注射

 

慢性の腎臓病を持つ母は、肝臓を保護するというキョーミノ(肝臓保護)の注射をしに

週に2、3回病院に行くが、今のところ83歳になった父が連れて行っている。

母の肝臓は慢性なので、急激に悪化することはないが油断をしていると自覚症状なしに

何が起き始めているか分からない。

その為に毎月一回簡単な検査をして先生の所見を聞く。それは、私が引き受けている。

二日前の金曜日、その恒例の病院に行った。

 

 小雨が降る病院の中は変にけだるい。

予約の受付をして血圧を測り、採血とキョーミノ注射をする為(入れたり出したり忙しい)

母が処置室へ入って行った。

 その血液検査の結果が出るのを待って医師の話を聞く。というのが、私の役目。

待っている間は、これ幸いと毎回持参してきた本を読む。

 今回は逸見庸(よう)の“しのびよる破局”の続きを読んでいた。

カミュの“ペスト”と秋葉原事件を軸に悪とされるものについての彼の見解と時代の流れ

の中での変化について、辺見氏の考えが、というか感じ方がチョー面白い。

 彼は、脳梗塞で倒れ癌になり、それからまた違う癌が出て身体の不自由と常にある痛み

痺れ違和感の中で囚われの身となって現れてきた解放というものがあるらしい。

 意地を張らない意地っ張り、戦わない戦い、人は孤独なんだなぁと感じることが、

なれあいや媚のないすがすがしさで感じ、同時にスパッと時代を切っていく。

 4分の3程を読んだ所で、待合室に母子が入ってきた。

「チクットは嫌なの」と5歳位の女の子が母親に言っていた。

母親は乳飲み子を抱いていた。

 声は聞こえないが、母が何か言っている。

「だから、チクットは嫌なの」

処置室の方を向いて並んだ椅子の、私は3列目に座っていた。

 母子は一番前の椅子に座った。

「チクットは、嫌なの!」と言う声は次第に大きく荒くなっていく。

キレイに髪をまとめた上品な母親とポニーテールの小さな頭の子は、二人とも顔立ちが

整っている分ちょっと昔の親子に見えた。

 その分乳飲み子は、たっぷりと太って顔が大きく、二人とは違う生きもののようだった。

「チクットは、嫌なの!」

母親が何か言っている時は静かになるが、すぐにまた「チクットは嫌なの」を繰り返す。

 もう何回言ったか分からない。

インフルエンザの予防注射に来たとみた。

 さっさと注射して楽にしてやれよ。と思うが、中々順番にならない。

焦れた子供は地団太を踏むように言ったかと思うと、わざと小さい声にしたり、大声で

叫ぶように言う。

「チクットは嫌なのー」

 赤ん坊も泣きだした。

「ふんぎゃー、ふんぎゃー」

 

 やっと順番がやってきた。

母親が立ち上がり女の子の手を引いて処置室に入ろうとすると、最後の抵抗で

「いやだー、チクットいやだー」と逃げようとする。

看護師さんに捕まえられ壁の向こうに連れていかれた。

 処置室にドアはなく中の声がよく聞こえる。

といっても、あの声ではドアが閉まっていたとしても十分に聞こえただろう。

「いやだー、いやだー」

バタバタ、ドタン、逃げる物音。

「チクットは嫌なのー」

 本気で暴れたら例え5歳の子でも抑えることは出来ないんだなぁ、と実感する。

あの現場での緊張感とかリアル感というのはとても文章では伝えられない。ザンネン。

 そのうち一緒に泣いていた赤ん坊が「ピギー!、ピギー!」とブタが絞殺されるような

声に変わった。

 それは、それまで泣いていた赤ん坊の泣き声とは違うものだった。

女の子の声は「痛いよー!」に変わった。

「痛いよー、痛いよー」

「ピギー、ピギー」

 その阿鼻叫喚に思わず笑いがこみ上げてきたが、何故か胸が熱くなる。

 

 その時、読んでいた本は社会から切り離されたのか自ら離れたのかリアル充(本当の

実感万歳)に枯渇した?秋葉原の青年の話から、社会がコーティングされている。という

章に入っていた。

 飢餓に苦しんでいるというテレビ番組を回すと、大食い大会をやっている。

簡単に場面は変わり一つのことに留まるということをしなくなった現代。

 悲しみでも苦しさでもそれをちゃんと受け止めて胸にしまうということをせず、簡単に

何かを上乗せして塗り固めコーティングして成り立っている。

 それを読みながらアトピーの治療と似ていると思う。

アトピーとは分からないという意味らしいが、アトピーの子(人)が薬を塗る。

それもコーティングだと思う。(381の酵素浴4にも書いてある)

根本原因を見つけず、根本治療や体質改善をせずに表面を塗り固め、皮膚感覚をなくして

いく。

 ここで何時も誤解が生じるんだ、私は現代の治療や薬品を、決して否定しているわけで

はない

医学が進歩して今まで助からない良くならなかった病気が治るようになっている。

それはスゴイ、素晴らしいことだと思っている。

でも、それとは別に、何事も最終的には自分の所に、自分の感覚に戻ってくるんじゃな

いだろうか。

 自らの基軸をしっかりする。っていうか、痛みを引き受けるのもそれを体感するのも

自分が乗り越える以外に道はない。

分かりにくいかなぁ。

 

じゃ、

 知人が子どもを、予防注射に連れて行った。

戻って来て子供が怒った。

「痛くないって言ったのに痛かったじゃないか、嘘つき!」

それを何度も繰り返して怒りが修まらない、ついに根負けした親が謝った。

そして、それからは注射に限らず

「痛いかもしれないけど病気にならない為に必要な大事なことなんだよ」と事実を説明

して連れていくことにした。という。

 つまり、誤魔化して先に進んでも何時かはけじめをつけなければならないってこと。

休養や栄養を採らずに栄養ドリンクやカンフル剤で元気を出すことや、整理整頓、掃除を

せずに消毒剤を振りまく、芳香剤を置く。というのも同じことだ。

 コーティングは、誤魔化し、茶化し、簡単に場面を変えて忘れてしまうという、逃げ

なんじゃないかと私は思う。

 でも、究極の所人は逃げずにそこで戦わなければならない時がくる。

必死で戦う子供の声を聞きながら、その時読んでいた本で辺見氏が言っていることが、

なんてタイムリーに起きているんだろうと感心していた。

 

 甥っ子が小さかった頃(4、5歳)、点滴をすることになった。

やつは頭がいい、が、怖がりで頭と感情のコントロールに時差があった。

 さあこれから注射針を腕に射す。という時に怖がって泣いて暴れ出した。

それを動かないようにと看護師と医師が押さえつけていた。

「いやだぁー、いやだよぉー」と暴れていたが、ふと我に返ったらしい。

「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい?一つ聞いてもいいですか?」と看護師の手を押さ

えて起きあがった。

急に大人しくなった子に

「何ですか?」と先生。

ベッドの上に座り直すと

「あのぉ、ボクがこんなに騒いだり暴れたからといって間違ったりすることがあります

か?」

「そうですね、やりにくいから間違った所に針をさしたりすることも考えられますね」

「今から何をやるんですか?」と、しゃくりあげながら聞く。

「点滴をするのに注射針を入れるんです」

「それは痛いですか?」

「最初はチクットしますけど、あとは痛くなくなるから大丈夫です」

と、それを聞いた甥っ子は

「分かりました、お願いします」痩せた身体をガタガタしながら言ったという。

 

 覚悟ってやつは、それとちゃんと向き合った時に出来るんじゃないかな。

 

 病院の女の子、治療室から出てきても泣いていて、今度は

「痛かったんだから」にセリフが変わっていた。

「痛かったんだから」

「はいはい」

「はいはいじゃない!ホントに痛かったんだから、まだ痛いんだから」

 女の子の白い小さな顔は、目と口の周りが赤くなってサルのような顔になっていた。

どんだけ痛かったんだか。

「ホントにホントに痛かったんだから」という声は、会計の方へとずっと続いて行った。