開演。

家から車で5分ということもあって、6時15分着。

 第一駐車場は、満車で誘導に従って裏の駐車場に入る。

一般客とは明らかに違う機材を運ぶトラックや、関係者の車がある。

 キャー、そこにはもう違う世界のニオイがする。

寒さを感じない宵の闇の中、両手をポケットに突っ込んで会場に入っていく。

 

席に着くと隣は身体の大きな青年だった。

ダウンジャケットを着たままの彼は、身を縮めても私の席にはみ出している。

横に座ると私より頭一つ大きい。

 (バッカだなぁ、こういうコンサートは端の席を取るんだよ。隣がないってことは

どんなに自由がきくことか、それに何か起きた時は一番に逃げられるんだぞ)と思う。

 10分遅れでレーザーの光が現れる。音が入った。

モノホンのチャーに会えるなんて夢のようだ。指の先が痺れる。

 

 チャーのギター、声、歌、最高!

石田もイイ。二人の絡みもイイ。

 チャーの声は、ギターは、閉経した子宮に響く。

きっと、彼は子供にも老人にも、男にも女にもオカマにも響く“何か”を持ってる。

 

 隣に座っていたオタクっぽい青年が、身体を動かし始める。

私は、最初っからノリノリで、音が鳴った途端に涙が出そうになる。

 ここで、オマケの楽しみがあった。

隣の彼の心がドンドン解(ほど)けていくのを感じる。

自由になっていくのを感じる。

私はそれを感じることで、2倍幸せな気持ちになった。

ギターの音色が何を言っているのかのクイズで隣の彼が手を挙げたのには驚き、

嬉しくなった。

 

 チャーはやさしい。メチャクチャやさしい。

鼻に掛かった声。茶目っ気たっぷり。気取らないのにカッコイイ。

音合わせで隣を見る目が、メチャクチャ、カッコイイ。

 

スタンディングオべーションからファイナルに向かうが、観客のアンコールがそれを

許さない。

 私も野太い声で何度もチャーの名を叫んだ。

結局、終演を向かえたのは9時半。

 身体中マッサージされたかのように血が流れ、身体も心も温かくなっていた。

 

 後日、行きつけの居酒屋に次女が友達と行った。

その居酒屋のオヤジは、いつも愛想がない。

私は、そこへ家族や友人と結構長く行っているのだが、まともに話したことがない。

まあ、顔見知りになって不自由になることもあるので私が知らん顔をしているという

こともある。

 ところが、そのオヤジがカウンターから出て、ニコニコして話していたんだそうな。

その話ってのが、チャーのコンサートが最高だったという話で、

「ソコに居た人たちってのが、ウンウン、そういう人生だったんだねぇ。っていう感じ

分かる?」と次女が言う。

「普通の中年じゃない、昔ちょっとツッパッテましたっていうタバコをくわえたオジサン

オバサンたちが、熱くなって語る姿って可愛いよね」と言い、

「きっと、お母さんあそこにいたら一緒に大盛り上がりだったよ」と言った。

 

寺内も大好きだが、チャー一筋の私、でも正直、チャーの人気があれほどとは思って

いなかったなぁ。

 日野ケンちゃんバンドのライブに行ったことがあったが、チャーと同じモノを感じた。

ケンちゃんには、荒削り(誤解されちゃうな、技術じゃないよ)な痛々しさと深い悲しみ

がある気がした。

 そして、やさしい。底抜けのやさしさ。壊れたやさしさ。

そこの部分に気持ちを持っていくとヤバイ気がする。

 でも、もう一度聴きたいなぁ。

 

って私が言うのを聞いて、塚石が

「どっちを?」って聞いた。

「どっちって?」

「チャー、それともケンちゃん?」

「へへ、両方」

「欲張り」