長女の婚姻

 2006年6月23日(金)友引

実家の両親が73歳と78歳で、私の住まいの近くに家を建て、引っ越して来た。

寄る年波への不安と、建て増しで段差の多い家がこれから住みづらくなるであろうという

危惧からの決断であった。

 そして、実家は空き家となった。

そこへ持ってきて、長女が結婚することになった。

古い家ではあるが、部屋数は多い。埃を落としゴミを片付ければ十分住みやすい家になる。

1年間の税金が2万何がしだ。

娘が今住んでいるアパートの家賃が1ヶ月で7万5千円だ。

娘にとっては、祖父母の家であり慣れ親しんだ家である。喜んで住むことになった。

夫になる彼にも異存はなかった。

 彼は、仕事が忙しい。精神的に追い込まれる程大変のようだ。

実家は、掃除や片付けが山のようにあった。

勿論私や祖父母も手伝ったが、娘は、一人で実家に通い片付けや掃除を続けていた。

 

 その日、掃除を手伝ってくれと頼まれた。

丁度仕事の手が空いた私は、手伝うことにした。

私の掃除用具一揃いは前回バケツに詰めて、実家に、いや娘の家に置いてある。

その日は、塩と小豆と米、一掴みずつを半紙二枚に包んだものを4つ作り、用意した。

娘の運転する車に乗った。

「家に行く前にちょっと寄って行きたい所があるんだけど、いい?」と娘が言った。

「うん、いいよ」

「行く前に、籍入れていきたいから」

「あっ、そう」

そういえば昨日、婚姻届の用紙に何やら書き込んでいた。

印鑑が必要なのだと百円均一の店に寄り購入する。

その足で役所に行く。

「ちょっと待っててね。籍入れてきちゃうから」

「はいよ」

梅雨の日差しが、車に差し込む。

目の前の塀に、陶板が貼られている。

役所が移設となり、ここに新しく作られた時に中学生が作ったものなのだろう。

一つ一つ見ていくと、丁度娘が中学生の頃に作られたものであることに気付いた。

 平和で穏やかな気持ちだった。心に何のワダカマリもない。

何故、幸せな気持ちなのか?と考えた。

娘が結婚したからなのか? いや、そうではない。

私は、娘が納得して満足して生きていたら何でも良いと思っている。

娘は、彼と出会い一緒に暮らすようになって気持ちが落ち着き、生き方がしっかりしてき

た。それが嬉しいのだ。安心したのだ。

娘は、彼女なりの本当の満足を感じているのだと思う。

だから、結婚式を挙げなくても満足で、新婚旅行に行く暇がなくても満足なのだ。

「時間が出来たら旅行に行こう」と彼が言ったのだという。

そう言った時点でもう満足で、行っても行かなくても良いのだと娘は言った。

 

私は、といえば、結婚してもいいし、しなくてもいい。

式をあげてもいいし、あげなくてもいい。

ただ、人に認められるために無理をして行う行為は、私は好きではない。

人目を気にした時に、大事なものが見えなくなり、その時の細やかな感情を味わえなく

なることが、私は多い。

その時、その時をゆっくり味わい大切にして生きていきたいと思う。

 それは、私の望みであるから誰にも、例え自分の娘であっても強要する気はない。

しかし、娘が形に囚われず、毎日の一つ一つを大事にして生きていると感じることは、

私にとっての喜びだ。

「ちょっと待っててね。籍入れてきちゃうから」という言い方が、

「ちょっと待ってて、ゴミ捨ててきちゃうから」と変わらない気負いのなさが、私には

嬉しかった。

 

 私の育った家、言葉では語りつくせない沢山の絡み合った感情と思い出が詰まった実家

そこの掃除というのも一興である。

 家を囲むように建つ家々や林やその先に続く山、地形がタイムスリップしたかのように

掃除をする私に押し寄せてくる。

22歳で家から出て30年も経つのに、私は40年以上前の小学生の気持ちに戻ってい

た。

 家の周りに聞こえる人の声の響きや、鳥の声、風の抜ける音がここだけのものだ。

夕方になって、早めに風呂に入っている近所のオジサンの声が聞こえる。

ケキョ、ケキョと鳴く鳥の声。

ケケケケヶヶヶヶ…と鳴く声は、私が子供の時に聞き、娘が幼い頃に怖がった声だ。

犬の吠える声が聞こえ、車が滅多に通らない横道を自転車が行く。

下水からは、生活する人のニオイがする。

私はここで育って、ここで作られてきた。

その日、娘と共にこの家に住まわせてもらう挨拶を、その地にした。