チェルノブイリ(ムカドン)

 友人がギックリ腰で動けなくなり、1日中家でテレビを見ていたと言ってきた。

彼はゴシップ的な番組を嫌い、俗にスカパーとよばれるスカイパーフェクトTVを好んで

見ている。

そのスカパーのディスカバリーチャンネルで、

チェルノブイリの原発事故がどうして起きたのかを検証していたという。

「君が何時も語っているチェルノブイリの事故の話だったから、ビデオに撮っておいて

やろうと思ったんだけどテープは見つからないし腰は痛くて動けないし、何とか覚えて

おいたことを話すから自分でまとめてくれ」と、それは僕にとって有難い話だった。

 

「原発事故が起きた経緯」

チェルノブイリの原発事故は、安全の実験をする為に行われたものから起きた。

原子炉に化学反応を制御する棒と、化学反応を促す棒が交互に差し込まれ

下方に冷却ファンが設置されていた。

 安全の実験をする為には、そのレベルを一定に上げる必要があった。

しかし、なかなか上がらなかった。

いや、上がっていたのだが、上部のレベルしか数値に表れないでいたのだ。

そこで、制御棒を撤去した。

そして、底部ではレベルは更に上昇していったが、やはり上部のレベルだけしか

数値に表れないでいた。

その為、レベル急上昇中であるのに電源を切った。

そして、冷却ファンが停止した。

その時、表面からは見えない原子炉の奥では、筆舌には尽くし難い恐ろしいことが

起きていたのだ。

表面しか見ようとしない者によって、下層部ではレベルが急上昇し始めている時に

実験が開始された。

そして、皮肉にも挿入された制御棒にがキッカケで原子炉が大爆発を起こした。

重さ300トンの炉の屋根が浮き上がるのを、休暇を早めに切り上げて仕事に来ていた

行員が目撃している。

 その時、今尚続いている、そして何時納まりが着くかわからない惨事が勃発した。

 

私は、事故が起きてどれだけの惨事が起き、被害があり、そして現在に続いているかを

本で読み写真で見せられテレビや劇で見てきた。

そこでは、どうしてその事故が起きることになったのかの背景は出てこなかった。

 

友人から聞いた話

「事故が起きた背景」

チェルノブイリ原発には、ワンマンと出世欲、天国と地獄の図式が出来上がっていた。

そのワンマン上司から実力が認められ出世したなら、暖かく環境も物質も豊かな美しい

ビーチにある高級ホテルのような暮らしが約束されていた。

 しかし、その上司に嫌われ認められないとクビになるか、シベリヤ行きが決まっていた。

シベリヤの生活は寒く厳しく過酷だ。

チェリノブイリの運営はそのワンマンの上司が、総てを牛耳っていた。

その上司に逆らった1人の監督は、クビ同然でシベリヤ行きとなった。

もう1人の監督は、上司に気に入られ特別出世した。

 

ワンマン上司は、実験がしたかった。

     実験に際して回りは反対した。

何故なら、準備が万全でないと思われたからだ。

しかし、ワンマン上司がそれを望んでいる以上やらないわけにはいかなかった。

*時間と手間を掛けねば危険を伴う大事な実験だ。

しかし、その建物は、彼の出世の為に手抜き工事で建設されていた。

*時間をかけるべきところを早く塗ってしまったり、物質不足で、一部可燃材を使って

セクターや炉の一部が作られていたという。

*実験には、それまでの経験が必要だった。

しかし、上司が気に入った監督は、原発が専門でなく火力発電担当の者だった。

*実験に際しては、物事を客観的に観察し冷静に判断することが必要だった。

しかし、自分の出世と名誉に目が眩んでいた彼は、冷静に観察することも出来ず、

考える力もなく、経験もなく事実を捻じ曲げそこに出ているレベルを勝手に書き換えて

行うという暴挙にでるのだ。

     科学者に一番必要なのは、経験、閃きと共に、事実をきちんと見る観察力、冷静さ、

綿密であること、間違わないための努力と共に間違ったら潔く引き返す勇気である。

しかし、出世という自分の都合のために目が眩んでいた彼は、事実や決まりを捻じ曲げ

手抜きと脅しによってそれらは、押し切られ実験は、実行に移された。

 

「推察」  ここで私が得意とする想像を入れて推察してみたい。

 

ワンマン上司に嫌われシベリアへ飛ばされたもう一人の監督は、面白いことの一つも

言えない不器用な人間だった。

家族に対しても、自分の納得がいかないことをしてまでいい暮らしをさせるような

ことをする気はなかった。

違うと思うことを、口先だけで人に合わせることは出来ない人間だった。

その上司はワンマンではあるが、その彼に気に入られその目に適えば、確実に力となる。

しかし、その上司にむかって、彼は媚びるどころか反発し真っ向から戦いを挑んだ。

絶対の権力を持ち自分独自の価値観を持つ上司が下した判断は、その男をシベリヤに

追いやることであった。

その上司は自分にとって都合の良い人間にはいたって親切であった。

都合の中には好き嫌いが含まれている。

そして、仕事の提案は、その内容が正しいかどうかでなく、それを言っている人が誰で

あるかによって認められたり却下されることとなる。

だから研究者であってもその提案意見を通すためには、人脈や賄賂を必要とした。

その上司は自分に迎合(げいごう)の態度を示す者や、利益をもたらす者、物を優先し

反発の態度を示す者や、自分の行く手を阻む者、益のない者に対しては、苛めを行い

抹殺する人間だった。

自分の感情や都合を入れずに観察し、思考、判断、決断をすることが出来ない人間

だった。

私は、好き嫌いがあるということが、悪いと言っているのではない。

それを、野放しにしてはいけないと言っているのだ。

人間は、それらの欲望を乗り越え、コントロールすることが、自分の感情を自分の手で

牛耳ることこそが、人間の真価であると私は思うのだ。

ワンマンの彼は、故郷や家族を大事にする人だったのではないだろうか。

それはその必要性の順位でなく、自分の好き嫌いや損得勘定によって道路を作ったり、

迎合や賄賂を示すモノに便宜を図るタイプの、あの人間だったのではないだろうか。

だから一部の人には人間味があって温情が厚い人だと思われていた。同類の人には…。

彼は、自分を仕事熱心で情(?)のある人間だと思っていた。

 シベリヤ行きとなった監督の後に備えつけられた監督は、如才ない男だった。

家族を大事にし良い暮らしをさせるためには、自分感情を押さえて駄目だと思うことでも

イエスと言えるだけの大人の力量(?)を持っていた。

しかし、出来ないことを出来ないと言うだけの勇気と潔さは、持ち合わせていなかった。

火力発電担当から原子力発電に移動した彼が、監督という重要なポジションになったこと

が、彼の出世欲に火を付けていた。

家族思いでやる気があり、出来ないことも何とかやり遂げようとする彼は世間的に見た

ら、やり手でやる気のある仕事の出来る男だった。

彼にとっては、上司の望みを実現することが自分の幸せに繋がり、家族の幸せであった。

彼にとって大事なことは、妥協のない綿密な仕事をすることより、目に見える形であり、

結果であった。

その為には、周りを利用し、押し切って、何とか形にしてしまうことが必要だった。

その内容は粗雑であっても、形を作ってしまえば社会的には認められるのだ。

家庭や人の心も本当のことは形や外からでは、分からない。

左遷された彼が、寒い文化的レベルの低い所で、安い賃金でキツイ仕事をすることが、

彼にとって屈辱だったり不幸であったかどうかは、他人には判断出来ない。

一方、ワンマン上司に気に入られた男は、暖かく温暖なビーチに住み、贅沢に豊かに

家族と共に暮らすことが、彼のプライドを満足させ幸福であるために必要なことであった。

彼の中には、貧しくても認められなくても自分に恥じない生き方をするプライドは

なかったのだろか。

あってもそれは欲の陰に隠れたのだろうか…。

兎に角、男は、自分の心に聞くということをしなかったのだ。

実験をする能力に達していなかったが、自分が認められるためにやりたかった。

資金が足りなかったが、やりたくて手抜き工事で準備がなされた。

そして、実験が開始されたが、実験をするためには炉の温度が一定レベルにしなければ

ならなかった。

しかし、炉の下方温度が上昇しても上部には現れず、表面しか見ない男はそのレベルを

どんどん上昇させていった。

そして、制御棒を抜いた。抜く時に電源を落とした。その時ファンが止まった。

表面温度がレベルに達したその時、その下方ではもう後戻りできない恐ろしいことが

起きていたのだ。

再度電源が入れられ、皮肉にも安全の制御棒が差し込まれたとき、それがきっかけで

爆発が起きた。

 

サンテグジュペリがいう。

本当に美しいもの、大切なものは、心の目で見なければ見えないんだよ。と、

 

ここまで書いて、友人に見せた。

「うーん、ちょっとテレビで見たのと違っているところはあるけど、解釈は君の自由

だから、これはこれで意味があるんじゃないか?」と彼は言った。

違っていると思うのは、火力発電の男はこんなに大変な実験であるのに、その場に立ち

会っていなかったのだという。

その男は、家で寝ていたところに電話で事故の連絡が入り慌てて飛び起きたのだという。

実験をしたのは、その火力発電の男と一緒に働いていたワンマンで強引な仲間だったのだ

という。

セクターと実験した場所は、異なりセクターからの指令によってそれは行われた。

 

 私の物を書く原動力の一つは、怒りと恐怖である。

チェルノブイリの事故は、私の中の何かのスイッチを入れた。

チェルノブイリという文字を見ると吸い寄せられるようにその記事を読んだ。

テレビで放映されると見ないではいられなかった。

 

1986年4月26日に発生し全世界に衝撃を与えた、ソ連チェルノブイリ原発事故

それから13年経って1999年9月30日に、日本東海村で臨界の事故が起きた。

分量を量るのにキマリを無視しバケツで行うなどして起きた世界初の臨界事故だった。

 

1週間ほど前に知人がぎっくり腰で動けないために見たテレビの話から、私の中で

燻り続けている何かが暴れだし、毎晩、私を起こし始めていた。

 臨海の事故の後、知人が広河隆一の写真記録チェルノブイリ「消えた458の村」を

くれたが、まだしっかり見ていない。

白黒写真のそれは、どう納まりを付け気持ちの何処においたらいいのか見当がつかない。

 

今朝、秋晴れの日差しが入る部屋に一人で朝食を食べていた。

知人から届けられた秋鮭と新米が旨かった。

8時半頃に臨界事故が起きたという設定で警報訓練が始まった。

その時、(あー、6年前の今日、あの事故があったのだ)と思い出した。

それまで、今日が9月30日だったことを忘れていた。

「今から訓練の為のサイレンを鳴らします」とアナウンスがあり、サイレンが鳴り響いた

その瞬間に、叫びだしそうな言い様のない感情がわきあがり、涙が流れ出した。

 

2001年1月20日に劇工房の「ああ、チェルノブイリ消えた村」を見に行った。

劇に歌や踊り、朗読がその悲劇を語った。

序々に後頭部が痺れ出し、腹の中から叫び声があふれ出しそうになった。

ここで叫んでしまったら、私は気が触れたと噂されることになるであろうと、

頭の片隅で考える自分がいた、必死でその感情を押さえた。

長いスカートを穿いて踊る人を見ながら、そんなに屈(かが)むとパンツが見えるぞ、

などと気を紛らわしたが、その時、自分の中の危うさに冷や汗をかいていた。

 

写真記録をくれた知人と「アレクセイの泉」の映画を見に行ったのは、その後のこと

だった。

チェルノブイリの原発事故、そして東海村の臨界事故。

そこに在るのは、

ご都合主義、手抜き、無責任、我田引水、危機感を失ったマンネリ、賄賂、捏造、逃げ。

そして、起こった悲劇。